2006年8月12日(土)~16日(水) L:坂本、SL:玉谷
今回の大目的は層雲峡の「蝦夷生艶気蒲焼ルート」。加えて、吉田和正氏の赤岩青厳峡のスクールに参加し、お宅に泊めていただこうというものだ。私にとっては初めての北海道・・・でもある。
12日(土) 吉田和正氏と赤岩青厳峡へ
羽田7:35(AIRDO)旭川9:15/10:00(車)吉田和正氏宅11:30/12:00(車)赤岩青厳峡12:30~17:00(車)吉田宅<泊>
松戸4:56発の常磐線で出発。羽田空港に着いてからは手荷物などの順番待ちであっという間に時間が過ぎて搭乗、うとうとしているうちに旭川空港へ。
吉田和正氏に到着の連絡を入れて、玉ちゃん運転のトヨタレンタカーで出発。ナビとツーリングマップを見ながら、順調に南富良野の吉田宅を目指す。
途中コンビニで昼食を軽く済ませ、昼前には氏のお宅に着き、しばらく休んで青厳峡へ。
赤岩青厳峡は村立自然公園に指定されているらしいが、現在付近は道路工事中である。クライマーの皆様へという注意書きで一部の岩は工事中は登らないようにとなっていた。とは言え、工事関係者用のトイレや公衆電話などの使用OK。周辺の測量図が張り紙してあったが、岩の名前も書いてあるので、岩場の案内図として使えたらいいのになぁ・・・と思ってしまった。
いよいよスクール開始。私たち普段ほとんどジャミングなので、たまにホールドを持つと力を吸いとられるようにパンプしてしまう。しかし、今回はフェース、岩質は赤いチャートだ。
まず「ぶったまげ岩」へ。この岩には吉田氏による日高源流エサオマン13bがある(ルート名は北海道にある山の名前であった)が、ものすごくかぶっている。我々は脇のかぶらないフェースでニンジン5.9、人気ルートだぜ10aを登らせてもらう。玉ちゃんは力を出し過ぎないように指手腕に矯正テーピングされた。
「橋の岩」へ移動して僕を見てシニア10d、僕を見て10c。ここでフェース登りの指導や、硬くなっている筋肉部の指摘を受ける。17時で終了。指の腹が痛い。
途中スーパーで買出し、豚トロと豚バラ肉をカゴに入れていたら「クライマー向きじゃないよ」と赤身と鶏肉に交換されてしまった。金山湖で風呂に入り、吉田氏宅へ。
小宴会でそそくさと寝るはずが、ギターが出てきてから二人(同じ歳の・・・)が吉田拓郎の歌を歌いまくり、11時が過ぎて「もう寝ましょうよぉ」と言ってもエンジンかかってしまって止まらず、やっと12時過ぎに眠りについた。
13日(日) 引き続き赤岩青厳峡へ
吉田宅8:00(車)赤岩青厳峡8:30~15:00(車)吉田宅15:30(車)ひがしかぐら森林公園17:30<バンガロー泊>
7時に起床。手相を見てもらう。うどんを食べて出発するが、めちゃくちゃ睡眠不足で車酔い。歩いていても身体に力が入らず岩場についてからしばらく横になる。
この日もまず「ぶったまげ岩」でバカにするぜ10a、マスコダガバ5.9。昨日よりも人が多いので、また「橋の岩」へ。キョンのやり方を習い、昨日習った登り方も加えて、登ってみる。「しゅうちょう岩」へ移動し、マサイ族10aを登るが、さすがに疲労してきて伸び上がってホールドを掴もうとするが保持できない。
15時頃になったので、スクール終了。我々にとってハードな2日間であったが色々と勉強になった。吉田氏宅に戻ると本降りの雨。しかし今日中に旭川へ移動する予定なので、お別れして出発する。
移動中もなかなか雨はやまず、ヘロヘロになりながら目的のキャンプ場に辿りつく。しかし、雨が止まないので、テントを張る気にもならない。受付で聞くと2人用バンガローにキャンセルがあるそうなので、迷わずバンガロー泊にした。2人で1600円、2畳ほどだけど4人寝られそう。近くのスーパーで弁当を買って、それを食べて就寝。睡眠不足で身体クタクタ。
14日(月) 休養日
ひがしかぐら森林公園9:00(車)層雲峡10:30~13:00 層雲峡オートキャンプ場13:00<テント泊>
テントじゃないので朝日が入らず、しっかりと12時間睡眠。予定では今日層雲峡で登り、明日は石垣山へ・・・としていたのだが、身体が疲れているので休養日とする。しかし、玉ちゃんと吉田氏が歌っていた「ローリング30」が頭を回って離れない。
とりあえず層雲峡へ移動、途中にある石垣山も道路からすぐわかった。近づくにつれて岩壁が左右に見え始め、二人で歓喜の声をあげる。我々の目的である蝦夷生艶気蒲焼ルートを持つ天狗の引臼岩も道路からスグにわかった。良く見ると人が・・・、蝦夷生の右のクラックを登っているようだ。アプローチの起点となる駐車場も確認。
こじんまりとした層雲峡街で昼食、ビジターセンターで層雲峡の成り立ちをハイビジョン映像で見る。大雪山の噴火で火砕流が200m溜まり、それが柱状節理になったあと、石狩川に削られて層雲峡が出来たそうだ。
ところで、このセンターのミニ情報誌は学芸員の方のセンスの良さなのか、レイアウトや文字デザインなどが素晴らしい。メリハリがあって読みやすく非常に参考になった。
上川町まで買出しに行き、キャンプ場へ。ここは1張500円、ゴミもOK。いつものように豚トロ焼肉。途中雨が降り始めた。予報を見ると明日の天気はいまいちだし、残りの日数はないし不安になる。とりあえず少々天気が悪くても登ろうと、16時すぎには就寝。
15日(火) 蝦夷生艶気蒲焼ルートへ
キャンプ場5:00(車)駐車場6:15 取付き7:30 終了点11:15 取付き12:00 駐車場13:00(車)キャンプ場16:00
昨日の夕方から降り始めた雨は、明け方まで降っていたようだ。予定通りに4時30分起き、カップラーメンを食べてキャンプ場を出発する。
カメラを買い忘れていたので、層雲峡街のコンビニが6時に開くのをテーピングしながらしばらく待ち、アプローチの起点となる駐車場へ移動する。
橋を渡って出発。旧グランドホテルの前を通り、踏み跡に入る。途中ヌタ場のあたりまでトラバースしたが、踏み跡が薄くなりヤブに突入。天狗の引き臼と思われる方向へグングンと登ると、1P目となる引き臼の手前の岩が見えてきた。
基部で登攀準備。ロープは2本持ってきていたが、60m1本にして、余計な荷物は玉ザックにデポ。トップは空身、セカンドが坂ザックを背負って登ることにする。
いよいよ登攀開始。ジャンケンで負けた玉ちゃんからリード開始。1P目は電光型クラック、5.9、30m。なのだが、出だしの足場の岩が浮いているし、チムニーに岩が重なってつまっている感じで、思い切りがなかなかつかず、精神的に良くない。最後は左にハンドトラバースせずに右のテラスに抜ける。
2P目は逆L字クラックを右に抜けてもう一段岩を登り(5.9、10m)、3P目でブッシュを右上してさらに一段岩を登ると核心部の基部に辿りつく。
4P目は10b、32m。ここにザックをデポ。玉ちゃんの順番になるはずだったのに私になってしまった。見上げると杉野保氏がロクスノのOBGで書いていたように、小川山レイバックを3段重ねた感じだ。しかし終了点が見えない、遠い。
意を決して登り始める。出だしはハンドジャムが快適に決まるし、クラックの中から涼しい風が吹いてくる。が、カムのセットが多すぎるせいか、途中疲れテンション。その先のオフィズスが核心か、クラックにはさまった石の隙間にエイリアンをセットしたけど怖い。
まだここで半分、テンションしながら上部で使うカムのサイズをチェックする。その先はフィンガーが決まるようになるが、身体中から汗が流れてくる。最後は傾斜も緩くなってテラスについた。長い。ビレイしている玉ちゃんが真下に小さく見える。
続いて玉ちゃんが登ってくる。私の手指のサイズはちょうど良かったのだが、玉ちゃんには狭すぎるようだ。しかし、上から見るとカムをセットしすぎだなぁ、ギア回収テンションも何度もしてしまったし。
最後5P目は5.7、25m。ここはあまり登られていないようだ。出だしはクラックだが、中間部からはクラックというよりは凹角。中間支点は取れるが取りにくいような感じ。玉ちゃんのビレイ解除の声のあと続いて登り、終了点に辿りついた。
いつものようにガッチリと握手。全部を登るとフリーのルートというより、アルパインっぽいルートのような感じがした。
ここから4P目の基部までは同ルートを懸垂下降。32mのピッチは60mでどうかなぁと思ったが、ギリギリ届いた。そこからは岩面に向って右下にさらに懸垂。ブッシュの中なので3ピッチにわけて平場に到着、踏み跡すぐで取付きに出た。
下りは踏み跡通りに、基部からトラバース道にぶつかるまでほぼまっすぐ下降すると、目印にピンクテープが巻いてあった。あとは汗をダラダラかきながらトラバース道を進み駐車場に戻った。
午後からは50%の予報だったが、まだ雨は降らず。昨日見えたパーティは今日も取付いている。層雲峡街に戻り、昼を食べて黒岳の湯に入る。下降でやられたのか右腕にブツブツが。長袖着ていたのに毛虫かな・・・。夜は豚トロ焼肉で乾杯。この日はとうとう降らなかった。
16日(水) 旭川秀岳荘へ
キャンプ場7:30(車)忠和公園9:00~10:00(車)秀岳荘10:00~11:00(車)空港12:15~14:20(AIRDO)羽田16:05
いよいよ松戸に帰る日。水分不足気味だったのか顔がむくんでいる。昨日の残りのミカン缶を食べて出発。旭川駅近くで朝マックし、秀岳荘開店まで近くの公園で時間をつぶす。北海道はパークゴルフが盛んなのか、あちこちにゴルフ場があり、この公園でも老若男女がゴルフを楽しんでいる。
10時過ぎて秀岳荘前に車を止めると、見覚えのある山口ナンバーの車、吉田和正氏である。お店の方に聞くと、店内の事務所でボルダー本の印刷中であった。蝦夷生の報告などをする。1P目はあとから追加で登られたらしい。氏ともとうとうここでお別れだ。
ハヤウチマン氏こと竹内店長から教えてもらった蔦屋というラーメン屋で旭川ラーメンを食べ、北海道と別れるべく空港へと向かった。
充実した5日間であった。色々と勉強になりました。また精進。
ところで、層雲峡の天狗の引臼岩は、詩人野口雨情が「ゆうべ夢見た層雲峡の雲を、天狗でなければ引かれない天狗の引臼夢にみた」と詠んだことから名付けれられたとのこと。
蝦夷生艶気蒲焼ルートは、1983年7月に同人山岳党の小笠原浩らによって、人工ルートのフリー化と下部の1P追加により登られ、当時北海道で最も高いグレード10abがつけられた。蝦夷生艶気蒲焼とは江戸時代の漫画、江戸生艶気蒲焼をもじったものらしい。
以上、詳細はまた会報「岳人REPORT」にて!
玉三郎より
ローリング30 動けない花になるな
ローリング30 転がる石になれ
過ぎ去った過去は断ち切ってしまえ
青春の長さ計るものはない
体より老けた心など持つな
流れゆく時に逆らって泳げ
自分のカラを突きやぶり
おろかな笑顔など見せるな
振り向いた明日に恥じないように
仰ぎみる明日に恥じないように
ローリング30 動けない花になるな
ローリング30 夢吹く風になれ
生ぬるい日々に流される者よ
俺だけは違う 身を切って生きる
三叉路があれば石ころの道を つまづいた痛み バネにして歩け
心の汗も流さずに 優しさなどとお笑いぐさだ
ついてくる世代に恥じないように 届かない世代に恥じないように
ローリング30 動けない花になるな
ローリング30 翔び立つ鳥になれ
生ギターをかき鳴らしながら大声で歌ってた吉田和正氏。澄んだ瞳で、この唄のようにまだまだ走り続けている。そんな吉田氏の姿を見ていて僕はとっても嬉しくなってしまった。ずっと前の『岩と雪』のかっこいいインタビューの頃のまま走ってる。
僕は「ローリング30」も「日高源流エサオマン」も、ぜんぜん論外のヘボクライマーだけど、“よしだたくろう”の歌ならまだ歌える。ぜひまた一緒に歌いたいものです。理由はわからないけど、なぜか封印していたらしいのですが。
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