アルパインクライミング
10/9~11 南アルプス 甲斐駒ヶ岳
赤石沢奥壁・前衛壁 ダイヤモンドAフランケ 赤蜘蛛ルート
メンバー:L.玉谷和博(記) SL.坂本多鶴
このルートは「一本のザイルで登る、赤石沢の蜘蛛」を名乗った赤蜘蛛同人の井上進氏らによって、1971年10月に拓かれた。「長い壁・遠い頂」という登攀記を読むと、この時の熱気がビシビシと伝わってきます。抜けるような秋晴れ。圧倒的なスケールの大岩壁とダイナミックなライン。近頃少しヘコんでいた気持ちとか、くだらない怒りだとか、それから僕らが今までに登ったどんなルートも、すべてが吹き飛んでしまうような素晴らしいクライミングでした。
10/8(金) 松戸駅20:30=(JR)東京駅21:44=(JR)甲府駅23:45/23:57=(JR)日野春駅0:22 仮眠
10/9(土) 日野春駅6:25=(タクシー)竹宇駒ガ岳神社6:40/6:50 笹ノ平9:30/9:40 刃渡り10:30/10:40 五合目小屋11:30/11:40 七丈小屋12:40 小屋泊 [快晴]
2ケ月ぶりに黒戸尾根を登る。思えばこの夏は散々だった。穂高の屏風岩を登ったあとは、錫杖も北岳バットレスの中央稜も一ノ倉の衝立正面も、そして夏休みのAB赤蜘蛛から左ルンゼを登る計画も、ことごとく雨で流れてしまったのだ。しかし今回は3日間の晴天が約束されているので、自然と僕らの足取りも軽くなるのです。昼過ぎに七丈小屋に着き、さっそくビール。まだ時間は早いけど今日はここに泊まって、ゆっくりと疲れをとってから明日一気に攀じってしまおうというリッチなプランなのである。
夕方からは小屋のご主人に頼まれて、夕食準備の手伝いをすることになった。どうせ暇だったし、この夏にはテントで4泊もしているので小屋番とはすっかり顔馴染みになっていたものだから。「まっかせてくださいよ!ワタシ、料理は大得意なんですよ!」と多鶴ちゃん。「…おぃ、おぃ」小屋は超満員、55人分の食事。調理・盛りつけ・配膳から後片付けまで。結局疲れ切って、眠りについたのは23時になってしまった。あ~~っ、明日は起きられるんだろうか?
10/10(日) 七丈小屋5:30 八合目6:20 Aフランケの基部8:00/9:00 大テラス13:20/14:00 六ピッチ目14:20/15:40~懸垂~大テラス16:00 ビバーク[快晴]
コトコトという物音であわてて目を覚ましたのが5時10分。小屋番はもう1時間以上も前に起きて朝食の支度をしている。逃げるように小屋を出ると、外はもう明るくなり始めていた。「朝食に…」と、キウイとバナナとミカンを差し入れにいただき、小屋番に見送られ5時30に出発。紅葉はまだ五分ほどだけど、モルゲンロートに包まれて山が赤く燃えている。空は雲一つないドピーカンだし、秋の空気が涼しくって気分がイイ。
八合目の岩小屋付近にはテントが6~7張ほどあり、人気の赤蜘妹ルートもかなりの人が入っているのが想像できた。ここからさらにAフランケの取り付きまでは八丈沢左俣側を1時間以上も降りなければならないのです。メットとハーネスをつけて急な斜面を慎重に下降していく。踏み跡は明瞭、赤テープも多い。大岩の間や立ち木をクライムダウンしたり、残置アブミあり、残置ザイルでの懸垂下降あり、と気が抜けない。八丈沢奥壁を左に見て、フィックスザイルに導かれるようにして赤石沢側にトラバースしていくと、ようやくダイヤモンドAフランケが見えてくる。「これが…」思わず息を飲む。白く輝く花崗岩の壁。ハンパじゃない、とにかくスケールがでっかいのだ!この上に、Bフランケ、さらに赤石沢奥壁と続いているなんて!
バンドを伝ってカンテを回り込んだ所が赤蜘蛛ルートの取付点である。隣の白稜会ルートに2パーティー、赤蜘蛛の上部に2パーティーが取り付いていた。さっそく登攀準備。今回はいつもよりギアが多い。まぁ他のパーティーよりも荷物が重いのはいつものことなんだけども、初めて登るルートは不安を解消する為にどうしても過剰装備になってしまう。フラットソールを履く、ハンマーを付ける、重いギアラックを肩に掛ける…。「素晴らしいルートじゃないか。どうしても登りたいんだ!」「怖いのか?ホントに登れるのかい?」「今ならまだ間に合う。早く帰ろう」といろんな思いが混じる。
行くぜ!9時に鶴リードで出発(A1)。しかし、出だしのハングがなかなか越せないのでリードを交代することに。いきなりプレッシャーがかかる。なんせどちらかがリードできなければ、即撤退を意味するんだから。「行くしかない!」なんとかハングを越え(リーチの差か?)ると、25mの垂壁を人工で左上していく。小テラスで切り、2ピッチ目(40m・A1・Ⅳ)を鶴リード。見事なクラックが走る大ディエードルにザイルを伸ばしていく。ジャミングが良く効くけど、途中からは傾斜が強くなってきたので、A1まじりで。大ディエードルは次のピッチもさらにつづき、V字ハングの下でアブミビレーとなる。4ピッチ目(20m・Ⅳ・A1)は鶴リード。ハングを左側から越えて、さらに前傾壁を人工で抜け、外傾したテラスに着くと、頭上に広がる赤蜘蛛ルート後半部の、巨大な恐竜カンテと80m以上もある大垂壁が目に飛び込んできた。「うわぁ~、あれを登るっていうのか…」
つづく5ピッチ目(25m・Ⅱ)の易しいフェースを右上すると、3畳ほどの大テラスに着いた。このあともう1ピッチザイルを伸ばしたが、白稜会ルートからも合流してきた先行パーティーが大渋滞していて全く動かなくなってしまった。このまま登れば夜中になってしまうだろうし、ここから3ピッチ上の安定したテラスまでたどり着けるかどうかも疑問だったので、16時に大テラスに戻りビバークすることに決める。
10/11(月) 大テラス6:30 Aフランケの頭の岩小屋12:00/12:30 八合目13:00/13:10 七丈小屋l3:40/14:30 五合目小屋15:00/15:10 刃渡り16:00 笹ノ平16:40 竹宇駒ガ岳神社18:10/18:20(タクシー)韮崎駅18:50/19:56=(JR)新宿駅21:36=(JR)松戸駅22:30 [快晴]
ツェルトを出ると今日も快晴。垂直に切り立ったAフランケ全体がモルゲンロートで赤く染まり始めていた。ドーナツを一片口に放り込んで、すぐに出発する。昨日登った6ピッチ目(ルート図の5P)を鶴リードで登り返す。かぶり気味の凹角からスラブをフリーで左上し、カンテ状を右上した外傾したレッジがビレーポイント(A1・Ⅳ(Ⅴ))。いよいよここから先、2ピッチが赤蜘蛛ルートの核心部である。目の前にある約80mの圧倒的な垂直の壁!まずは玉リード。恐竜カンテに向かって一直線に延びるクラックに沿って、残置ピトンにアブミを掛け替えながらグイグイと高度をかせいでいく。途中、5mほど支点が何も無い所は、先日買ったばかりのエイリアンをクラックにセットしてアブミに立ちこむ。もう全て撤去されたと聞いていた、初登時のアルミハーケンも未だに健在。人工登攀はまるでロシアンルーレットだ。頼りない残置支点にただ祈るのみ。靴ひもビレイ、腐ったシュリンゲ、リングが伸びきって欠けたボルト、グラグラのハーケン…。いつ切れてもおかしくない。セカンドが登る時には切れてしまうかも-。
決して下を見てはいけない。落ちるかもしれないなんて考えちゃいけない。なぜならば恐怖で体が一歩も動けなくなってしまいそうだから!手のひらに汗がジットリと滲む。アルパインクライミングでは絶対に落ちられない。ちょっとのミスが悲惨な事故になるかもしれないから。「なんでこんなやばいトコ来ちゃったんだろう?」と、ふと思う。かなり時間をかけて、40mザイルをのばした垂直のビレーポイントで完全なハンギングビレーとなる。高度感がものすごい!足の下に見えるのは、およそ500m下の赤石沢の谷底だけだ。垂直のトリップ。まるで写真で見たビッグウォールクライミングみたいに。
次の8ピッチ目(20m・A1・Ⅳ-)は鶴リード。朝陽を浴びながら恐竜カンテを越えて右側のフェースを人工で行く。ボルトは遠く、多鶴ちゃんはアブミの最上段でも届かないのでリストループに乗ったという。ここまで来ればもうすぐだ、あともう少し…。9ピッチ目(30m・Ⅳ・A1)は階段状の易しい岩場からフェースを人工で登り、木陰のある赤蜘蛛大テラスまで。あとは80m、2ピッチ。岩場まじりのブッシュ帯を進み、 Aフランケの頭の岩小屋が見えてくれば登攀終了だ。12時ジャスト。夏のような強い陽射しに、もう喉はカラカラに干からびちまってるし、なんだか気持ちが悪い。昨日からほとんど水を飲んでいないのだ。今の望みは、“七丈小屋で水をたらふく飲むこと”ただそれだけ。
もうひどく疲れちまった。咋日からほとんどロに入れてないからだと思う。ナメクジのような牛歩戦術で八合目まで登り返し、七丈小屋へと向かう。「今度は部屋の掃除でもさせられるんじゃないのか?」と思っていたら、小屋番のオヤジさんに迎えられて出るわ出るわ…。昼飯(といっても小屋食の残り)にヱビスビールにあんみつに、オマケに「はい、バイト代!」と言って、なんと2万円までいただいてしまいました。びっくり!そして僕らは「憧れの赤蜘蛛ルートを登ったんだ…」というジワジワ湧き上がってくる感激とたっぷりの充実感と、そして七丈小屋での思い出を語りながら、ほろ酔い気分で転がるように黒戸尾根を下っていった。
[追記]
七丈小屋のオヤジさんの名は田部直敏さん。「私はただの小屋のオヤジですよ」とか「山ばかりやってきた大バカ野郎ですよ」と言って、どうしても名前を教えてくれなかったが実はスゴイ人だった。静岡登攀クラブOBで元プロガイド。初期に、小川山でフリークライミングのコンペを開いたり、開拓も多い。ムーブ(夢舞)ワークショップ主宰。雑誌「岩と雪」No124、No125 「クライミングジャーナル」No32などに載っています。
■アルピニズムは、「挑戦」であり「冒険」だ。冒険とは、危険を冒すということだ。アルパインクライミングは僕の心を強く揺さぶる。危険を承知で挑戦しなければ、何も変わらないし、どこにも行けないだろう。僕はまだ経験の浅いヘボクライマーだけれども、山に挑む気持ちが衰えないうちは自分なりのアルパインを追求していきたいと思います。でも山はいつか必ず逃げて行ってしまうものなのです。だから今……だ。
■このままどこにも登れないんじゃないか?と悩んだり、連れて行ってもらえないから…と言い訳をしたり、先輩がいないことを恨んだりすることも、もうなくなっていた。「山」は自分で企画・計画・実行してこそ面白味があることに気づいてしまったから。
赤蜘蛛ルート/穂高岳屏風岩東壁東稜ルート/前穂東壁右岩稜古川ルート/滝谷ドーム中央稜/剱岳チンネ左稜線/一ノ倉沢中央カンテ/北岳バットレスピラミッドフェース/Dガリー奥壁など・・・/冬には槍ケ岳北鎌尾根/一ノ倉沢中間リッジ/一ノ倉尾根/白馬主稜/剱岳八ツ峰主稜/中山尾根や阿弥陀北西稜など・・・八ケ岳の冬期クライミングなど…
他にもたくさん登った、登れた。失敗はそれ以上に多いけれど、そうした失敗も含めてみんな僕の“宝もの”だし、ただただパートナーに感謝するばかりです。
■赤蜘蛛ルートは素晴らしかった!でもこの充実した気持ちが、そうは長くは続かないってことも僕らはよく知っている。たとえ泥のようにクタクタになっても、どんなにヤバイ思いをしても、決して終わることがない。そして満たされない気持ちに追い込まれるようにして、より刺激的で魅力的なルートへ、また出かける。そのくりかえしだ。力をつけたらまた甲斐駒に行こう。今度は冬?スーパー赤蜘蛛?それとも毒蜘蛛ルート?そこはもっと素敵な世界に違いないから。
<注意>
■八合目をベースにする場合、この時期(渇水期)は水が無いので注意。テント多い。
■恐竜カンテへの大垂壁のクラック部分では、ところどころ古いハーケンやボルトが撤去されているので、カムデバイス類が必要。なお今回持っていったクライミングギアのうち、特に気になったものを書いておきます。(2人パーティーで)
ザイル9mm×45mを2本、テープアブミとフィフィ各自1セット、ヌンチャク12本、ハーケン8枚、ハンマー2本、リベットハンガー(極小ナッツ)4本、ジャンピング1セット、ナッツ2本とエイリアン1/2・3/4・1・1 1/2とキャメロット0.5・0.75・1・2の各サイズを2セット、シュリンゲ+ビナ3ケ。その他、一般登攀具。