<倉橋隊にお世話になったクライミングレポート> 一の倉尾根(冬期グレード3級)
1999年3月20日(土)~22日(月) 前夜発2泊3日
倉橋隊:倉橋、長谷川(墨田山の会)、石野(富山勤労者山岳連盟)、森(松戸山の会)
我 々:坂本(記)、玉谷
19日 上野駅22:40(新幹線)上毛高原駅23:39(タクシー)ロープウェイ駅24:30
20日 出発6:45 出合8:00~9:30 ビバーク地15:30
21日 出発7:00 懸垂岩基部8:00 一の倉岳15:00 肩の小屋18:00
22日 出発12:30 指導センター14:45
金曜日の夜、谷川岳ロープウェイ駅のそばにテントを張る。ゴーゴーうなる風が谷川岳だと何だか恐い。
土曜日の朝、谷川岳指導センターで仮眠したパーティには出発する気配がないが、取りあえず一の倉沢出合まで入る。風が強いので出合の避難小屋で様子を見ていると、森クンを含む倉橋隊が入って来た。悩んでいる我々に倉橋隊長が登ろうというので、準備を始める。
一の倉尾根の取付き方には3通りあるが、出合を越えて最初の尾根を回り込んだなだらかな支稜線を目指した。ヤブも薄く雪も結構しまっているが、支稜線と言えども、一の倉沢側には雪庇が出ている。稜線に出てからも思ったほど風は強くなく、じきに岩峰群の基部に到着する。
この第一岩峰からザイルを出す。ここで、隊長に一緒のザイルで登っていいよ、と言われて…(・・;)。まず、雪のルンゼを1ピッチで支点があり、その左の岩を乗越して笹ヤブを左上すると小ピークに出る。小ピークと笹ヤブの中間にも支点があった。いったん鞍部に降りて、次の小ピークへは木の根を掴みながらの登りだが、甘いのがあるので注意。そして、次の小ピークの右手に7mの懸垂支点がある。最後のピークは下降で足が遠いのでいやらしい。その先にはツェルトビバークが可能な岩かげがあった。次のピッチは凹角の草付。草が剥げやすくスタンスがとりにくい。登った左には支点と小テラスがある。我々はこのテラス、倉橋隊は1ピッチ下がった岩かげでビバークする。我々がテントだったために状態のいい場所をもらってしまった。
日曜日の朝、森クンの声がかかり、テントを撤収する。岩の右側を登ると懸垂岩の基部。ここも小テントでのビバーク可能だ。岩の正面はアブミルートで、左側の雪のルンゼからも登れる。1ピッチ左上すると確保支点があり、人工登攀になる。中間支点が遠い箇所には残置シュリンゲがぶらさがっているが、抜け口には何もないので、バイルが有効だ。20mで支点があり、さらに2段登ると核心の岩場は終了である。この岩場を全員が越えるのに4時間かかる。なお、左のルンゼを登っても同じ地点に合流する。
ここからヤブを左上して、雪のルンゼを2ピッチのあと、しばらく岩稜になる。稜線左側の2mほどの岩を乗越して、ルンゼを1本トラバ一スすると、幅20m×高200mのダイレクトルンゼ。ダブルアックスで登り切ると5ルンゼの頭との鞍部。岩稜が雪稜になってきたら一の倉岳。岩稜の途中にも小テントを張れそうな岩かげがあった。
明日は今日より天気が悪いので肩の小屋を目指す。肩の小屋には近藤隊長を含む東尾根隊4名がいて、酒飲んでた。その4名と倉橋隊のうち3名は労山のナンガパルパット隊なんです。
月曜日の朝、すごい風。森クンに天神尾根から下山する予定だから、と伝える。彼らは西黒尾根。12時になっても風は相変わらずで、2時になっても弱まらなかったら停滞だなあ(携帯電話が通じていたため)、せっかく登ったのに吹き飛ばされたらやだしなあ、などと考える。なのに、一緒に降りようと言われて、またご一緒させてもらうことにしてしまった(・・;)。今回は完全に受け身の体勢で全く情けない。
今回の山行は時間がかかりすぎましたが、6人は多いですよね。倉橋隊長はスピーディさを考えながらも、慎重に行動していたのに我々2人が加わったせいで、時間的なあせりも感じていたのではないでしょうか。でも、私にとっては貴重な経験です。力あるリーダーと一緒だったので、もし○○したらどうしよう…という不安を感じることなく登ることができました。客観的に見て、それは悪いことかもしれないけど、私と言えば経験を積めば積むほど恐くなっている状態だったので、恐さを感じることなく登りに専念させてもらえたことは非常にうれしいことなのです。周りに対する注意力を倉橋隊長に半分以上預けてしまったので、自分の技術や体力をただ使えばいい状態になれました。
一の倉尾根は来年また登って、今度は2日で下山します。体調と大腸が好調じゃなかった玉ちゃんもそう思っているよね。あと、今年の谷川岳とバットレス。ザイルの仲間で行きますが、人数が多い場合、少しでもスピーディに行動できるよう、各自の心構えが必要ですね。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。