吉尾さん追悼山行 「一ノ倉沢奥壁3 ルンゼ」
2002年10月5日 (土)~6日(日)
L坂本多鶴(記)、SL玉谷和博、深田美弥子、岡光邦、大江徳厚(神田山の会)、宮川憲子、桑村昌子 (品川さんかくてん)
今年の春、神田山の会の大江さんに一ノ倉沢の出合で会った時、秋には吉尾さん追悼山行をやろう!と話がまとまった。大江さんと宮ちゃんは、ふたりが吉尾さんを含め5人で滝谷を登りに来た時に出逢ってから、桑ちゃんは労山の事務所で遭対基金を担当しているため、労山の事務所に遊びに行ってからのお付き合いである。大江さんは吉尾さんに習ってからは会の仲間に岩登りを教えたり連れて行っている姿を良く見かけたし、宮ちゃんも吉尾さんや堤信夫ガイドに技術を習いに行く努力家である。他に今は安曇野で暮す飯塚君も含めて、玉ちゃんと私は勝手に「僕らは吉尾さんの最後の弟子だ!」と言っている。
残念ながら、飯塚は会社の都合で参加できなかったが、「幸子ちゃんがいなかったら、昌子と一緒になるのになぁ」などと吉尾さんが話していた桑ちゃん。そして、まつど岳人倶楽部からはふ~ちゃんとわらじいを加えて、3会混成の7人パーティが出来上がった。
ちなみに、3ルンゼは1930年、東北帝大の小川登喜男たちによって、初登攀された。一ノ倉沢においては一ノ沢、ニノ沢左俣に続いて3番目に拓かれたルートで、当時一ノ倉の核心であった奥壁を一回の偵察もなく登ってしまったのである。
5日(土) 一ノ倉沢出合5:30 南稜テラス9:00/30 ルート取付10:00/30 3ルンゼ出合12:00 F3落ち口 18:45<ビバーク>
南稜テラスでひと休みして装備を整える。ここから本谷側ヘトラバース。最初の10m程が、踏み跡が細かったり段差があったりで、fixロープが張ってあるが古く、最初のロープを出す。本谷に出てガレ場を登ると、スグに取付きに到着。今まで頭の中になかった奥壁の風景が出来上がった。パーティは大江さんトップに振り子でわらじいとふ~ちゃん。玉ちゃんトップに振り子で桑ちゃんと坂本、さらに坂本に宮ちゃんが繋がる。
大江Pから出発。1ピッチ目は岩の表面を流れるF滝を左側から登りつめたところまで。浮石がたまっていて、大江さんも玉ちゃんも慎重に登っていく(30m、III)。2ピッチ目、大江Pが直上していくので、「違うよ」と声をかけて、4ルンゼの右岸に沿って赤ペンキマークのあるところで切る(30m、III)。
ここからは玉Pが先行。3ピッチ目は草とガレの細いルンゼを登りつめたところまで(30m、III+)。直上は無理そうなので4ルンゼ側を覗き込むと、3ルンゼらしきものが見える。玉ちゃんが行けそうだ、とトラバースしてザイルを伸ばす。
やっとガレから解放されて、水の流れるきれいなルンゼに出た。ここがF1の基部である(15m、III)。いくつかの報告を読んできたが、ここまでのルートファインディングが難しいらしい。
5ピッチ目は高さ5mほどのF1を水流の右から右壁に移って登りきり、緩傾斜を水流に向かって左上すると支点がある(40m、III~IV)。
6ピッチ目は傾斜の緩い沢床をF2手前にある左岸の支点まで(40m、II)。
7ピッチ目は高さ30mのF2の水流の左壁に走る凹角沿いを登るが、上部では岩も立ってくるし、何よりも岩が湿っていて滑りそうでいやらしい。支点もボロそうなので玉ちゃんがハーケンを打ち足しながら登っていく(40m、III~V)。
2パーティがリードするには時間のロスなので、玉Pのラストの宮ちゃんが登る前に、大江さんが登高器を使って登って来た。8ピッチ目は傾斜の緩い沢床をF3基部まで(40m、II~III)。
いよいよ核心のF3は2段30m。玉Pはここから坂本がリード交替。その間に大江Pが先に登る。9ピッチ目となるF3下半部は水流となるチムニーの右のフェースを左上してチムニーの抜け口まで(30m、IV)。
ここで暗くなったのでヘッデンを出す。 F 3上半部は、大江Pはチムニーを直上、玉Pはチムニーの左壁を登るが、上部で一歩トラバースがいやらしく、大江さんにお助け紐を投げてもらう(20m、IV+)。
暗くてルートもわかりにくいので、岩三年ぶりの桑ちゃんは1/3方式で引き上げた。フィックスロープを張ってビバーク、南稜テラス上でも誰かビバークしているようだ。
6日(日)ビバーク地6:00 境界尾根9:00 国境稜線13:00/14:30 ロープウェイ駅16:30 (ロープウェイ)土合口駅(タクシー&林車)一ノ倉沢出合17:00<解散>
明るくなるのを待って、玉P先行で出発。10ピッチ目は上部に聳える黒い壁の左を目標に登っていく(40m、III)。途中、桑ちゃんが知らないうちに岩で手を切ったらしく宮ちゃんが手当てする。
11ピッチ目、10ピッチ目もそうだが、岩が湿っているので、いいとこを選びながらの登り。確保支点にハーケンが1本あるくらいなので、確保支点毎にハーケンを打ち足し、以降回収は全体のラストであるわらじぃにお願いする(40m、III)。
RINちゃんからは学生トリオが水と食糧を持って西黒尾根から登る旨の連絡が入る。
12ピッチ目、傾斜の出る手前まで切る(30m、III)。13ピッチ目、境界尾根のコルの手前まで、傾斜が出るせいか中間支点が2~3本ある(40m、III~IV)。この4ピッチは乾いていたら案外楽勝なのだろうが、湿っていたり濡れていたりで、難しくはないのだがいやらしかった。
14ピッチ目、左の笹ヤブを漕いで境界尾根に9時到着(10m、III)。先もなだらかに見えるし、一時ほっとする。15ピッチ目、問題のない尾根上の登り(40m、II)。
16ピッチ目、露岩と笹ヤブを抜けて、大岩の基部まで(40m、III)。そんな岩が出てくると思わなかったので、えって感じだが、左右の草付きルンゼは急峻そうに見える。
17ピッチ目、フェースを左上し、少しかぶったクラックを抜けたところまで(40m、IV+)。見上げると稜線は近そうだ。
18ピッチ目は草付きルンゼを左上、中間支点は笹で取ったが、ちょうどヤブが切れたとこだったので、岩にアングルを打って確保する(40m、III)。
19ピッチ目、踏み跡に導かれて左に乗越し、笹ヤブを漕ぐ。ここも岩にハーケンを打って確保する(30m、III)。
20ピッチ目、さらに笹ヤブを漕いで、やっと登山道に13時に合流する(20m、Ⅲ)。
後続のビレイをしていると、松ちゃんが見つけた見つけたという顔をしながらやってきて、すぐにカッチン、一孝もやってきた。あとは彼らがセカンドのビレイ、ザイルの片付けなどやってくれて、私たちはノンビリと休ませてもらった。
今回は7人の混成パーティであったが、それぞれが自分の役割をきちんとこなしてくれたし、やっぱ皆大人なんだろうな、言うことは言う反面、気遣うところは気遣い、いいチームワークで登ることが出来た。また、RINちゃんが無線で連絡してくれたり(ホント1日悪かったね)、学生トリオが食糧を持ってきてくれたり(長い時間待たせてゴメン)、吉尾さん追悼山行という名目ではあったけど、自分としては、会を作ってホントに良かった!と思える山行でした。
まつど岳人倶楽部の仲間たち、これからもよろしくね。キジ坊!今度は一緒に行くぞ!!そして、今年10回目の一ノ倉、3ルンゼは素晴らしいルートだった。