2004年10月~2005年12月 玉谷和博(記)、坂本多鶴
「今年はフリーやろうよ!」長年の相方が、またもや唐突に言い出した。
フリークライミング。アレしちゃいけない、コレしちゃいけない、と限定やルールがうるさくて、なんだか不自由な感じが性に合わず今まで避けていた。
「夏といわず、冬といわず、山々を自由に闊歩する強い岳人になりたい!」だなんて言いながら、フリーが下手くそな自分の言い訳にいつしかなっていたのかもしれない。
日本的なアルパインクライミングも面白いけど、行けば誰にでも登れてしまうような、アブミを使う人工登攀にいささか飽きてしまったというのもある。
ファイブテン台が安定してリードできる力を身につけることができれば、世界はかなり広がりそうだ。
遅ればせながらフリークライミングを始めてみた。とにかく、今はフリークライミングの力をつけたい。上手くなりたいんだ!そう願った。
「まずはクラックからかな---
憧れの保科雅則氏の講習会に入門する」
昨年10月。小川山で行なわれた保科雅則ガイドのクラック講習会に初めて参加してみた。
他のスポーツでは考えられないことだけど、登山の世界では講習会に参加すれば超一流のクライマーから直接手ほどきを受けることができる。これはファンとしても嬉しいことだ。
保科氏を師匠に決めたのは、氏がフリー(コンペも)はもちろんのこと、アルパインやアイスクライミング、ヒマラヤのビッグオォールとすべての分野において超1級のクライミングの実績があるからだ。(僕らも、及ばずながら保科さんのようなオールラウンダーになりたいと憧れているから。)
初めて見る保科氏の登りは、ゆったりとして無駄がなく、重力をまったく感じないような美しいムーブで、僕らはすっかり魅了されちまった。
第1回目の小川山、2回目の城ヶ崎では散々の結果(当然か)で、クラックの難しさと、悔しい気持ちだけが残った。常連の講習生たちが余裕で登っているのに、『カサブランカ(5.10a)』『アンクルクラック(5.9)』は全く歯が立たず、『龍の子太郎(5.9)』でも落ちた。あぁ~情けなゃ。
最後には「こんなヘタクソな奴ら見たことがないでしょうけど、見捨てないで下さい。」と保科氏に懇願までした。あぁ~、オレは今まで何をやってきたんだろう。クライミングをやっていたとは恥ずかしくて言えないよなぁ。
というわけで、悔しくて、情けなくて、年末から正月にかけての貴重な連休も、10年間も続いた雪稜の計画をとりやめて、城ヶ崎でジャミングの特訓をすることになった。
クラック講習会に初参加(初日のハコヤ岩) ジャックと豆の木(5.10b)の保科さん
「あぁ今まで何をやってたんだろう」 「重力をまったく感じない登り」
「城ヶ崎で伝説の吉田和正氏に会う!」
「城ヶ崎に行くんだったら、吉田和正に習ってみたらいい。非常にていねいに教えてくれるから。」と、目白カラファテの中根穂高氏に聞いた。
吉田和正といえば、数多くの高難度ルートの初登、第2登(国内最難グレードの更新も多い)や、「岩と雪 №164」の過激なインタビューでも有名な孤高のフリークライマーである。
せっかくのチャンスなので、2日間だけ習ってみることにした。
生活道具と登攀用具一式をギッシリと詰め込んだ車(兼、移動式家)で現れた氏は、意外と若く(僕と同い年!)、変人の噂とは異なり、ものしずかな好青年といった印象である。
『イサリビライト(10c)』『イサリビレフト(10d)』にTRを張り、何度も何度もハンドジャムとフィンガージャムの感覚を確かめた。
「全身全霊で手をねじ込むんだ。」「アンダージャムは意外と使いますよ。」「ハンドジャムは膨らませるんじゃなくて、回す(ひねる)と効く。」いろいろなアドバイスとともに、手や指の構造やマッサージの仕方、はたまた手相まで見てもらううちに、驚くことにわりと楽に登れるようになってしまった。
これは吉田マジックか。うーむ、ム、ム。
まずはパープルシャドウ(5.8)で練習。 イサリビレフト(10d)の吉田氏
「ハンドジャムが決まった!」 「全身全霊で手をねじ込むんだ!」
保科雅則氏と吉田和正氏。
2人は比較されることがある(※1)が、保科氏は天才型で吉田氏は努力型だと思う。
批判も恐れずハングドッグを何度もくり返しながら執拗にトライを続けて、肩や腰の故障に悩まされ、体をボロボロにしながらも国内の最難グレードを一つずつ押し上げてきた吉田氏の姿を間近で見ていると、アルパインの練習でフリーをやってる、だなんて言えなくなってしまう。
僕らにとってはまだまだ遥か上のグレードのルートを登らせてもらったこの時の経験は、その後の自信にかなりつながったと思う。
「上手くなるためには、とにかく登りまくるのみ!」
4月までに5.9、5月までに5.10a、8月にまでには5.10bをリードしようと目標をたてて、保科氏の講習会に11回、自主練習に19回ほど城ヶ崎、小川山や湯河原幕岩に通った。
リードは、『コナン(5.9+)』から始め、『小川山レイバック(5.9+)』『龍の子太郎2P(5.9)』『ガマクラック(5.10a)』『マガジン(5.10a)』『笠間のピンキー(5.10c)』『コークスクリュー(5.9)』などなど・・・。
レッドポイントのものもあればテン山だったものもあるが、なかでも印象に残っているのは『バンパイヤ(5.10c)』とレッドポイントで登った『カサブランカ(5.10a)』。ともに日本を代表するとても美しいクラックラインだ。
カサブランカの余勢でトライした『パピヨン(5.10a)』はオンサイトを狙ったがテン山。レッドポイントと初見オンサイトの難しさの違いを知った。
後日に『サイコキネシス(5.10c)』をオンサイトするクライマーを見たときにも、安定したテクニックと攻撃的な強い気持ちが必要だと痛感させられた。トップロープだけど、ようやくノーテンで登れた『クレイジージャム(5.10d)』も、来年こそはぜひリードでトライしてみたいと思う。
小川山レイバック(5.9)をリードする。 カサブランカ(5.10a)をリードする。
「目の覚めるような美しいクラック」 「レッドポイントでガツンと登れ!」
「難しくて、いと面白い。
僕らのフリークライミングはまだ始まったばかり」
「ジャミングは、神サマが予定していなかった手足の使い方。創造神の知らなかった手足の機能・・・。だから、そう要練習。基本的なリクツがわかったら、あとは自主練習のみ。するとある時パッとうまくなる。突然あれっ?!と世界がひらける。なにせ手指の大きさ、太さ、骨の形状、柔軟性、痛点・・・人によって結構差があって、その固定感、フィット感は自分で探り出すしかないのだから。」
と、柏瀬祐之さんからメッセージをいただいた。
クラックをやらずにビッグウォールは登れない。なによりも、クラックは美しく、登攀意欲をそそられる。またジャミング技術は、一度モノにしてしまえば体が忘れることはない(しばらくやらなくても下手にならない)という。
クラックしかやらないマニアックな「クラッカー」もいるらしい。それくらい面白いということだろう。でも、クラックだけじゃだめだ。フェースもスラブもやらないと、細かい立ち込みがある5.11台のクラックルートも登れないのだ。僕らのフリークライミングはまだまだ始まったばかりだ。
結果的に、今年は雪山にも行かずにフリーオンリーの1年間になってしまった。
まだ大した所もリードできていないヘボクライマーには変わりがないけど、確かに去年とは違う。トレーニングをして、登れなかったルートが登れた時の喜び。これは嬉しい。
強いクライマーになりたい。しばらくはフリークライミングがマイブームになりそうだ。
フリークライミング。「アレしちゃいけない、コレしちゃいけない・・・」じゃなくて、主体的に「アレはしない、コレはしない」のだ。決してズルをしないで、よりよいスタイルを目指して登るように精進すること。これこそが、フリークライミングの魅力なのです。
初見でパピヨン(5.10a)にトライ。 バナナクラック(5.11d)をトップロープで。
「オンサイトって難しいよね」 「う~ん、まだまだ難しすぎる」
(注※1)
かつての国内最難ルートだった湯川の『白髪鬼(5.13b/c)』。
初登は保科雅則、2登が吉田和正で、以来続登の噂を聞かない。
フリークライミングの冒険性について、保科雅則氏が「冒険的なものに惹かれるのは、肉体的なものより精神的なもののほうが不滅だから。新たなスタイルを目指すチャレンジ精神こそが、フリークライミングにおける冒険ってことじゃないかな。」(『クライミングジャーナル』50号)と発言しているのに対して、吉田和正氏は「僕のやりたいのは冒険ではなくスポーツである。ビッグウォールのトレーニングではなく、ジムナスティックな困難の追求である。」(『岩と雪』134号)と発言している。
(白髪鬼はその後、中嶋徹氏によって、2006年に第3登、翌年には初RPで登られた。)
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