1964~1965/ 朋文堂
45年以上も前の雑誌だがこれが素晴らしい。まず装丁(表紙・背表紙)のデザインが、まったく古さを感じさせず斬新だ。そして、企画・編集のセンスが抜群にイイ。資料性も高く、重要な雑誌だと思う。
話は少しややこしくなるけど、「山と高原」も「ケルン」も、もともとは戦前から続く古い雑誌であったが、版元・朋文堂の末期の、1964年11月号(№335)から再刊されて、№340が『山と高原』としては最終号。№341からは『ケルン』(第三次ケルンとも呼ばれている)と改題してリニューアルしたが、残念ながら№344で終刊となってしまった。それ以前の小ぶりな第一次・第二次「ケルン」や再刊以前の「山と高原」ではなく、この最後の10冊にこそ注目したい。
特集テーマとそれに関する人物特集が目玉で、現在の山岳雑誌ではありえないほどに多くのページを割いているところが興味深い。センスの良さは編集に参画した奥山章によるものだろうか?言っちゃえば、朋文堂の末期、倒産するまでのバタバタのなかで、「どうせなら好きなものを自由に思い切り作っちゃえ。」という(?)編集者の熱気・心意気を強く感じます。
しかし、その目玉の企画が裏目にでたのか、良いものを作りながらも残念ながらあまり売れなかったようだ(当然か)。なんせ山岳書専門の古書店を20年ちかくパトロールしてもほとんど発見できないし、まだ全号揃っていないくらいなんだから。
1964年11月号(№335)の第1回目人物特集には三浦雄一郎。以降、芳野満彦、串田孫一、佐伯富夫(未見)、田部重治、寺田甲子男、伊藤正一、坂倉登喜子、沢田武志、吉尾弘の10人がリストアップされている。例えば、人物特集・寺田甲子男と「山の危険と遭難」。吉尾弘と「現代のクライマー」。坂倉登喜子と「山のレディーたち」(現代風に言えば山ガールか?)といったぐあいだ。ちなみに「山のレディーたち」のグラビアには、まだメジャーデビュー前の今井(高橋)通子や石橋(田部井)淳子が、目黒に完成したばかりの日本最古の営業用人工壁の「東京ロック」でトレーニングをしている姿も紹介されています。
いい雑誌を作るという以前に、最近の山岳雑誌は面白くないなぁ。昔よりも質もセンスも落ちていると感じるのは僕だけだろうか。売り上げ至上主義の枠の中での小さな仕事。毎年同じ季節にはぐるぐると同じ特集が繰り返されるだけだ。「フレッシュマンのための山の装備」とか、「お花見ハイキング」とか「夏こそ憧れの北アルプスへ」とか、冬になれば「山スキーでいこう」か「初めての雪山へ」。わざわざ買ってバックナンバーを揃える意味もない。読み捨てられ、忘れられていく。今やそんな情報はネットで十分なのだ。昔の雑誌編集者の心意気はいったいどこに消えてしまったのか?
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。