2010年1月9日(土)~11日(月) 坂本、玉谷
久々の八ヶ岳で赤岳鉱泉まで入るのは何と5年振り。
無事にたどり着けるのかなぁと思いつつ行って来ました。
9日(土) 赤岳鉱泉まで
新宿駅7:00(特急)茅野駅9:08/37(バス)美濃戸口10:15/30 赤岳鉱泉14:30
赤岳山荘まで思ったよりも順調に歩く。山荘にてオバチャン特製肉うどんを食べてしばし休憩。そろそろ出発しようかと山荘を出たところでカッチン大石ペアに遭遇。若い彼らと南沢との分岐でわかれ、我々は北沢へ。
箱根駅伝のように少しずつ先行を追い抜き、休憩なしで赤岳鉱泉に無事到着!
(とは言っても、北沢を歩く登山者の平均年齢はかなり高いようであったが・・・)
受付では太平さんから「赤岳山荘で飲んでばかりいないで、たまには来ないとね」・・・。
とは言え、思ったよりも順調に歩けたし、気分良くあとは飲むだけと談話室に行くと以前はあったコタツがない。仕方なくストーブの横に張り付いて飲んでいたら、小川山で逢った諏訪のイワジ女史に遭遇。しかし談話室は大部屋に変身するということで食堂に移動して飲んでいたら、今度は四季楽園でお逢いしたシャモニクラブの方に遭遇。その食堂も夕食の準備が始まるということで、あとは大部屋前のストーブにはりついて3人グループの方たちと歓談。
久々の大部屋は歌うような寝言の方が1名、結構笑えた。
10日(日) 赤岳主稜のはずが赤岳主峰
赤岳鉱泉7:00 行者小屋7:30 ~文三郎尾根~赤岳~地蔵尾根~ 行者小屋10:30 赤岳山荘11:30
カップラーメンも持って来ていたが、鉱泉の朝食を食べて出発。
昨日はピーカンだったが、今日の好天は午後からのようで朝から小雪で視界も今ひとつ。途中、石尊稜に2人組、中山尾根に5人位が入っていった。
行者小屋では阿弥陀北稜を登るというウチヤマさんやイワジ女史の諏訪隊が準備をしていた。私たちもハーネスをつけて出発。
文三郎尾根では道をゆずらない6-7人の先行パーティがいて、我々ともう1パーティがつまってしまった。先行がやっと休憩に入ったところで先に行く。
ある程度登りつめたところで、トラバースしようと準備しているパーティがいる。
「ここだっけな?」 ガスで行く手が見えないが、トラバースする傾斜はもう少し緩かったような気がするし、もう少し先まで登る。
登っているうちに阿弥陀との分岐のコルまで来てしまった。
玉ちゃんから「戻る?」「主稜に何回登ったんだよ」と声がかかったが、「ここまで登って来ちゃったからいいや」(今日は登るなということなんだろう)と主峰を目指すことにする。
今回は正月のリベンジの人も多かったようで、山頂直下も渋滞が始まりつつある。証拠の写真を撮ろうと思ったのに、早く降りようよ、と玉ちゃんに言われ下山開始。地蔵尾根方面からも続々と登ってくる。文三郎尾根もそうだが、地蔵尾根も思ったより雪が少なくて、まだ階段や鎖が顔を出している状態。こんなとこ通ったっけ? と言いながら降りる。
この日も行者小屋以外では休憩せずに行動(前日もそうだが実は休憩できる場所とタイミングがなかった)。あんまり大勢で登ると迷惑なのかもしれないね・・・、なんて随分と昔を思い出しつつ話したり。
赤岳山荘に戻って、肉うどんを食べるがヒマ。マンガを8冊読むがイマイチ。
やっと夕方になって、そろそろ飲み始めましょうか、となる。
この連休、山荘にはヒロケン氏親子と撮影の方達が泊まっていた。カメラを回している方は貫太さんに立ち姿や声が似ている。
貫太さん似の方は今日の仕事が終わったようでストーブの近くにやってきた。その方と話しながら、もしかしたらそうかなと思って「武藤(昭)さんですか?」と聞いたらそうであった。玉ちゃんが激喜び。うちの会では玉ちゃんに「穂高岳の岩場」もらった人もいるでしょう。柏瀬さんや大内さんの名前も出て、撮影の話なども聞けて楽しかった。
11日(月)
赤岳山荘9:00 美濃戸9:36(バス)茅野駅10:30/11:36(特急)新宿駅
他の人たちが出発するのを待って、我々も出発。久しぶりのわりには歩けたな・・・(計画したところ登れなかったけど)という感じだったけど、水曜日の部会にまだ筋肉痛バリバリだったら笑ってやってください。
もちろん宋一孝隊のように自爆未遂はしてませんよ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。