戦後まもない頃の穂高岳屏風岩(正面壁)初登の記録。昭和22年、石岡繁雄は神戸中学校(旧制.現在の高等学校)の教え子2名を連れて、屏風岩に向かい、「戦後最大のアドベンチャーだ!」と新聞を賑わすほどのビッグクライムを成し遂げた。5回にわたる攻撃。登攀のルールをあえて無視した投げ縄・チッピング(当時は未だボルトやアブミは無い)。そして核心部を越えられない石岡を1人残して、救助を求めに降りる2人。八高(旧制.現在の名古屋大学)のパートナー伊藤洋平との人間関係のもつれ…。本書は、屏風岩にとりつかれた一本気で人間味あふれる男の執念の物語である。
石岡はその後、神戸中学校の山岳部を母体にした岩稜会を設立。小説『氷壁』のモチーフにもなった、いわゆる「ナイロンザイル事件」を通して、生涯を通じてクライマー(さらに高所作業者)の安全に関わっていくことになる。
PS;写真は昭和24年版(初版)。さらに昭和49年の改訂新版と昭和52年発行の愛蔵版、昭和55年の中公文庫版がある。
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