アルパインクライミングレポート
槍ヶ岳 北鎌尾根
日 程: 1998年12月29日(火)~1999年1月3日(日) 前夜発 5泊6日
メンツ:坂本多鶴(記)、玉谷和縛
去年のゴールデンウィークに敗退した北鎌尾根に冬期に挑戦することになった。より条件の厳しい時期に行けるのだろうか…なんて考えずに、今まで揃えた装備や経験した技術で登れるはずだ…なんて考えてたけど、長かった。鼻のまわりが軽い凍傷になり、手足の指先もしびれたけど、今は本当の冬山に登れたんだ…という気持ち。
12月28日(月) 夜行で出発
新宿駅23:50(急行アルプス)信濃大町駅5:00
いよいよ出発。新宿駅で誰かいないかなぁ…とうろついたけど誰にも会わず。
12月29日(火) 七倉から千天出合1600mまで<晴れのち小雪>
信濃大町駅5:10(タクシー約7000円)七倉5:50/6:10 高瀬ダム7:30 湯俣11:00千天出合15:30
大町駅で山岳救助隊の人に計画書を提出すると、取付で天気が悪かったら戻ってくださいね、と言われる。この時期は七倉までしか車が入らない。登山指導所でお茶をいただいて、25日にヘリで撮影した槍ヶ岳周辺のビデオを見せてもらう。指導所のおじさんによると、27日に悪くなるという予報もはずれ、ここのところ良い天気が続いているそうだ。
ボツボツとタクシーが到着して登山者が入ってくる。とりあえず、ヘッデンをつけて一番に出発。登山口の湯俣まではとにかくテクテクと歩かなければならない。走り抜けるように2人組、G登攀クラブの4人、強力そうなリーダーがトップを歩く5人組が我々を抜かしていった。皆すごい体力…とがっくりする。
湯俣からは水俣川沿いの道なき道。底板の傷んだ吊り橋を渡って左岸に移り、すぐに笹ヤブの踏み跡に入る。中東沢出合辺りで河原に降りると、強力リーダーの5人組がいた。ここはGWに最初に渡渉した1枚岩だが、少し下流に数本の木が対岸に渡してあり、5人組はここを渡っていった。我々もアイゼンをつけてトライするが3m程の川幅は荷物を背負ったままではバランスが悪く、空身で渡って荷物を受け渡してクリアする。
しばらく歩くと、北鎌を下降してきたパーティに出会った。この先も数回渡渉するけど問題ないと聞いてホッとする。実際、部分部分には木が渡してあったり、水量も20~30cm位だったりで、1度も靴を脱ぐことなく歩けた。午後になると、青空が消えて小雪がぱらついてきた。P2基部まで行く予定だったが、千天出合までとする。5人組は基部まで行くと去っていった。G登攀クラブも基部まで行ったのだろう。我々のすぐ後に若者2人が到着。彼らも北鎌尾根は初めてだそうだ。ここで様子を見たほうがいいよね、なんて話す。出合には5パーティ位が幕営。
12月30日(水) 千天出合からP3・2300mまで<1日中小雪>
千天出合6:10 P2の肩l2:30 P3地点15:30
4時に起床。昨日からの小雪がまだ降っている。20~30cm積もったかな。1パーティだけ出発したようで(たぶん2人組)、我々も後を追う。天上沢の河原沿いに歩くが、ふかふかの雪に濡れてしまう。P2基部の手前で左岸に移ると幕営跡があった。若者たちもやってきた。一番緩傾斜な部分を登るのだが(赤布あり)急登。ところどころ木の枝や根っこを掴みながら身体を持ち上げる。上部近くで斜面が少し凍っている部分になったのでザイルを出す。しばらく登ると平坦になってP2の肩に出た。
相変わらず小雪が散らつくし、時折強い風がビュウ。若者達は幕営するかどうか迷っている。私たちもどうしようかあと悩む。まだ昼だし、P3までは樹林帯なので、幕営しても風は防げるだろうし、前のパーティのトレースが消えるのも不安なので、取りあえず様子を見ながら登ることにする。彼らも登ってくる。傾斜の強い部分が出てきたので、またザイルを出す。左上部に見える尾根ヘトラバース気味に登って、さらにひと登りするとP3に出た。少し下ったコルに若者、我々は岩かげにテントを張る。
今日ザイルを出した場所はフィックスロープが雪の下に見え隠れしていた。標高2300mを越えたので、テントの中に入ってもオーバーヤッケや靴を脱ぐ気になれない。コンロもひとつだけでは全然暖かくないので、2つとも点火。この日行動を共にした若者は早稲田の学生、秋山君と伊藤君。なんと、伊藤君は斎藤義則のクラスメイトだそうだ。
12月31日(木) P3からP9・2700mまで<曇り>
P3地点7:15 P4地点 8:20 P9地点15:00
4時起床。今朝は曇っているけど降っていない。ふかふか雪のラッセルしながらP4を目指す。ピークを越えると幕営跡があった。昨日のラッセルがかなり大変だったらしい。P5のトラバース(天上沢側)を見ると5人組とG登攀がいた。一昨日からの雪でルートづくりに時間がかかっているようだが、トップの5人組リーダーはガンガン力強く登っていく。P5と6の鞍部で4パーティが合流。力強いリーダーはガイドの森中氏だそうだ。G登攀のリーダーに「北鎌は初めてか。独標で迷うと5~6時間かかるから、俺達の後をついてこい…」。私たちも入山時に言われました、「北鎌に行くのか、頑張れよ。俺達も北鎌だ…」。
P6の千丈沢側から稜線上に出て、P7からは5mのクライムダウンと15mの懸垂下降。ガイドパーティ、若者、G登拳が続く。Gのリーダー鈴木才吉さんは我々にロープを提供してくれた。下降したところが北鎌のコル。ここからのトレースもほとんどが森中ガイドによって作られていく。雪壁を登り広いピークに出ると核心の独標が姿を現した。「ここがP9だ、ここから独標まで幕営地はない」と森中ガイド。次々にテントが張られ、全部で7パーティになった。2700mを越えた夜。今夜も寒い。シュラフは外気よりは暖かいのだろうが、触ると冷たい。目出帽をかぶって、手袋も2枚重で、プラブーツのインナー履いて寝る。
1月18日(金) P9から北鎌平・3000mまで<晴れ風強し>
P9地点7:50 独標10:30 北鎌平15:15
今日は青空だが、風が強い。まず、単独の人が出発していった。テントの外に出るけど、寒くてまた入ってしまう。Gの人も出たので、我々も出発する。独標の基部から千丈沢側に単独者のトラバース跡が見える。森中ガイドはルンゼの直上(碓保支点あり)を登っているので、G登攀のあと我々もそこを登ることにする。風がビュウビュウ吹き込んで寒い。マユゲやマツゲに氷粒がついてたり、凍った鼻水がぶらさがったり、皆すごい顔だ。指先が凍りそうなので、手袋の中でぎゅって握る。暖めて手袋に戻すと手袋が凍っている。
やっと我々の順番になる。15mほどの雪のルンゼはダブルアックスでクリア。登りきると、また風がビュウビュウ。若者やその他のパーティは順番待ちをさけて、トラバース跡を目指していった。独標ピークの陽だまりにつくとGの面々がいた。久し振りに風がしのげてホッとする。この先のP11から14は岩峰群だが、風の強い千丈沢側をトラバースしなければならない。黒々と聳える槍ヶ岳が遠くに見える。その手前のP15までポツポツと人が見える。もう、あそこまで行っているんだなぁ、自分達はどこまで行けるかなぁ、と思う。
P13まで来ると、トレースが岩直上と千丈側トラバースの雪壁にわかれた。岩直上はG登攀で時間がかかりそうだったので、しばらく待ったが雪壁に行く。2つはピークで合流していた。P15まではしばらく雪が少なくなり岩稜。遠くに見えた槍ヶ岳もだいぶ近くなった。北鎌平に出ると、流されそうな強風。天上沢沿いの岩かげにテントが2張。一番奥を整地して我々も張る。落ちると天上沢へまっしぐら。30分程遅れてGの人たちも来た。若者や森中ガイドは肩の小屋までいったのだろう。玉ちゃんも肩まで行けただろうになぁ、と思うと自分が相棒なのが情けなくなってくるが、1日中風にビュウビュウ吹かれてクタクタ。ザックの中のハムもとうとう凍った。浜松労山3人、ぶなの会の2人、G登攀4人、我々2人の4パーティが幕営。七倉から入って、4日かけてやっと3000m。明日は槍ヶ岳山頂だ。
1月2日(土) 北鎌平から登頂(3180m)して槍平・2000mまで<小雪風強し>
北鎌平8:00槍ヶ岳山頂12:00 肩の小屋13:00/14:00槍平17:00
テントから顔を出すと、真っ白で視界が悪い。浜松がまず出発した。我々、G登攀が後に続く。千丈沢から最初の岩を巻き込んだら稜線上に出る。緩傾斜が終わると、岩の基部で浜松が登攀準備していた。視界はよくないし、相変わらず風はビュウビュウ吹くけど、昨日の寒さよりずっとましだ。浜松が登ると、ぶなの人が登ってきた。G登攀の人たちは遅れているらしいが、来ていると聞いて安心する。彼らのパーティは入山直後からひとり体調が悪いのだ。
次の確保支点40mまで2ピッチで登り、ルンゼ通しに岩と雪のミックスを登ると、岩の直上と左側ヘトラバースするルートになる。浜松は直上に行ったが、我々とぶなの人はトラバース。登りきって振り返ると、ひょっこり山頂の祠があった。浜松の姿はもうないが、Gのリーダーが登ってきたのを見て、ぶなの人に続き我々も下降する。山頂で喜び合うなんて状態ではない。風はだんだん強くなってくる。視界が悪いのでぶなの人を追いながら、道を見失わないように注意する。肩の小屋の冬期小屋に入ってホッと一息。小屋から槍の穂先が見えないくらい視界が悪い。
もう着いていいはずのGが来ないので、4人で心配する。私たちが降りてきた時より視界も風も悪くなってきているのに…。小屋の入口から覗いていると、一瞬ガスが切れた時に2人が見えた。リーダーともうひとりが降りてきたようだ。リーダーはもう一度戻って、お~いと叫んでいる。また、ガスが切れた時にあとの2人が降りてくるのが見えた。よかったぁ。4人が小屋に入って来た。「ここから先は大丈夫だぞ、あとは低い所を目指して下降すればいいんだ・・・」鈴木才吉リーダーが言った。
先に下降したと思ってた浜松が小屋に戻ってきた。大喰西尾根を下降しようとしたが、風であおられて降りれない、飛騨沢も無理だろうといいながら、小屋の奥に入っていった。リーダーらしき人は指先が凍傷で少し黒くなっていた。ぶなの会の2人組は竹内さんと年配の日立さん。日立さんが「じゃあ飛騨沢を降りるか」と言うので、「私たちもご一緒していいですか?」と聞く。竹内さんは去年も飛騨沢を下降したそうだ。竹内さんトップで出発する。飛騨乗越の標識から下降開始。雪がバチバチと顔にあたって痛い。小柄な竹内さんは迷いもせずにガンガン下降していく。目の前は真っ白だけど、風は少しずつ弱くなっていく。振り返ると、後ろからGもやってくる。一緒に登頂した仲間みんなで降りてこられて本当に良かった。
沢の下部になってくると、股ぐらいの雪になってきた。竹内さん、玉ちゃん、G登攀のリーダーたちがラッセルで進んでいく。槍平が近づいてくるとトレースが出てきた。薄暗くなるくらいに槍平に着いた。冬期小屋はいっぱいで周りにもテントが2~3張。 G登攀とぶなは今日中に新穂高に降りるという。我々はここで幕営します、とお礼をいう。素晴らしい人たちと一緒に登頂できて、なんてラッキーなんだろう。2000m地点の夜。今までは凍っていた物達が、今度は濡れていて冷たい。ガスも暖をとるのに使ったため、あとボンベに少し。朝ごはんは行動食でもいいよねって、暖をとるのに使ってしまう。
1月3日(日) 槍平から新穂高温泉へ<小雪のち晴れ>
槍平8:00 新穂高温泉11:30/12:30(タクシー約23000円)松本駅13:30/14:23(特急あずさ)新宿駅
ガスがないので、残りのロウソクを全部灯して暖をとり、行動食を食べて出発。小雪が散らつくけど、トレースはあるし、風は強くないし、昨日までとは別世界のようだ。穂高平小屋で温かいラーメンを食べてホッ。新穂高温泉で全身を温めてホ~ッ。松本でトンカツを食べて、臨時のあずさでゆったりと座った。終点の新宿釈。登山者グループを眺めると、吉尾さん、山口さん、米ちゃん、神田の大江さんではないか。私たちの最初のクラシックルート谷川岳南稜につれていってもらった吉尾さんと山口さんにここで会うなんて。これは良かったよって事?
今回感じたこと
色々なパーティに出会った。森中ガイド率いるパーティは、森中氏はどんな状況でもどこでも登れるんだろうなぁってくらいにすごいんだけど、パーティ内に血が通っていないような無機質な感じがした。G登攀クラブはリーダーの熱い血がとても感じられて、「Gも行くぜぇ」「Gらしくないなぁ」って会話もパーティだった。才吉さんは入会2年目というのに本当にリーダーらしく、男も惚れるようないいヤツって感じで、彼を見て他のメンバーも人間らしさ溢れる素晴らしいリーダーになっていくんだろうなぁ、って思えた。早稲田の学生パーティは仲間っていうより友達って感じだったけど、まだ恐いものもなく本当に素直な感じで、若いっていいなぁ…。浜松パーティは山の状況が悪かったこともあるんだろうけど、なんかピリピリしてて話しかけにくい雰囲気で恐かった。ぶなパーティはベテランさんで全体に余裕が感じられて、きっとどういう状況でも山を楽しまれるのでしょうね…、う~んこうあらねばならぬのか…という感じです。玉ちゃんと私のパーティはどういう風に見えたんだろうなぁ。他のパーティにも安心感を与えられるような温かいパーティになりたいな・・・。そのためには、体力もつけないと…。たくさん書いてごめんなさい。
「冬の北鎌尾根」俺にも書かせろ! 玉谷和博(記)
憧れていた。ずっと…。夏に、そして冬に槍ヶ岳の頂上にある祠のうしろに見つけたキタカマ→のペンキ。「こんな恐いところから登る人がいるんだ」と知り、気になっていた。それから「風雪のビバーク」の松濤明や、加藤文太郎らの壮絶な舞台としても有名な大クラシックルート。いつかは登ってみたい。どうしても積雪期、それもできれば冬に攀じりたい。冬の北鎌尾根。いつかは・・・。
昨年5月の連休に敗退してから、こんなにも早く実現するとは思いもしなかった。まだ早いんじゃないか?とても不安はありました。だけども「今だ!俺たちならば行ける。いま登りたいんだ」という強烈な情熱が不安をすこしづつ融かしてくれた。思い出していた。そう昨年の5月、湯俣からのアプローチの天上沢の渡渉でヘソを越えるほど深い雪融け水に流されて溺死寸前に。さらに退路を断たれてやむなく激ヤブに突っ込んで、やっとの思いで逃げ帰ったこと。いや、それだけじゃない。初めて雪山に連れていってもらった頃のこと。「脱!初級雪山」だ、と謳って登っていたあの山、この山。そして八ヶ岳西面での一連の登攀や一ノ倉沢一・二ノ沢中間リッジや白馬主稜。ずっと思い出していた。総決算のような、中間試験のような。アルパインクライマーの登竜門にようやくたどり着いたような。
今、ここにいる。いま北鎌尾根に俺、登ってるんだ。夢のように長かった。夢のようで短かった。来てよかった。沢・氷・岩・雪といろんな要素がぎっしりとつまっていた。ルートなんてその時の状況によって常に変わると教えてくれた、湯俣からのアプローチ。すべてが凍りつきそうなほど寒い吹雪のなかの長い長い登攀と、ホワイトアウトの下降。プロガイドのパワーを見せつけられた森中さん。登攀系山岳会の凄さをみたG登攀クラブと、人間的魅力あふれる熱いリーダーの鈴木才吉さん。(G登攀クラブの主カメンバーはパチンコルートへ行っていて、才吉さんは入会まだ2年目で新人二人を連れていた)ベテランの余裕を見た、ぶなの会の竹内さん…。他のパーティーにもいろんなことを教えてもらった。才吉さんが、「すげぇ所に来ちゃったなぁ。内容が全然上ですよ」竹内さんが頂上直下で言った。「これは(この天気のなかで登るのは)価値がありますよ」
冬の北鎌尾根はデカい、恐い、寒い、厳しい。だけど噂通りの素晴らしいルートでした。そして、そこには共に夢を追うパートナーがいることに感謝。
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