アルパインクライミング
3/24~25 南八ヶ岳-大同心正面壁雲稜ルート
メンバー: L玉谷和博(記)、SL:坂本多鶴
ついに大同心雲稜ルートに挑戦する日がやってきた。大袈裟なんかじゃない。「まずは八ヶ岳から始めよう」と冬のバリエーションをめざし自分たちの足で歩き始めた日から、このルートは八ヶ岳の最終目標として考えていた。だけどプランをたてて2年ごし。北鎌、前穂北尾根、一ノ倉尾根…、登っても登っても大同心雲稜ルートにはなかなか踏み込めずにいた。今年に入ってからも、天気が悪いからとか、雪稜のほうがやりたいからとか、アイスクライミングをやらなければ、とか…なんとなく言い訳をしながら延ばし延ばしになっていたのです。で、もう来週は4月になっちゃうし、この日を逃したらまた来年に持ち越しになっちまう。天気も良さそうだし、もう言い訳はできない。気がついたらもう季節は変わろうとしていた。「絶対に登ってやるぞ!」
3/24(土)松戸駅6:15=(JR)秋葉原駅7:14=(JR)茅野駅9:52/10:17=(バス)美濃戸口11:04/11:10 赤岳山荘12:00/12:40 赤岳鉱泉14:40 快晴[小屋泊まり]
「マイアルピニズムとは自分のカで挑戦することだ…でも恐いんだな、これが。」
大同心の正面壁は「八ヶ岳では唯一の冬期岩壁登攀。比較的難しくルートも長い方で、特に雲稜ルートは人気ルート」だ。しかし「全体的に脆い岩質」というのが妙に引っ掛かっていた。前号で僕は“壁だけの短いルート”、“簡単に登れてしまうのが初めからわかっているようなお買得ルート”というようなことを書いたけど、「登ってから言えよ!」と怒られそうだ。少し訂正させてください。本当は雲稜ルートに行くのがとても恐かったのです。冬壁入門ルートとはいえ、やはり恐い。僕らはまだまだ自信もないし経験不足なのです。自分で壁にぶつかっていかなければ。そして地道にそうした経験を積み重ねていかなければ、自信なんてものは身につかないってことを重々知ってはいるんだけども・・・。
バスに揺られて美濃戸口へ。2ケ月ぶりの八ヶ岳。寒くて厳しい積雪期は去り、もう残雪な感じの陽気である。いつものように赤岳山荘のオバちゃんとこで名物の肉うどんを食べていく。赤岳鉱泉は珍しく空いていた。逆にテン場はけっこう混んでいる。ようやく訪れた残雪の山をテントで楽しもうという人が多いのかもしれない。雪は例年よりもかなり多い。大分融けたらしいけど深い所で2~3mは多いと思う。明日の登攀を楽しみにしながら(いや、やめてしまいたくなるような緊張感を紛らわす為に?)お酒をたっぷり流し込んで、この日は早めに眠りについた。
3/25(日)赤岳鉱泉4:10~大同心稜~大同心の基部6:30/7:00~大同心正面壁雲稜ルート~大同心の頂上16:00/16:05 硫黄岳17:30 赤岳鉱泉18:30/18:35 赤岳山荘19:30/19:40=(車)茅野駅20:10/20:28小淵沢駅=(JR)新宿駅22:40/22:45=(JR)松戸駅23:30 曇りのち雪
「ついに登った。俺たちが?大同心の雲稜ルートだぜ?」
3時に起床。自炊室でカップラーメンを食べてから出発する。小屋はまだシーンと寝静まっている。外に出ると、暗闇に星が少しまたたいていた。一番乗りはいつものことだ。登攀スピードが遅いのでできるだけ早く取り付かないと帰ってこれなくなってしまうから。いつもそうだった。どのルートも先頭で迷いながらもラッセルをしてきた。いつもと違うのは2月ほどの厳しい寒さじゃないってこと。(大同心南稜と阿弥陀北稜の時は、なんとマイナス26度!だった。)アイゼンを効かせて大同心稜を登っていく。暗闇の急登を登っても登ってもなかなか上が見えてこない。朝一の急登はキツイ。振り返ると遠くに茅野の町の灯が見える。
やがて樹林帯を抜ける頃になると、いつの間にか夜があけてあたりが白んできた。ふと見上げれば黒々とそびえ立つ大同心が!高さ約150m。「思ったほど大きくないな。」と思った。そしてその後すぐに「こんなトコ本当に登れるんだろうか?」とも思う。
大同心の基部でギアをつける。メットをかぶり、ハーネスをつける。頭と体はバラバラで、体は黙々と登攀の準備をしているのに頭の中では「温泉にでも浸かって早く帰ろう。」と逃げ出したい気持ちが首をもたげてくる。なんとなく胃が痛い。パートナーの多鶴ちゃんは大キジばかり行っている。「玉ちゃ~ん。なんか天気悪くなってきたよ~」と言う。きっと同じことを考えているんだろう。わざと聞こえないふりをしてギアラックを肩に掛けた。あたりはすっかり濃いガスに包まれて、気温もグッと下がってきた。「さあ行くか」基部から草付バンドを左下に30mばかり下ったところが雲稜ルートの取付点だ。ボルトが1本しかないから、クラックにエイリアンをセットしてビレイの支点にした。頭上に見える小さいハングにシュリンゲがたれている。
1ピッチ目(Ⅳ級A1)は鶴リードで登りだす。いったん左から回りこんでから、急なフェースをフリーで10mほど直上。小さな岩が無数に埋め込まれたような壁で、ホールドは意外と多い。アイゼンと手袋をしていても充分いける。張り出しの小さいハングの下でアブミを取り出し、いよいよA1。ピンは割と近いのでアブミの最上段に立ちこむことはないけれど、「岩も支点もモロい」と聞いていたし、確かに支点のボルトやハーケンはかなリボロい。グラグラのハーケンや、いまにも千切れてしまいそうな2mmの腐った極細の紐にだましだましアブミを掛けてずり上がっていく。(もっと慎重にネイリングをしなければヤバイことは頭ではわかっているんだけども・・・。)
「カラン、カラン、」とプレートアブミの音を響かせながらザイルを25mのばしたテラスでビレイ解除。ガヤガヤと声がするので下を見ると、ザイルでアンザイレンされた10人ほどのパーティーが大同心稜を上がってきた。口々に「スッゲー」とか、「アブミだよ」とか言ってるのが聞こえる。よく見るとセ桑原清ガイドパーティーだ。そう言われてみると、ガイドレスでこれまで登ってきて今ここに登ってるってことが自分自身ウソみたいで嬉しい。ガイドパーティーが小同心クラックへ行ったあと、3人パーテイーが雲稜ルートを上がってきた。後続は彼らだけだ。
玉リードの2ピッチ目は20mでⅣ級A1。左に2mトラバースし、スラブ状フェースを人工登攀で直上。
3ピッチ目は鶴リード(Ⅳ+・A0)。カンテを右に回り込んでから人工まじりでガリーを25m行けば、大テラスだ。かぶり気味の凹角から大テラスへの抜け口が悪い。ホールドにしたい岩がほとんど浮いていて、ソォ~っと押さえるようにして越える。「ここで、このルートの困難な部分は終わる」とルート図には書いてあるので一息。
4ピッチ目は玉リード。Ⅲ級25m。ピナクルを目指して右上ぎみにフリーで登っていく。“やさしいフリー”となっているので鼻歌まじりで登っていたらテラスの下でつまってしまった。ここは岩角にアブミを掛けてA1まじりで。
つづく5ピッチ目はⅣ級A0で鶴リード。テラス奥の凹角を人工とフリーを交えて右上。慎重にザイルをのばしながら20mでドーム下のバンドに達する。そのあとバンドを右へ20mほどトラバースすると、見覚えのある大同心南稜の終了点に合流した。ドームの肩だ。「あと1ピッチだ。あと1ピッチで終わるんだ。」顔は冷静を装っていたけれど興奮していた。
「もうやめて早く帰りたい」なんて弱い気持ちは、ルートに取付いた瞬間にどっかに消えていた。時計は見ないようにしていた。もうタイムリミットだということなんとなくは知っていたけれど、ここまできて降りてしまうのは絶対にイヤだったから。
最終ピッチ、ドームの登攀(Ⅳ級 A1、30m)は玉リード。「快適な人工とフリーのミックスで高度感もあり、充実した冬期登攀のフィナーレに相応しい」とか「ポピュラーでやさしい」とか書いてあったので少し甘くみていたが、実際はこのピッチこそが最大の核心部でした。
まず登り出しは5mほどのフリー。ホールドは多いけど岩が非常にもろくて、ランニングビレーが取りにくくて緊張させられる。そのあと人工で直上し右のカンテを登っていく。あいかわらずハーケン・ボルトなどの残置支点は古くてとても信用できない。落ちたら、即あの世行きという感じである。腐った極細のヒモとかグラグラのハーケンにアブミを掛ける。祈るように息をとめて体重を移し、じわ~っと乗り込む時のあの息がつまりそうな、なんともいえない緊張感は何度やっても慣れることができない。ドームはボルトラダーだと思っていたのが甘かった。ピンも遠いし、抜けてしまったのかもしれない。(多鶴ちゃんは届かなくて、バイルをヌンチャクに引っ掛けて体を持ち上げたらしい。)
このピッチにだいぶ時間がかかってしまっている。雪が降り出してきた。寒い…。後続のパーティーが、ドームをあきらめて下っていくのがチラッと見えた。「もうすぐだ…。登りたい。登りたい。登りたい。登らせてください…。」高度感がスゴイ。なるべく下は見ないようにしていた。5m上にはもう空があるのに、この最後の5mがキツかった。小さい岩角にアブミをソ~っと掛ける。ちょっとでもブレると落ちてしまいそうな、とても小さな岩のヘリに。「ヤバイよぉ。頼みますよ!」と祈りながらジワジワっとアブミに立ちこむ。そして大同心の頭への抜け口、最後のガバをつかむと、アブミを回収するのも忘れて(いや多鶴ちゃんのために残しておいたと書いておこう)、一気にフリーで越えると大同心のてっぺんに立っていた。
「マジかよ。やったよ!登ったぜ!」と思わず叫んでいた。セカンドで登ってくる多鶴ちゃんを待って健闘を祝う。ずっと憧れていた大同心雲稜会ルートについに登った。「俺たちが?雲稜ルートだぜ?」という感じだ。時間がかかったっていいじゃないか。クタクタになったって恥じることじゃない。僕らは自分たちの力だけでここまで登ってきたんだ。マイアルピニズムはここにある。
時計を見るともう4時を回ってしまった。ゆっくりしている暇はない。小雪が舞う中、風も吹き出してきた。これから明日にかけて天気が荒れるという予報通りに。ガスで視界も悪い。予定通りに大同心ルンゼ上部から下りたかったけど、少し悩んだけど硫黄岳を経由して帰ることにした。かなり時間がかかることは承知の上だ。トボトボと広大な硫黄岳の斜面を登りながら、これまでのいろんなことを思い出していた。
「連れてってくれる先輩がいない。」と嘆いていた。そして仲間を集めて『脱!初級雪山』を掲げて、3000mの冬山へと自分たちの足で恐る恐る歩きはじめた頃のことを。北岳、甲斐駒、槍、穂高…。先輩がいなくても仲間がいる。そんな大事なことに改めて気付いた。そして冬山の縦走に自信がついてくれば、当然のようにもっと困難なルートへも行ってみたくなる。「一歩でも、より先へ進んでみたい。」今度は冬のバリエーションルートへと足を踏み出していた。以来、どの山行もルート経験者がいないので、精神的なプレッシャーはいつまでたってもなくなることはない。でも、この“プレッシャー”こそが素晴らしい登攀をするためのピリ辛のスパイスになっているんだと今思っています。
「八ヶ岳はゲレンデ」だとよく言われているけれども、たしかに上級者にとってはそうかもしれない。でも、赤岳主稜も中山尾根も阿弥陀の北西稜も旭岳東稜も…いづれも恐くてドッキドキしたスパイスたっぷりの山行でした。だからいつだって充実しているのです。「また来よう。」冬の八ヶ岳にはそんなたくさんの登攀の想い出がつまっているし、まだまだ登りたいルートがたくさんあるから-。
その後、クタクタの体を引きずるようにしてようやく赤岳山荘にたどり着いたのが7時30分。「帰りの電車に間に合わないから乗ってけ!」と言うオバちゃんの好意に甘えて、僕らは赤岳山荘のオジちゃんの運転するジープに乗り込んだ。
クラッシックルートといわれる有名な岩場が年々もろくなっている。2年前の群発地震で穂高滝谷の岩場が崩れた。前穂東壁の古川ルートも崩れて無くなってしまった。ここだけじゃない。北岳バットレスのマッチ箱のコルもすでに無いし、甲斐駒の赤石沢奥壁Bフランケ~左ルンゼや谷川岳の一ノ倉沢衝立岩も近年ボロボロだという。大同心も例外ではない。それと、アルパインクライマーの減少で残置ピンが朽ちて(あるいは抜けて)しまっている。最近ではほとんどのクライマーがハーケンを打っても回収していくし。昔はボルトラダーにアブミの単純な掛け替えで登れた所が今はそう簡単にはいかなくなっているらしい。雲稜ルートから帰った翌週にセルフレスキューを習ったプロガイドの有持さんからも、「昔(10~20年前)よりも状態が悪くなり難しくなっているところが多いから、慎重にネイリングしてください。」とアドバイスを受けた。
自分の技量と相談して、登りたいトコは早く登っておきたいと思う。いま登らなければ2度と登れなくなってしまうんじゃないか?だなんて、焦り過ぎでしょうか?僕ら自身の課題(問題点)もまだまだ多い。登攀スピードもこれじゃあ遅すぎると思う。技術も体力も経験も、足りないのを感じました。(権現東稜では余裕だったのに、シクシク、、、)
『冬壁入門ルート』は充実感たっぷりの、ホロ苦デビューとなりました。「次はどこへ行こうか?」と、どちらともなく言う。谷川の一ノ倉沢中央稜?滝沢リッジ?鹿島槍の北壁主稜?剱の剱尾根? そしてさらにA2の世界へ…。
<特記事項>
- ザイルは9mm×45m、2本。
- 支点は残置ハーケン・ボルト。小さな岩角を利用してタイオフ。しかしハーケンは古くて効きが甘いものもあるし、リングの無いボルト、腐った極細シュリンゲや、もろい岩などがあるので必ずチェックをすること。
- 大同心の頭には、多数のボルトがうたれているので、雪がある場合は掘ればある。
- 核心は、なんといってもドームの登攀。時間がかかるので、肩で様子をみるといい。
- 後続パーティーがいなければ、下山には雲稜ルートを懸垂下降するのが最も早い。懸垂の支点は、それぞれしっかりしている。