ワシらが最初に技術本(のようなもの)を作ったのは、まつど岳人倶楽部を立ち上げる前。
所属していた会のザイルの仲間用に1998年2月に「アルパインクライミング入門」、4月には「冬期クライミング入門」を作りました。どちらもB6版で完全手作り仕様です。
まつど岳人倶楽部の技術本が出来るまでは、発行日と会の名称を修正したこの2冊を新人に渡しておりました。
そして、これをベースにして、会を作ってから会報に毎号載せていた技術ワンポイントの他、新たな項目も追加し、さらに何度も練り直して、約1年かけてやっと出来たのが「岳人になるための本」(歌本付き)でした。
この技術本は山渓や岳人でも紹介され、2005年の岳人会報賞で準優秀賞となりました(賞金2万円はJFAの岩場整備基金に寄付)。
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2006年12月に入会した「新し仲間」は東大大学院生。その風貌からビンもしくはランディ(ビンランディ)となる。
一緒に常磐線に乗って福島県の丑の倉と青葉の岩場へ。青葉ではカッチンの職場のマギー内藤くんも一緒に登る。
カッチンはその当時、仙台勤務。前年の秋にはあたる君、ゴルゴとともに皆で黒伏山南壁を登ったよね。
丑の倉と青葉 2006/12/16~12/17。(玉谷、坂本、妹尾、盛山、内藤)
そして、ビンと言えば、柏瀬さんと親しい大内尚樹氏も忘れてはいけない。
ビンが一時期住んでいたアパートの大家さんでもある。
まだビンが入会していなかった2002年11月には、柏瀬さんと一緒に、当時の部員みんなで大内宅を訪問。夜遅くまで山の話を色々と伺った。
その時に九州「「庵・鹿川」の生田さんも来られていて、宮崎の岩場の話など色々と伺い、翌年の2003年の「庵・鹿川」訪問のきっかけとなる。
金曜日夜に大内さん宅に泊まらせていただいたあと、土曜日は天王岩で一緒に登って解散した。さらに、その夜は他のメンバーが合流してテント泊、日曜日も天王岩で登った。
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三ッ峠でも何度も訓練したビンの初一ノ倉かな、南稜へ。
この頃のワシらはおまけでついて行っているようなもので、本チャン指導の主役は若い衆たちに替っていました。
烏帽子沢奥壁南稜、2007/06/23。(玉谷、坂本、松澤、斎藤、森、妹尾)
キジ坊のタクシーにたまたまお客さんとして乗車した若き実業家のマイケルも2007年秋に入会。
この時は横文字ニックネームにしたかったので、マイケルに決定。
三ッ峠や湯河原幕岩、カサメリ沢、日和田などに行きました。
一緒に行けたのは1年間位だったのかな。
相変わらず忙しいのかい?
日和田 2008/08/09(中野、坂本、盛山、松澤、岡、五十畑、金、柏瀬さん、飲み会より玉谷)
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山岳会を作って10年目。これを機に、われわれ古い会員は現役を引退し、思いきって若者たちに会の運営を任せることにした。
これからの新しい時代を形作っていくのは、若い人たちだ。自主的に「自分たちの山」を、「自分たちが理想とする山岳会」を作っていって欲しい。
いつまでも古い会員が牛耳っていると水は澱み、いつしか腐ってしまうものです。清流のように、いつまでも新しい風を吹き込み、先輩から後輩へ。そして後輩からまたその後輩へと綿々と続いていく流れを作りたいという願いで…。
それと、松戸市を中心にして集まってきた若者たちも社会人となり、松戸を離れて東京が生活の中心となっていたことも大きな一因です。
岳人写真館(まつど岳人倶楽部の草創期編)は、これにておしまい。 続きは現役サイトとOBサイトにて。
「爺むさいなぁ!」と言うなかれ。こうして時々振り返ってみるのも、決して悪いことじゃないと思うのです。「過去」があって「現在」がある。そして、「現在」が「未来」を左右する。
まつど岳人倶楽部がますます活発でありますように…。そして、まだ見ぬ遥か未来のあなた達と私たちが、どこかで繋がっていますように…。
また、一緒に飲んで語ろう!(天狗で写した写真など)
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