前穂東壁右岩稜 古川ルート~北壁Aフェース
1998年7月18日(土)~20日(月)
坂本 多鶴(記)、玉谷 和博
18日:上高地~涸沢、19日:涸沢~登攀~前穂高山頂 20日:山頂~涸沢~上高地
今回の登攀は前穂東壁右岩稜・古川ルートから北壁Aフェースへの継続登攀。これはクラシックルートのひとつで、初登されたのは我々の生まれる前。そういうルートを登るなんてドキドキしてしまいます。そして、穂高エリアでの登攀は滝谷ドーム中央稜に続いて2回目。何とか登って夏につなげたい山行なのです。
初日は涸沢まで。久々の長いアプローチ×ザックの重さに我々の撫で肩はなでなのっ?て泣いている。やっとこさ涸沢に到着して、テントを張るが酒もすすまない。2人合わせて一升持ってきたのに…。仕方なく、さっさと眠ることにする。
3時に起床、マグヌードルの朝食も飽きてしまった。明るくなってきてから出発。前穂北尾根の3・4のコルを目指す。雪渓に足を置くとツルツル、即座に12本爪アイゼンをつける。多くの人が向かう5・6のコルは雪渓もほとんどなくて、踏み跡がしっかり見える。3・4のコルへ向かうのは私たちだけ。登っているとそうでもないのに振り返って足下を見るとかなりの傾斜だ。コルが近づいてくると、雪渓は終わりガレ場になった。これが踏むほどに足元からどんどん崩れていく。浮いてない石を探すほうが難しいような感じだ。私たちの前に人がいなくて良かった、さらに私たちの後ろにも・・・。
コルに着くと、北尾根を登るパーティが大勢いる。3峰を登るのに順番待ち状態。私たちだけが奥又白谷へ下降するらしい。覗き込むと急な雪渓が待ち受けている。3峰からの落石も心配だ。最初の数メートルはまたまたモロいガレ場で、ヘッピリ腰状態で降りる。雪渓に乗ってからは、右下に階段状のテラスが出来ていたので、まずそこまで降りてみる。北尾根からは落石がブーンッ、ひえ~恐ろしい音だ。この先はビレイした方が良さそうだ、と話していたら運よく懸垂支点を見つけたので、安全環付カラビナを1個残置して、約40m懸垂下降する。ここで雪渓は終わり、踏み跡に乗れたので、アイゼンをはずした。
3峰の末端をまわりこむように踏み跡が続いている。ちょろちょろ水の流れるB沢を越えると、右岩稜の下部と思われるガレガレの草付きに出た。踏み跡をたどりつつ最初の確保支点を探す。1箇所見つけたが登攀準備が出来るような場所ではないので、さらに登って、ガレ場終点のバンドの手前で準備する。
右手に懸垂支点が見えたので、ひとまずそちらへ向かう。古川ルートという確信はないのだが他に支点が見当たらないので、取りあえずここから登ってみよう、と玉リードで登攀を開始する。
かぶり気味の右上する岩溝はザックがひっかかるし、右側にスタンスが求められなくて、セカンドの私はテンションをかけてしまった。登ったところがバンドの右端。左にも2箇所支点が見えるので様子を見に行く。右往左往しながら、最初の支点から登ることにする。行ったり来たりしたため、また玉リードになってしまった。スラブを直上したところにハーケンが見え、そこを目指すことにする。2m程登っている姿を見て、難しそうだから1度降りたほうがいいよ、と声をかけた。すぐ左のクラックを見てもらうと、こっちの方が登れそうだ、とグングンザイルが伸びていった。
続いて登るとそこは狭いテラス。たぶんここからが核心部なのである。坂リードで取付く。凹角を右から巻きながら登り、ピナクル右のクラックに出たのだが、ヌンチャクが残り少なくて、この先のかぶり気味を越える自信がなかったため、玉ちゃんに降ろしてくれ~、と頼む。ザイルで岩がこすれて目にゴミが入ったため、テラスに着いた時は敗退者のように涙ボロボロとなっていた。
足下は真っ直ぐに切れ落ちていて、Cフェースからはガラガラと響き渡るように落石があるし、不気味にガスが沸き上がってくる。玉ちゃんが登れなかったらどうやって戻ろう、と考える。
玉ちゃんはアブミとフィフィを付けていたので(私のアブミはザックの中)、それを使いながら10cm刻みで登っていく。腕がかなり疲れていそうだ。私はとにかくビレイするしかない。
2時間近くたって、解除っ!の声が聞こえてきた。玉ちゃんの腕を疲れさせないように早く登ろう、と心に決め取付く。アブミがないので、ヌンチャクにデイジーチェインをかけて、テンションしながら登る。ピナクルを越えると左手のクラックはもう易しかったのでホッとした。そのまま北壁大テラスまで登る。
ここで古川ルートは終わりだぁ、で握手。後はⅢ級の連続。簡単なところを選びながら登り、ガレ場の先の第2テラスへ。前穂高の頂上まであと2ピッチ。ザイルを引き上げるだけで息がはぁはぁとなり、肩も腕も腰も痛い。
2ピッチが終わってAフェース終了。そして、頂上へ18:30に到着。今度はがっちりと握手。
今日中の下山は無理なので、ビバークすることにする。幸いに山頂の標識と一等三角点の棒がいい間隔で立っていたので、それにツェルトを被せてシュリンゲなど使って張る。ザックの中身を下に敷き詰めて、さらに背中のパッドを敷き、ザックに下半身を入れて眠ることにした。
水は2人合わせて500ml位。非常食のハチミツを舐めて、水を少し飲んで眠る。
翌朝も3時起床。明るくなるまで、コンロをつけて暖まる。夜間に雨が降ったが、それほどしみてこなかった。取りあえず白出乗越を目指す。
一般登山道なのに濡れていていやらしい。相変わらず小雨が降っている。腹ペコでクタクタな身体ととにかく歩く。途中すれ違った女性軍団にヨシヨシと頭を撫でられ、精悍な顔付きをしている、と言われた。
長いトラバースの後、やっと奥穂に着いた。あともう少しで飲み物と食べ物のある場所だ。穂高岳山荘でジュースを一気飲みして、朝定食を食べる。ご飯も味噌汁も美味しい。続いてテントの待つ涸沢を目指す。
涸沢小屋でジュース2本を一気飲みする。テントを撤収して最後に上高地を日指す。
横尾でカレーを食べてからは1時間短縮するほどガンガン歩いて運よくタクシー相乗りできて(バスターミナルはスゴイ混み具合でした)、松本でカツを食って、電車も座って帰ることができた。
今回登った前穂東面は今までの登攀の中で一番アプローチが大変だった(撤退するのも大変だろう)。また、谷川岳以上に頻繁に落石があり、北岳Bのピラミッドフェースと同様にルートファインディングも難しかった(フェースはRFが難しい)。また、ギア類の他に玉(ガス、ジャンピング、無線機)、坂(ツェルト、医薬品)、それぞれ12本爪アイゼン(これが重い)とピッケルなど背負っていてザックの重さを感じた。ルート上のハーケン類は全て古いものであり(初登は1957年)、打ち足しもなかったが、穴が大きいので、ほとんどヌンチャクをかけられる。古川ルートはガイドではピッチグレードV+、ルートグレード4級下のルートであるが、ポピュラーでなくピッチがVを越える時はあぶみを出しておいた方がいいな、と感じた。さらに、下部についてはガイドによってルートやグレードが異なるのでわかりにくい。
次は同じく穂高エリアの屏風岩・東稜ルート、前穂Ⅳ峰・北条新村ルート、滝谷ドーム西壁雲表ルートおよび第4尾根を目指します。人工壁にも毎週通うようにしたし、アブミの練習もしたし、あとは装備をチェックして、女々しい病気にかからないように注意しよう。玉谷君、次回はまかせてくれ&今回はお疲れでした。
※ 古川ルートは同年の1998年夏の長野県群発地震により、ルートの一部が崩壊。