谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁
9/21~23 ダイレクトルート(5級下)
メンバー:L坂本多鶴、SL玉谷和博(記)
トポには「烏帽子周辺だけでなく、谷川岳東面においてレベルの高い困難なルートの一つである」とか「フリーと人工のミックスした長く困難なルートだ」とかいろいろ書いてあるので少しビビッたが、南稜フランケルートが意外なことにあまりにも快適に登れたものだから、気をよくして今回はお隣りの烏帽子沢奥壁ダイレクトルートに登ることにした。
9/20(金) 松戸21:00=(中野さんの車)一ノ倉沢出合24:00 [テント泊まり]
9/21(土) 一ノ倉沢出合6:45 中央稜の基部9:00/9:45 鎌形ハング(ダイレクトルートの取付点)10:00/10:10~烏帽子沢奥壁ダイレクトルート~終了点16:30 快晴のち曇り[ビバーク]
「高く!より高く翔べよ、若者たち。爽快なクライミングと眠れない夜」
『朝、出合から見上げると-一ノ倉沢の岩壁は青空のもと恥ずかしいくらいに丸見えだった。慌ただしいテント村。まわりにいる全員が自信に溢れたベテランクライマーに見えてしまうのは、僕らがまだ不安に満ち溢れているからなんだろう…。』
これは5年ほど前、僕らが一ノ倉デビューした頃に出発前の心境を綴ったものだ。えもいえぬ一種独特な雰囲気にすっかり呑まれちまって、恐怖で(!)お腹が痛くなったのを覚えている。あれから時が流れて今年だけでも9度目の一ノ倉入り。少しは馴染んできたようで、もっともっと登りたいと想っている。もっと、もっとだ…。
今朝も文句なしの快晴だ。雪渓の消えた本谷をアプローチするのは初めて。ヒョングリの高巻きは懸垂下降して、すぐテールリッジの末端を慎重に登る。本谷のスラブや釜は、雪かと見まごうように白く磨かれてとても美しかった。
途中、いくつかのパーティーに声をかけられた。「今日はどちらへ?」「え、あのぉ、烏帽子のダイレクトルートを登ってみようかと・・・。」と答えると、「スゴイですねえ!」とか「あのルートはけっこう恐いんですよね。」とか「私は完登した人を見たことがない。」などと言われてしまった。
核心部の3ピッチ目はすでにリードしているのでそんな筈はないんだけど…と思いつつもまた少しビビる。
中央稜の基部にいらない物をデポして登攀の準備をする。中央カンテ組(当会の学生3人衆)と別れて鎌形ハング下へ。
ダイレクトルートは、3ピッチ終了点の大テラスまでは南稜フランケルートと同じだ。
1ピッチ目は鶴リードで40m、IV+。急なカンテを右に越え直上。上部でランナーがとれずかなり恐かったみたいだけど、カンテから大きくトラバースしてから左上すればやさしい。
2ピッチ目は玉リードで40m、IV+。かぶり気味の出だしから草付きの凹角を直上する。途中適当な所からビレイ点を目指して右上すれば良かったんだけど、草付を登りすぎてしまい切れ切れで細くかなり脆いバンドを、右へ恐る恐るトラバースしてビレイ点へ。悪い!
核心部である3ピッチ目は、前回は僕が軽々とリードした(エバるなよ!)ので今回は多鶴先輩がリード。40m、V+。ハングを右上して抜け、1歩上がる所が少しショッパイけどスルスルと登っていく。残置ピンが少ないのでランナウトが長くなるが、ホールドとスタンスは小さいけれど、確実にとらえられ緊張感のある素晴らしいピッチだ。
大テラスで南稜フランケルートと分かれて、変形チムニーの上部までクライムダウンしたあと、変形チムニーの真上にのびる急な凹角を登る。(40m、IV+) 凹角内にはキャメロットが2本も残置されていた。
つづく5ピッチ目(IV・A1、40m)は鶴リード。ルー卜図と違うのでちょっと迷ったが、少し左に回り込むと白い岩があり、最初フリーで途中からハーケン・ボルトのラダーを易しい人工登攀で行く。支点は一ノ倉にしてはイイ方で、アブミの最上段に立つこともない。
正面ルンゼを挟んですぐ隣りに中央カンテ組が登っているのが見え、お互いにコールを掛け合う。彼ら学生3人衆にとってこの中央カンテは、彼らだけで登る初めての本チャンルートなのだ。3人で力を合わせて登っていく初々しい姿をビレイしている間、横で見ていてなんだかとっても嬉しくなってしまった。
しばらくして無線機を通じて「この先のルートがよく解らないのでここから懸垂で降りようと思います。」と言ってきたので「右だ、左だ」と指示してあげたけど、それもやめた。「大いに悩めよ学生!そして大きく羽ばたけよ、若者!」
慎重に、そして確実な足取りで登っていく彼らを見ていて親離れしていく子供をハラハラしながら見守っている親の心境で、すごく嬉しくもあり少し寂しくもあり…と、そんな気持ちがした。
経験が少ないのは当たり前の話。山は自分の力で登るもの、自分で勝ち取っていくものだ。先輩やガイドに連れていってもらうんでは決して身に付かないものがある。
恐々と悩みながらも挑戦してひとつひとつ経験を積み重ね上げていくこと…。そのプロセスこそがとっても大切。僕らも先輩としてできる限りのことはしてあげよう。…だけどそう願っていることもわかってほしい。
話を元に戻して、6ピッチ目は玉リード(40m、IV+・A1)。一つ目のチムニーを強引にA0で右に越え、次のチムニーはフリーで抜けると右のテラスにビレイ点がある。
7ピッチ目(IV-、40m) 草付の凹角から脆いフェース、そして草付へ。8ピッチ目は烏帽子岩基部のルンゼ状。支点はないが易しいピッチで、45mザイルいっぱいにのばしてビレイ解除。
16時30分、事実上ここでダイレクトルートは終了する。そこからフィックスロープに沿って急な笹ヤブを漕ぎ、左側にトラバースをしていくと南稜の終了点の一段上にある広いテラスに出た。
ここで中央カンテ組が降りてくるのを待つことにする。烏帽子岩の基部に見えた彼らに手を振って位置を教えるが、まもなく陽も落ちて暗くなってしまい、合流したのは19時30分ごろだったと思う。
「暗い中を懸垂で降りていくのもビバークするのもどちらもいい勉強(経験)になりますよね!」と松澤くんが言う。天気も良さそうだし、今夜はここでビバークすることにした。 もっとスピードをつけなければ…と思う。スピードを意識した継続登攀や、フリーと人工のミックスした長いルートにも登ってみたい。スピードは危険を避けるための強い武器になるから・・・。なかなか寝付けない暗闇の中で、滝沢スラブパーティーのヘッドランプの灯りがずっと揺れていた。
9/22(日) ビバーク地点(南稜終了点の一段上)5:30一ノ倉沢出合9:30 曇りのち雨
9/23(月) 一ノ倉沢出合=(中野さんの車)松戸9:30 雨のち曇り
「今年3本目の5級ルート。一ノ倉沢をもっと知りたい。」
幸い夜はそう冷え込まず、快適とは言えないがなんとか眠ることができた。翌朝、明るくなるのを待って下降を開始する。急な笹ヤブの中の踏み跡を辿ると、見慣れた南稜の終了点に出た。あとは慎重に懸垂下降をくり返して帰るだけだ。僕らを待ちくたびれて、テントキーパー(?)の中野さんはまだ眠ってるかな?烏帽子奥壁では今朝もクライマーたちのコールがこだましていた。
甲斐駒のAフランケ赤蜘蛛ルートと、一ノ倉沢烏帽子奥壁ダイレクトと南稜フランケ。この夏は5級ルートを3本も登ることができた。来年は、スピード・テクニック・体力を克服して少しは自信が付いてきたらグレードをまたひとつあげて衝立岩正面の雲稜ルートや滝沢スラブにも挑戦してみたい。胃薬と、ちょっぴりのお酒を飲んで勇気をだして・・・。
「北海道の大雪山では初冠雪」とテレビのニュースで言っていた。今年の雪山はどこへ行こう?滝沢リッジへもぜひ行ってみたいし。その前に中央稜か。シーズンは短い。山が足早に逃げてしまわぬうちに、少ないチャンスを逃さぬように。
1965年に発足したJECCの第1回山行で、代表の加藤滝男は今井通子と組んで衝立正面~コップ状岩壁正面への継続登攀を行ない、今井のロッククライマーとしての可能性を感じた。
烏帽子奥壁ダイレクトルートは翌1966年5月25日に彼らと若山美子・毛束武夫の4名で小雨が降る中、寒さに震えながらも初登攀。このときに今井、若山の女性ペアによるマッターホルン北壁の計画が話された(1967年成功)。
以来、穂高屏風岩中央壁ダイレクトルートや同右岩壁ダイレクトルートなどの開拓を精力的に行い、1969年にはついにアイガー北壁夏期ダイレクトルートが初登攀されることになる。・・・「赤い岩壁」 加藤滝男 スキージャーナル刊より
<特記事項>
- ダイレクトルートは中間支点が古いのはまだしも、テラスの確保支点がけっこうボロイので絶対に落ちることは許されない、と思った。部分的に岩の脆いところもある。ランナーは非常に少ない。南稜フランケよりも難しく感じた。
- 変形チムニーからまっすぐにダイレクトルートへつなげるのは、「スーパーダイレクトルート」というらしい。ルート取りとしてはそちらの方が自然な感じもする。
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