一ノ倉沢烏帽子沢奥壁 凹状岩壁
2002年5月25日(土)
L坂本多鶴(記)、SL王谷和博
烏帽子沢奥壁の冬期初登ルートでもある凹状岩壁(奥山章氏による当時の報告では中央ルンゼと称している)は1958年3月、松本龍雄氏ら雲表倶楽部と奥山章氏らRCCⅡによって初登攀された。この58年から60年にかけては、中央カンテ、コップ状岩壁、滝沢第三スラブ、衝立正面雲稜ルートなど、多くのルートが築かれた時代でもある。
24日(金) 上野駅22:30(上越新幹線)上毛高原駅23:39(タクシー約9000円)ロ一プウェイ24:10 (徒歩)一ノ倉沢出合25:10
タクシーに予約の電話を入れると、「ロープウェイ駅までしか入れない」と言われてガックリ。毎年ゲートが開くのは6月からのようで、私たち5月に入るのは初めてだったみたいだ(そう言えば、今までGWの翌週はお休みして、後半は三ッ峠で岩トレであった)。缶ビールも買ってしまったし、もちろん酒も買ったし、食料もレトルト物にしてしまった。
それでも指導センターまで来ると、数台の車が止まっている。ゲートの奥にテントを張っている人もいるが、頑張って出合まで歩くことにする。歩き始めたのはいいが、真夜中とあって何となく不気味で、蛙の声もゲゲゲの鬼太郎ほどではないが怪しげだ。1時間ほど歩いて出合に到着。急いでテントを張って、明日は起きたときに登ろう、ということにする。
25日(土) 出合8:00 凹状岩壁取付き9:30~10:00 終了点13:30(中央稜経由)出合17:30
外は明るくなってきたが、なかなか起きられず7時に起床。天気は予想通りだが、涼しい。朝食を食べ、私たちにしては遅めの出発。雪渓は出合近くの小滝っぽい所にないだけで、ほぼ雪渓通しに歩ける。おまけに硬くないし傾斜も強くなくて、今までで一番歩きやすかった。テールリッジも涼しいので快適に登れるし、核心の逆層スラブも上部にはフィックスがあった。去年登ったダイレクトカンテを眺めると3パーティほどが張りついている(人が登っているのを見ると、よく登ったなあ… と思ってしまう)。
凹状岩壁の取り付きは中央カンテと同じで、中央稜の取り付きから烏帽子スラブ側に入り、奥のトラバースにかかる手前のバンドだ。遅いので誰もいないと思ったが、先日大氷柱を第二登された嶌田ガイド率いる3名が準備していた。テールリッジでは快適な涼しさだったのに、待っていると寒くて手がかじかんでくる。手袋を持ってくればよかったなぁ… と後悔しつつ、上半身だけでもと着込む。嶌田ガイドパーティが出発したので、我々も続いて出発。
「いよいよ凹状岩壁の登攀開始!」
1P目は玉ちゃん、中央カンテを登った時は最初からバンドをトラバースしたが、今回は嶌田さんたちの真似をして凹角からバンドに乗り込んだ。少しかぶったバンドをトラバースしてルンゼに入り、フェースを登る (Ⅲ+、40m)。中央カンテを登ったときはもっとガレが多かったような気がしたが、そうでもなかった。時期にもよるのかな。それでも先行パーティのラクが時々落ちてくる。2P目も同じようなフェースを坂本(Ⅲ、40m)。ここら辺は凹状部分へのアプローチという感じだ。3ピッチ目はスラブ状から凹状の基部までを玉ちゃん(Ⅲ+、40m)。
4ピッチ目はいよいよ凹状部分に突入。両壁に足をかけつつ登り、凹状を抜け出したところまでを坂本(Ⅳ+、35m)。今回は核心部を玉ちゃんに登らせようと思っていたのに順番間違いしてしまったようだ。下部はそうでもないが、上部に行くほど傾斜が出てくる。冬用のものか長い残置シュリンゲがぶらさがっている箇所もあった。改訂日本の岩場ではV-になっていたが、我々の感想は「V-は無いよねぇ」(ちなみに改訂前はⅣ+)。
5ピッチ目は右のカンテの乗越し部分を目指して右上し、小ハングを越えたテラスまでを玉ちゃん(Ⅳ+、35m)。小ハング手前まではルートが交錯しているようで(右からも左からも登っているような・・・)、ハングの部分も何だか積み重ねたような岩で、抜けそうでいやだった(私としては凹状よりこのピッチの方がいやだった、買ったばかりのナイフブレードも落としちゃうしさ… くそッ)。6ピッチ目はフレーク状のフェースを登り、左に回り込んで凹角を登ったテラスまでを坂本(Ⅳ+、35m)。このピッチから終了点までは景色も変わるし開放感もあって気持ちよかった。
7ピッチ目は草付からスラブを登ってクラック手前までを玉ちゃん(Ⅳ、35m)。スラブ部分は支点が少なく、玉ちゃんがハーケンを打ち足したが効かずに抜けてしまった。最終ピッチの8ピッチ目はクラックを直上し、簡単な岩を左上して終了点まで、坂本(Ⅳ、40m)。ここは岩もしっかりしていたので、先日の国分寺B-PUMPを思い出しつつ… みたいな感じで登れた。
「中央稜から下降したものの・・・」
嶌田ガイドたちは凹状岩壁をそのまま下降するとのことで、我々は北稜下降を変更して中央稜から下降してみることにする。踏み跡を衝立の頭に向かってたどり、コップ側に5m懸垂。さらに踏み跡をたどると衝立の頭に着く。ここからほぼ中央稜のルート沿いに下降を開始する。
1ピッチ懸垂して踏み跡を下りピナクルへ。ピナクル上の支点だとロープが回収しにくそうなので、すぐ下の支点まで5m懸垂すると、凹状の懸垂支点が悪かったとのことで嶌田さんたちと合流した。続いて2ピッチ懸垂して中央稜核心部のチムニー上の支点まで。次のピッチでは嶌田さんたちが下降した烏帽子スラブ側に続いて降りようとしたが、彼らは50mだったので、45mの我々のロープは足りず、シャントを使って衝立側のテラスまで5mほど登り返した(そのまま衝立側をルート沿いに下降すれば良かったんだよねえ、ガイドさんなのでベストな方に下降するんだろう、とついていったのがまずかった)。このテラスから真下のルンゼ通しに1ピッチ下降して、さらに半ピッチでトラバースの踏み跡に降り立った。
この懸垂下降には順番待ちはあったものの3時間ほどかかってしまった。先に書いた登り返しもそうだし、ザイル回収のときにもハーケンや岩の突起にひっかかったりして二度ほど登り返した。回収時にはザイルをずっと引き続けて、終端側がダラーンと引っかからないように気をつけてはいるんだけど、二人ともロープを新調して間もないことも関係しているのかなあ。
中央稜は二度登っているけれど、どちらも北稜を下降していたので、ルート沿いに降りたのは初めての経験であったし、下降の際には予想以上に下の様子が見えにくく、中央稜も衝立岩なんだもんなぁ… と改めて思ってしまった。しかし、シャントを付けているので懸垂中の登り返しは楽である。とにかく、テールリッジを下降して、雪渓の上に降りた時にはもう懸垂下降しなくていいんだってホッとした。しかしながら、谷川岳では毎度毎度来るたびに勉強させてもらってます。ちょこちょこと反省点があるので、今年の間にまた、中央稜から下降してみようよ。今度は大丈夫だ。
「凹状岩壁は素敵なルート!」
ゴールデンウィークも終わり、雪山装備も片付けて、次は岩だなあ… と「日本の岩場」を眺めている時に突然「そうだ!凹状岩壁を登ろう!」と思った。凹状岩壁と言えば初登が冬期であるし、その名の通り凹状ということもあり、ガレて薄暗くて落石が多い、というイメージがあって今までは何となく敬遠していた。しかし、予想とは全く違って(自分の勝手なイメージでした、反省…)、フェース、スラブ、小ハング、凹角、ルンゼ、クラック、草付など何でもありで、とても素敵なルートで、私たちのお勧めルートに名前を載せました。
どうして突然登りたくなったのだろうか… と考えてみると、松本龍雄さんの名前が最近頭の中にあったことが関係しているかもしれない。なぜなら、玉ちゃんがこのところ松本さんの話を何度もしていたのと、貸してくれた雲表倶楽部のOB会報の三つ峠ルート調査報告の中に松本さんの報告があり、その中に堀田さんの名前も出てくるのだ。
とすれば、凹状を登るきっかけになったのは、三ッ峠と堀田さんと松本龍雄さんなのかな。