2014/07/24

まつど岳人倶楽部の誕生

「はじまりはいつも三ッ峠」

まつど岳人倶楽部の誕生は2000年10月。

『私たちはスケールの大きな「岳人」になりたい。「クライマー」でも「登山者」でもなく、ましてや「ハイカー」でもない。山に憧れ、山を畏敬しながら、自由に山々を闊歩できる岳人。熱きマイアルピニズムをいつも胸に抱いて、どこまでも、より高みを目指してやまない強い「岳人」になりたいんです。友へ。これからも、いつまでも大いなる夢の続きを見よう!』(会報「岳人REPORT」1号より)

基本方針の中心には『岳人』『マイアルピニズム』『仲間』という3つのキーワードを据えた。
『岳人』つまり総合山岳人としてのアルパインクライミングを標榜して、自分の力と技術で山に登ることに喜びを感じ、一歩ずつ、でも確かな足取りで経験と自信を積み重ねて成長していくことを『マイアルピニズム』と呼んだ。
そして、共に夢を形にしていく大切な『仲間』。その輪を広げ、新しい出会いを楽しみながら、先輩から後輩へ、後輩からさらに後輩へと受け継いでいくという「登山文化の継承と発展」もテーマとした。

不安なんか無かった。山や会にかける情熱は人一倍強い4人だったから。
こうして、まつど岳人倶楽部はスタートした。

01-MGC設立

創立記念山行、2000/10/21~22。四季楽園にて持参した「立山」を飲みながら、新しい会の抱負を熱く語り合う4人。(たまたま後ろに写っているのは大森さん)

三ッ峠・四季楽園と屏風岩のヌシ

三ッ峠・四季楽園のご主人(ヒロシさん)と奥さん(ルリコさん)。95年頃からお世話になっています。

まつど岳人倶楽部を立ち上げる前には、何度も四季楽園に来て、「あ~だこ~だ」と言いながら(そして飲みながら)、会の名前や理念などを話し合って、しまいには酔っぱらってよく喧嘩しました。

そして、三ッ峠の屏風岩と言えば、プロガイドの堀田弘司さん(RCCII)と、自称、"正真正銘ニセガイド"の佐藤正二さん。今でも四季楽園に行けば会えそうな気がする、懐かしい2人のヌシ。

四季楽園にて、2000/11/03~04。

02-四季楽園
02-堀田ガイド

 

待望の新人と三ッ峠岩トレ、土浦食堂

03-タミ例会に最初にやってきたのは、学習院現役女子大生のブ~ちゃんことタミちゃん。
「チョー可愛い~!」とオジチャンたち多いにはしゃぐ。
(その後も続々と学生たちが入会してくることになろうとは、その時は思いもしませんでした。)

そして、訓練山行はいつもの三ッ峠、帰りはいつもの河口湖駅前の土浦食堂へ。

土浦食堂は、かの長谷川恒男や森田勝がオバちゃんを慕って足しげく通ったそうです。(店内には三大北壁の写真あり)

岩トレのあと、土浦食堂にて看板娘とパチリ(キジ玉坂の3人は七賢を一升瓶で)
2001/04/21~22。

03-土浦食堂

新しい仲間と楽しい飲み会in天狗

松戸市民会館での例会の後は、いつも「天狗」で飲みニケーション。

2001年の入会は、タミちゃん以外にも、超美人のふ~ちゃん、茶髪ロン毛の松ちゃん19歳。
三ッ峠でふ~ちゃんに捕獲された「山を遊びつくせ!」の著者の柏瀬祐之氏も登場、その後、顧問に就任。「ねぇねぇ、顧問になると、なんかイイコトあるの?」

例会後の天狗にて、2001/11/14かな。

04-天狗

飲み会メンバーで、八ヶ岳アイスクライミング(2001年12月)。

04-八ヶ岳

04-柏瀬さん

超美人のふ~ちゃんに捕獲された時の柏瀬さん。 三ッ峠屏風岩にて。

若い衆のリーダーとなるカッチンが入会

天狗の鈴木店長の紹介で、バイトの盛山くんが入会。
千葉大ではキャンピングツアー部に所属。入会当初から若い衆たちの中ではリーダー的存在で、今ではまつど岳人倶楽部の二代目代表。
玉ちゃんが充(みつる)と克(かつみ)と勘違いしてカッチンとなる。

カッチン、そして松ちゃんと一緒に冬期バリエーション。冬の本チャンの始まりはいつも八ヶ岳。

阿弥陀岳北稜 2002/01/19~20。

05-北稜
05-北稜3

05-山荘
八ヶ岳と言えば、赤岳山荘のオバちゃん。

入山時には名物肉うどんと漫画タイム。
「いつまでもお勉強しないで早く行け行け!」とけしかけられる。

下山時にも名物肉うどんとビール。
「たいして美味くないずら?」
「いやいや、なかなかの絶品ですよ。」

夏の本チャンで一ノ倉と北岳バットレスへ

夏の本チャンの始まりは一ノ倉沢烏帽子沢奥壁の南稜へ。
「オレ、岩登りやりたかったんっスよ~!」とカッチン。
カッチンに続いて入会したイッコウは、本名が「キヨキイッピョウ」で別名だいじん。

烏帽子沢奥壁南稜、2002/05/06。

06-一ノ倉


烏帽子沢奥壁中央カンテ、2002/09/21~22

06-ビバーク5月に南稜に行けなかった松ちゃんは、8月にワシらとともに衝立岩中央稜をオールリード。

そして、若い衆3人だけで初めて登った本チャンルートが、9月の烏帽子沢奥壁中央カンテ。
同じ日に奥壁ダイレクトルートを登っていたワシらは、南稜終了点の一段上にある広いテラスで彼らを待った。

19時30分頃に合流、みんなでビバークする。滝沢スラブではヘッドランプの灯りがずっと揺れていた。

このビバークで、イッコウは長年愛用していたゴムテックス雨具に限界を感じ、最先端のゴアテックス雨具を買いに走ったのは言うまでもない。

<このときのワシらの報告へ>


お次の夏の本チャンは北岳バットレス。男子学生3人とはピラミッドフェースへ。

白根御池キャンプ場、2002/10/12~14。

06-バットレス


タミちゃんとふ~ちゃんは前年の2001年にそれぞれ第4尾根主稜へ。ワシら元気だった。

06-タミ

2001/10/06~08(玉谷、坂本、高木)、 2001/10/13~14(玉谷、坂本、深田)。

会報「岳人REPORT」

会を作ると同時に、会報も発行することにした。
創刊号は100部を4人で手作り。早速、山岳雑誌で紹介される。

編集作業は嫌いじゃなかったけど、世の流れで山行報告もホームページ上に替わり、12号でほぼ終了、13号で2カ年分をまとめた後に完全終了となる。

1周年記念で手拭いに会の名前を染め塗りした時には、松ちゃん初登場。その後の編集作業で若い衆たちと一緒に印刷、ホッチキス止めしたのが懐かしい。

創刊号の他にも、3号や8号、10、11、13号が山岳雑誌で紹介された。こうして並べて見ると結構いいでしょ。

22-会報

詐話師氏と行く「沢登りは発見の歓び」

登山界のトリックスター「詐話(沢)師氏」こと柏瀬さんと遡行図のない沢登りへ。
2002年の春にはイッコウの他に山岳雑誌に掲載された会報を見た岡光圀氏(当時65歳)も入会。下がってきた平均年齢を強いエネルギーで一気に押し上げる。ハンマーやアックス、ワラジも器用に自作するので、愛称は「わらじぃ」。

帝釈山系 尾名沢、2002/06/29~30。

07-尾名沢2
07-尾名沢


柏瀬さんからは、アブミや雪上訓練などの指導や、からくりヌンチャク、アイスクライミングのフッキングシステムなどのコツやテクニックを伝授していただいた。

マチガ沢で雪上訓練、2002/04/20(中野、林、玉谷、坂本、深田、松澤、盛山、日置、柏瀬)

07-雪訓


そして、2002年の秋には海老ちゃんが入会。
まつど岳人倶楽部のこの時代、フリークライミング力はダントツで、一同多いに刺激される。バスケットボールチームのトレーナーをしていた海老ちゃんは何とオリンピックにも同行。

07-海老ちゃん

若い衆とプロガイドにセルフレスキューを習う

ワシらにとって未知な部分がレスキューであった。
登攀経験はあっても遭難事故の経験はない。関連する本を読んでもしっくり来ない。そこで、その部分についてはプロガイドの力を借りることにした。

最初は2001年。会の設立メンバーだけで、雪上と岩場のセルフレスキューを有持ガイドに習いに行った。そして、若い衆が数人入った2003年には堤信夫ガイドを講師に迎え、彼らとともに講習を受けることにした。

入会したての東大生ゴルゴはNewロープを持って参加。東大=赤門=レッド吉田=ゴルゴ。当時さわやか笑顔のゴルゴと可愛らしい松ちゃんに注目。(この後、また東大生が入会するとは・・・)

丹沢山岳スポーツセンター 2003/08/30~31。

08-訓練

08-訓練2


ゴルゴの少し前に入会したのがスキーの名手ヤンマー。
苗字に柴が付くので、芝刈り機=ヤンマーと命名される。初めての雪稜、阿弥陀岳南稜では小キジをした後にレモンのかき氷みたいだ、と喜んでいた。

阿弥陀岳南稜(2003/02/15~16、林、玉谷、坂本、松澤、盛山、岡、柴崎)

08-阿弥陀


仙人沢でのアイス転じて蔵王坊平ライザスキー場で新旧対決スキー大会。
(2003/03/08~09、中野、林、玉谷、坂本、深田、盛山、松澤、日置、岡、柴崎、柏瀬)

08-スキー

クライマーの宿「庵・鹿川」を訪問

会を作って3年目。まつど岳人倶楽部で初めて飛行機に乗って九州へ。
いやいや飲んで騒いで登った飲んだ・・・。二日酔いの翌朝、「Beer or coffee?」もちろん「Beer please!」

宮崎 庵・鹿川にて、2003/11/01~03。
(中野、玉谷、坂本、深田、盛山、松澤、岡、森、柏瀬さん)

09-庵1
09-庵2