北穂高岳-滝谷ドーム西壁・雲表ルート
2001年7月20日(金)~22(日) L:坂本多鶴(記)、SL:玉谷和博、中野勉
滝谷のドーム西壁はドーム正面壁とも呼ばれ、傾斜も平均斜度が80度と急である。そして、その急傾斜の壁の弱点をついて1955年8月に雲表倶楽部の望月亮、上原米蔵が初登攀した雲表ルートは、現在ではピッチ最高グレードはV、A0であるが、当時のグレードではV、A2であった。
滝谷に入るのは98年の地震の年以来。去年と一昨年は屏風を登ったので、涸沢までも来なかった。その地震の時に吉尾さんは神田の大江さん、品川三角点の宮ちゃん達と入山、別隊でちば山の飯塚と倉ちゃん、そして玉坂が涸沢に幕営した。我々は雲表ルートを登る予定だったのだが、雨や地震で吉尾さんパーティとともにドーム中央稜に入ったのである。中央稜の終了点から下降する途中、第4尾根方面でドカ~ンと大崩壊があってモクモクと白煙があがっていたけど、それがグレポンだったのか…。そして、今回はその時登ろうとしていた雲表ルート。
19日(木) 新宿駅23:54(急行アルプス)松本駅4:38
と、長々と前置きしたが、当初は北鎌尾根の予定だったのです。ところが、出発当日にメンツが減ったため、「う~ん、我々で北鎌に行ってもなぁ。じゃあ岩だ。滝谷だ!」と計画を変更した。切符を買いなおして、買出しして、計画を立て直して、装備も詰め直して、あわただしく出発したが、忘れ物もなく新宿駅に無事集合。なのに、落ち着く場所はあるんだけど、新宿駅はここ数年見ないほどの混雑ぶりで、臨時のアルプスにも座れなさそうである。とりあえず電車に乗り込んで、洗面所の下でキジ坊、上で私、連結器の上で玉ちゃん、と何とかスペースを確保して眠る。
20日(金) 松本駅5:05(松本電鉄)新島々駅5:30/45(バス)上高地6:50/7:20 徳沢9:30 ~パノラマコース~ 涸沢16:30
こんな感じで、人人人。上高地に着いても人人人。「早く人の少ないところに行きたいよぉ」(だったら来んな!と言われそうだが)と、徳沢から新村橋を渡って、残雪注意!看板のパノラマコースへと逃げ込んだ。やっと静かになって「山に来たなぁ」という気持ちになりつつも暑い暑い。奥又白との分岐でしばし清流を楽しみ、喉を潤し、時おり微風の吹く道をひたすら登る。「やっぱ、パノラマコースにして良かったねぇ」なんて言いながら、それでもダラダラ汗をかいて、屏風のコルにやっと到着。涸沢側を眺めると、アリの行列のように登山者が歩いている。「パノラマコースにして良かったねぇ」と、また叫ぶ。しかし、ここからが核心部であった。トラバース道の沢には残雪が結構あつく残っていて、最初のうちは山の斜面と雪渓の間をかろうじて通過したものの、後半は雪渓上をトラバースしなければならず、軽アイゼンの我々はザイルを出して通過した。
小屋に着くと、また混んでいる。生ビールも並んでいる。仕方がないので、缶の生ビールで喉を潤し、テン場も適地がなかったので、雪渓上にテントを張った。この日の小屋は一畳に4人の混み具合だったそうだ。電車も混んで、登山道も混んで、さらに小屋も混んで、気の毒だなぁ。我々は昨夜の睡眠不足を解消するがごとく、酒もほどほどにゆったりと眠る。
1日(土) 涸沢4:45 松濤岩コル7:15 ドーム取付8:00/9:30 ~雲表ルート~ 終了点12:30/13:00 涸沢14:30
3時起床。キジ坊は熱が出て眠れなかったみたいで具合が悪そうだ。取合えず食事をして、様子を見るためにまたしばらく眠る。4時も過ぎて「俺、寝てるから2人で登ってきて…」と言うので玉ちゃんと出発する。何だかだんだんと人数が減ってきてしまった。そもそも私たち2人は北鎌尾根とも違う別の計画をたてていたので変な感じだ。とにかく稜線に向かって歩く。最初のうちは頑張って抜かしながら歩いたが、昨日の疲れもあってだんだんとペースダウンしてくる。すれ違う男女ペアたちは、なぜか皆男が背負って女は空身、「いいなぁ」とつぶやくと、「俺たちはカップルじゃなくてパートナーだ」と胸をはって答える兄ちゃん。
北穂のテン場も越えて、やっと松濤岩コルに着く。覗き込むと、P1を横切る踏み跡がはっきりと見える。ギアをつけて下降開始。P1を横切ってC沢の左俣に入り、左、右、といいとこを選びながらガレガレの沢を下降する。沢が急になる手前、左に大岩が見えたら、その下を巻き込んでドームまでトラバースとなる。ちょっとした岩を乗越す箇所も出てくるがザイルを出すほどではなかった。ドームの手前まで来ると、男女パーティが見えた。彼らは南峰の南側から下降してきたようだ。彼らは少し下降しすぎてしまったが、雲表ルートの取り付きは隣のルートの確保支点が見えるし、ルート自体のクラックも見えているのでわかりやすいと思う。男女パーティが登るのを待って登攀開始。
1ピッチ目は坂本(40m、Ⅳ・A0)、下部はクラック沿いだが脆い。中間部で一息ついて、かじかんだ手に息を吹きかける。その先の上部は、左は支点の少ないというクラック沿い、右は人工混じりのフェース、私はクラック嫌いなので右を登り降りしながら、どう行こうかとやっている時に1mほど落ちてしまった(自分より上に支点をセットした後だったので何ともなかったが)。という訳で、シュリンゲをアブミにしてフェースを登り、再びフリーでボルトを打ったレッジに到着する。震えているだろう玉ちゃんに「ビレイ解除!」。2ピッチ目は玉ちゃん(25m、Ⅱ)、少し右上して左上したところまで。3ピッチ目は坂本(30m、Ⅲ)、リッジ上を登りきったところまでだが支点は少ない。確保支点に前のパーティがいるので、岩で支点をとって玉ちゃんを引き上げる。玉ちゃんが確保支点まで移動したので4ピッチ目は坂本(Ⅳ、30m)、クラック沿いで最後はチムニー登り。ザックがひっかかるのでズリズリずりあがる。そして、5ピッチ目の核心部は玉ちゃん(30m、Ⅵ-)。ハングを越えてクラック沿い。玉ちゃんはなぜか簡易アブミを1台持ってきていて、それとシュリンゲあぶみで越えていった。ガイドには「豪快なレイバックで…」と書いてあるが、セカンドと言えども、豪快な登りなんてできませんよ、私には。今回は1ピッチ目が少し濡れていて滑りそ~な気持ちになってたし、浮石も多かったものだから、同様にシュリンゲアブミでじわじわと越えていく。あとは簡単なピッチ(20m、Ⅲ)をドームの頭までで終了。ドームの脇からコルを乗越して下ると、登山道と合流する。
滝谷側から涸沢側に出てくると空気が暖かい。キジ坊は大丈夫かなぁ、「探さないで下さい」って置手紙があったらどうしようか、などと話しながらウサギのように涸沢まで降りる。雪渓の上にポツネンと残るテントに「キジ坊~」と呼びかけると、緑の甲羅の中から亀の頭が出てきた。ウサギと亀はウサギの勝ち!一緒にジョッキの生ビールを飲めるほどには回復して良かった。飲んでいると、硫黄尾根で会った諏訪山岳会の人が民間救助隊で来ていた。会う人には会うなぁ。年末から3回目だもの。結局、キジ坊は前夜に飲んだウイスキーが悪いんだろう…、という結論にいたった。(その後、胆嚢に腫瘍が出来ていることが発覚!早く良くなってね!この会報が出る頃には回復期に入っているかなぁ・・・)
22日(日) 涸沢4:45 徳沢7:50/8:20 上高地10:00(タクシー17000円)信州会館11:00/30 松本駅11:45/14:09(特急あずさ)新宿駅
入山時の人状態から、下山時にはかなり混みあうから蝶ヶ岳へ抜けようか、と話していたのだが、時間も早いので上高地へ下山する。お腹がすいたが横尾では食堂が開いていなかったので、徳沢で本日2度目の朝ごはんを食べる。ごはんを食べたら元気が出てきて、時折ダッシュ。上高地はまだ空いていたが、昨夜も遅くまでタクシーやバス待ちしていたそうだ。今日はかなり凄いだろう。今回は思いがけず久し振りにドームに入ったが、何だか来年も来たいなぁ…と思った(でも、来週末から剱に入ったら、剱になっちゃうのかなぁ)。