2004/山と渓谷社
1972年生れ。1995年マッターホルン北壁、オクス北壁ほかソロ。97年、一ノ倉沢烏帽子奥壁ダイレクトルート冬期ソロ。アルパマヨ南東壁新ルートフリーソロ。98年には幽ノ沢中央壁左フェイス等を冬期ソロ。榛名黒岩アヒル(11c)フリーソロ。2000年には自身のベストクライミングと言う、リスカム北壁新ルートフリーソロ、ほか多くのソロクライミングを実践する。“平和なクライミング界に突然現れた怪物”(菊地敏之氏・評)。トライアスロンで持久力を鍛え、フリーでは5.13をこなす実力を持つ。ソロにこだわる理由について、「本当に行きたい山があったら、他の人と共有するんじゃなくて独り占めしたい。何もかも自分でこなしたい。全部自分の納得するようにしたいから一人で行きたい。初めから突き詰めちゃったんですよ。ソロが一番難しいと。そういうことです。」と言う。「あくまでも目指すのは、いかに無駄なくスマートに、美しいルートで登ることができるか。それが重要で、山の有名無名は関係ない。どこまで通用するのか、自分の力を試したい。それだけ。誰かの力を借りるくらいなら死んでしまったほうがいい。」と語り、氷壁の困難なミックス壁をほとんどプロテクションも取らずにソロで、あるいは全ピッチフリーソロ(!)に近い形で攀じる。さらに、リスカム北壁の際の「僕は鈴木謙造でよかった。僕以外のいかなる人物であっても、このようなやり方であのルートを拓いたのであれば、生きて戻ることはできないだろうと思ったからだ。」という言葉も強烈だ。「やりたいからやる。そんな言い方が一番的を得ていて正しい言葉だと思う。なぜ登るのか?その問いに答えてはならない。登りに行け。ただ登りに行け。見向きもされず、自分自身も何も考えず、ただ登るのが理想。」と氏は自分に言い聞かすように日記に書き付けている。誰のためでもない、功名心も野心もない。ただひたすら純粋に登ることだけに集中しようと…。しかし、2001年7月、ミディ北壁ソロ登攀中に墜死する。享年29歳。最強のクライマーの一人であろう言われ、今後の活躍が大いに期待されていた。
PS;本書は雑誌「岳人」№612・「Mt.」№1でのインタビューや多くの追悼文、人物評、そして未発表の登攀記録も含めた遺稿集で、氏の全体像が掴める内容。また文章の中にはソロクライマー特有の心理描写も書き込まれていて読み応えがある。500部限定の私家版(すでに完売している)なので多くの人が目にすることができないのが残念に思っていたら、『達人の山旅1 山と私の対話』志水哲也・編(2005/みすず書房)という新刊に、前述の中嶋正宏とともに一部収録されたのでぜひ読んでみてください。
中嶋正宏氏もそうだけど、彼らの真面目で真剣な言葉の端々には、読んでいて胸につまるものがあるよね。
投稿情報: 管理人-鶴多郎 | 2007/02/21 12:48