アルパインクライミング
北アルプス 穂高岳-屏風岩東壁 雲稜ルート
7/20~23 メンバー:L.玉谷和博(記)、SL.坂本多鶴
どんなにフリー化が進んでも、どれだけ困難な派生ルートが拓かれても、今なお色あせることのないクラシックルートがある。登山道から目立つ大岩壁(ビッグウォール)の正面、ド真ん中に、弱点をつきながら堂々と伸びるライン。しかもその岩壁の初登攀ルートである。東京雲稜会の南博人らによる「雲稜ルート」は、そのどれもが魅力的で素晴らしいルートばかりだ。屏風岩へは昨年、登竜門(とうりょうもん?)と言われる「東稜ルート」に登ったけど、やっぱり雲稜ルートこそがメインルートなのです。
7/19(水) 松戸駅22:00=(JR)東京駅23:54=(JR)
7/20(木) 松本駅4:40/4:50=(松本電鉄)新島々駅5:13/5:25=(バス)上高地6:35/ 7:10 横尾11:30/13:00 渡渉点14:30 1ルンゼの押し出し15:00
ツェルトビバーク[快晴のち小雨]
もうすっかり夏山である。上高地バスターミナルに続々と到着する観光バスからは、うんざりするほどの人・ひと・ヒトが、とめどもなく吐き出されてくる。半年前、前穂北尾根に登りに来た時には誰もいない、とても静かな世界だったのに…。「あ~っ雪山に、またトップリ浸かって思いっきりラッセルがしたい~っ!」徳沢から横尾へと続く“上高地街道”を歩くのはあいかわらずタルイ。今日はT4(テラス4)までの予定だから急ぐわけじゃないけど、道幅いっぱいに広がって練り歩くオバちゃん軍団の無神経ぶりにもあいかわらずウンザリだ。
横尾からは、めざす屏風岩が大きく切り立って迫ってくる。前穂の東面・奥又白や涸沢方面には、まだたっぷりと雪が残っているのが見える。例年よりも約一ヵ月半も時期がズレているんだそうだ。そのせいか横尾谷の水量は、かなり多い。去年渡渉した横尾の岩小屋跡の前からはとても渡れず、7~800m位戻った下流からなんとか渡渉。身を切るような冷たい水に、北鎌での臨死体験が頭をよぎってしまった。昼過ぎから降りだした雨と、夜行列車の疲れから、本日のテン場は1ルンゼ押し出しの河原に決める。
7/21(金) 1ルンゼの押し出し7:00 T4尾根取付の岩屋9:00 ビバーク[快晴]
朝、キャーキャー騒ぎながら渡渉してくるパーティーの声で目が覚めた。いっけねえ寝坊しちまった。あわててツェルトをたたんで出発する。1ルンゼ押し出しの急なガラ場を息を切らして詰めていく。30分ほど登ったところで、多鶴ちゃんに落石というアクシデントが発生!まだアプローチなのでヘルメットをかぶっていなかったから、後頭部に幅1cm・深さ1mm位の裂傷を負ってしまった。減菌ガーゼと三角巾で応急処置をしたあと、しばらく休む。たいしたことはなさそうだけど、出血があったし、なんだかいつもの威勢のよさがなくなっちゃったみたいなので、とりあえずT4尾根の取付まで登って今日一日、大事をとって様子をみることにした。
1ルンゼ内の残雪も多く、去年より5~6mは高く残っている。右側の尾根に乗ってしまえば、軽アイゼンの必要は無い。4日間もあるから…と思っていた休みも、なんだかんだとモタモタしているうちに残り少なくなってしまった。予定していた滝谷ドーム西壁雲表ルードは次の楽しみに伸ばすとしても、明日は屏風の頭から徳沢まで行きたい。キジ坊たちは、無事に北鎌を越えただろうか?と、仲間の動向を気にしながらも、明日の登攀に期待しつつゆっくりと休もう。
7/22(土) T4尾根取付の岩屋5:00 T4 6:30/6:45 扇岩テラス9:40~屏風岩東壁雲稜ルート~終了点13:30/13:50 屏風の頭16:00~パノラマコース~徳沢園19:30 小屋泊まり [曇り時々小雨]
岩屋の中は寝心地が良くて快適だった。はやる気持ちを抑え、明るくなるのを待ってからツェルトを出た。3時に横尾を出てきたというパーティーが、一足早くビレイ支点でザイルをセットしている。僕らは2番手。登攀の準備をしていると、すぐに後続のパーティーもやってきた。聞けば、みんな雲稜ルートだという。さすがに人気ルートだ。後ろの2人パーティーは、東京白稜会の山崎さんと恩田くん。屏風岩の登攀は、実質的にはこのT4尾根から始まる。
1ピッチ目、鶴リードでいよいよ登攀開始。 T4尾根は2本あるルートのうち、真上の浅い凹角を行く。左から回り込むルートよりもやさしい気がするが、残置ピンは少ない。2ピッチ目はガバだらけのカンテからフェースへ。やがて砂利の脆い草付帯に入り、もう1ピッチでT4(テラス4)に着く。まずここまでは、ウォーミング・アップ。ここからが本チャンだ。頭上には有名な青白ハングが見える。
あれが鵬翔ルート、緑ルート、そして雲稜ルート…。クラシックルートには、開拓した山岳会の名がつけられたものが多い。「山の会」が本当の山岳会であった頃の話。会としての誇りをもって、会が総力をあげて開拓していた頃の話・・・。最近のフリークライミングルートにみられる“百恵ちゃんララバイ”とか“枯れ木を落としたよ”みたいなルート名は、いかがなものかなぁ?(俺って古い人間なのでしょうか?)
T4から上に真っ直ぐ伸びる大きな凹角(ジェードル)が雲稜ルートである。4ピッチ目(Ⅲ~Ⅳ)25m、鶴リードで緩いフェースから凹角の中へ。5ピッチ目(Ⅴ、A1)25mは玉リード。凹角は立っていて、さらに小ハングに突っかえてしまった。ルート図集「日本の岩場」を見ると、「現在では常識的にフリーで登られ…」ているそうだけれども、恥ずかしながらアブミを出してしまいました。(俺ってやっぱ古い人間なのです)
さっきまでベタ打ちだった残置ピンは少なくなり、遠い。ザックが重くて岩から剥がされそうでヤバイ。小ハングはさらにもう一つ続く。久しぶりの人工登攀なので苦労してモタモタしていたら、下から退屈そうなビレイヤーの心ない声が聞こえてきた。「玉ちゃーん、また後ろから人がきたよー(早く登れよ。何やってんだよ。渋滞の原因になっちゃってるじゃんか!)」「言われなくてもわかってるわい。これでも頑張っているのだ。(幕営装備が入った)ザックが重いからしょうがないのだよ、キミ。荷物さえ軽けりゃフリーで越えられるのに…」事実、他のパーティーと比べると僕らのザックはいつも大きい。ルート経験がないからどうしても過剰装備になってしまう、というのもあるし、“恐い”から非常用装備もたくさん詰め込んでしまう。それと僕らは登攀した後、そのまま稜線(あるいはピーク)まで抜けていく場合が多いけれど、他のパーティーはベースキャンプを下に置いてサブザック装備でスピーディーに登り、登攀終了点や核心部が終わった地点から懸垂下降するというスタイルが多いみたいだ。
やっとのことでビレイ解除。つづく6ピッチ目(Ⅲ、A1)は鶴リード。最初のピナクルを目指して右上して、そこから垂壁をアブミの掛け替えでさらに次のピナクルへ。ルートは左へ折り返して階段状の草付きを登っていく。ボルトは噂どおりのベタ打ち状態なので楽な人工だけど、ルートファインディングというよりは“ボルトファインディング”が意外と難しい。転がり込むようにして、“扇岩のテラス”と呼ばれる非常に安定したテラスへ出る。ここでいったん一息入れる。
ルートは扇岩から垂壁をまっすぐ直上している。7ピッチ目(Ⅲ、A1)は玉リード。初登時はここが核心部で、攻略するのに丸2日間かかったという。今ではボルトラダーになってしまっていて、アブミの最上段に立つこともない楽チンな人工で登れてしまう。ただし、残置ピンはかなり老朽化したものが多く、ボルトの効きは保証できない。ちぎれたボルトリングの代わりに靴ひもで代用された古いボルトが点々とつづく。しかも、その靴紐も荷重がかかれば今にもちぎれてしまいそうに古いものがぶらさがっている。こんなものに全体重をかけて登れっていうのか!これが噂の靴ひもビレイ。少し左のラインはフリールートになっている(「ロックアンドスノー」誌によると、5.11c~d)が、当然人工で登る。「オールフリーで一撃ですよ!」と、涼しい顔で言っていた船橋山の会のフリークライマー市原さんはやっぱり凄い!
高度感のある見事な垂壁を快適な(?)アブミの掛け替えでグイグイ登っていく-。支点にあまり刺激を与えないように、そぉ~っとアブミに乗るのは何度やっても気持ちのいいもんじゃない。やがて頭上のハング下まで4mというレッジでピッチを切る。ここからハングを目指して人工でさらに登り、ハング下の窮屈なバンドを右へトラバース(Ⅳ、 A1)。さらに草付きを右へ回り込んでつなぐと、左上へすっきりと広がる東壁ルンゼへと出る。
次は鶴リードで10ピッチ目(Ⅲ、A0)のルンゼ状スラブ。「フリクションを効かせて快適に…」行きたいところだけど、やはり重荷だと微妙なバランスがとれないので人工で。傾斜はグッと落ちて、11ピッチ目(Ⅳ)を45mザイルいっぱいにのばす。ここで滑ったら横尾谷まで転がっていっちまいそうだ。最後のピッチ(Ⅲ)はスラブから左上する草付きの暗い凹角。岩は濡れてすべるし、浮き石は多いし、ランナーはとれないし、…。そして45mめいっぱいで大木の生えた登攀終了点に飛び出した。
「やった!ごくろうさん!」何はともあれ登れた。登山道から仰ぎ見るだけだった屏風岩に2本も。課題は多い。「Ⅳ級A1は誰でも登れる」とよく言われるけど、次のⅤ級A2の世界へ行くにはⅣ級A1のルートをもっとたくさん登り込まなければ!・・・。
その後、終了点から屏風の頭へ続く尾根に出る踏み跡を失い、ボロ壁のキワドイ登りになってしまいました。ハーネスをしていたからよかったものの、悪場の処理も経験を積まなければ!…。
今回は涼しくてラッキーだった。去年は暑くて、10分歩いて5分休むというありさまのナメクジのような牛歩戦術で屏風の頭まで登ったのに、今日はまだ余裕が残っている。涼しい風が吹いてきた。残雪の多い涸沢と前穂北尾根が見えてきた。あとはもう屏風の耳を越えてパノラマコースから徳沢へ下りていくだけだ。今回も残業まちがいなし!
7/23(日) 徳沢7:20 上高地9:00/9:20=(バス)新島々駅10:30/10:42=(松本電鉄)松本駅11:13/12:52=(JR)新宿駅15:37=(JR)松戸駅16:30
よく晴れた、涼しくて気持ちのいい朝。上高地までの散歩をして帰るだけだ。そして、皆それぞれ楽しかった夏の思い出をザックにいっぱい詰めてバスに乗り込む。雲稜ルートは評判通りの素晴らしいルートでした。近いうちに、谷川岳一ノ倉沢衝立正面壁の雲稜ルートも、八ケ岳大同心の雲稜ルート(冬)も、必ず登ってみたい。
■安全な登山なんてあるんだろうか?ましてや、安全なクライミングなんて、いったいどこにあるんだい?昨年の暮れから春にかけては、相次いで訃報が届きました。3月の一ノ倉沢滝沢リッジに逝ってしまった吉尾弘さん。5月、穂高ジャンダルムで滑落死した日高健二さん。11月末、北鎌尾根に消えた池学さんは未だに遺体が見つかっていない。面識のある三人のベテランクライマーが「なぜ、あんな所で…」とも言える場所(つまり、僕らの行動可能なエリア内で)遭難死してしまったことはとってもショックでした。
未熟だとか不注意だとかといった理由ならまだわからないこともないけど、そんなものに関係なく、いや、それ以前に「山に入るということは実に危険なこと」だということを再認識させられ、「死」というものを妙に身近に、リアルに感じてしまいました。
登攀の前には、いつになっても不安がつきまとう。それは、登山や登攀のレベルが上がれば上がったなりに、常につきまとって離れない頭の上にある「壁」だ。それを自分の力で一つ一つ突き破り、越えていかなければ前進できないのです。そして、上を見ればきりがないほどのたくさんのルート(課題)があるし、上を見ないではいられない。
だからこれからも慎重に、山を畏敬しながら確実に登っていたいと思う。
■家に帰ってから、雲稜ルートが開拓された当時の山行記録を読んだ。「雲稜=30年の軌跡=」昭和34年4/20~25。ブロック雪崩に怯えながら、時折小雨の降る中、氷結した岩場にザイルをのばし雲稜ルートは開拓された。当初の予定では屏風岩東壁をやった後、北尾根から四峰正面壁にもルートを拓いて前穂まで行くことになっていたが、叶わず、リーダーの南博人が「今回の山行は失敗であった。」というくだり-。
そうあの吉尾さんたちがもっとも熱かった頃の時代。先人(昔のクライマー)のモノ凄さを感じてしまうのです。
<注意>
- 東稜も雲稜ルートも、かなり古い残置ハーケンや(リングが欠けた)リングボルトが多い。靴紐シュリンゲやリベットハンガーを持つ事や、支点のチェックも怠りなく。ランニングビレーは、登り出しには特に多めに取ること。
- 終了点から、屏風の頭へ続く登山道へ出るまでの間の踏み跡が不明瞭。意外にムズイので、登攀終了後もしばらくハーネスをしておいた方がイイかも。