1997/私家本
1996年8月。当時未踏峰としては第3位(※許可の取れる山としては最高峰)の標高をもつウルタルⅡ峰(7388m)が、たった二人の若者によって初登攀された。本書は、その全記録と、残念ながら下山後に亡くなった山崎彰人氏の追悼誌を兼ねたものになっている。
第Ⅰ部 最初にして史上最大のクライミング
ウルタルⅡ峰(ウルタール・サール)は、アプローチが近いにもかかわらず、「絶え間なく起こる落石・セラックの崩壊・雪崩、そして立ちはだかる複雑な懸垂氷河…」という悪条件の、危険で困難な未踏峰として知られ、1985年以来、5ヶ国から12の強力な隊が挑んだがすべて失敗していた。あの長谷川恒男がウータンクラブ隊として2度挑んで雪崩により遭難死した山としても有名だ。ルート取りの難しさから「解の見つからない山」とも言われ、長谷川恒男は、「アイガー北壁を登るようだ。(7000mの高さにアイガー北壁を重ねたような難峰だ。)」と印象を語っている。
そんな大舞台に、ロープを張りめぐらして極地法で狙っていた他のチームに対して、たった2人で大胆にもロープ1本・アルパインスタイルで挑み、みごと初登頂に成功したのは、山崎彰人(岐阜大学山岳部OB/28才)と、松岡清司(碧稜山岳会/25才)のペアである。彼らは南西面(長谷川ルート)に取り付いて、ABC出発から7日目に初登頂を果たし、途中、吹雪と雷の嵐につかまりながらも15日目に生還した。デポ無し、16泊17日の“スーパーアルパインスタイル”。7000m以上のクラスで、しかも非常に困難で知られる未踏峰にアルパインスタイルで一撃した例はあまりないだろう。登山史に残る驚異のビッグクライムだった。 …しかし喜びもつかの間、その2日後に山崎氏は突然、原因不明の猛烈な腹痛を訴え死亡してしまう。
松岡氏による詳細な報告書を読むと、胃がキリキリと常に痛むように緊張感の続く壮絶な登攀だった様子がわかる。しかしながらその松岡氏も、翌年に山崎氏の墓参後、単身レディースフィンガーに向かう途中で岩雪崩によって遭難死する。
第Ⅱ部 ありがとう山崎
山崎氏は、89年に雪蓮峰南峰(6450m)、92年のクラウン峰(7295m)、94年にはチリン峰(7091m)と立て続けに未踏峰の初登を成した若き先鋭。ウルタルⅡ峰を含めて、当時7000m以上の未踏峰は10座を割っていたが、そのうち3座をものにしたことになる。大学時代は、山岳部・カヌー部・ハングライダー部・美術部に所属し、在学中からすでに“伝説の男”だったという。関係者は一様に「すごい人、スケールの大きな自由人」と語る。「どんな困難な場所でも彼だけはきっと登れるに違いない、と思わせる男。一緒にいると不思議と何でもできる気がした。」 誰もが不可能と思っていても、氏が「やる」と言えば、皆も「できる」と思わされてしまうカリスマ性。高所では圧倒的な強さで、大胆にして繊細な男。収録されたエピソードはどれも面白く、魅力的な故人を送る言葉は「さようなら」ではなく、いづれも「ありがとう」という気持ちに溢れている。
『さくっと登ってきます』とは、7/1にBCから出された山崎氏の手紙に書かれていた言葉である。気負いを隠して緊張感を紛らわすような、当時の若者特有の言い回しだ。もちろん当人も本気で簡単に登れると思っているわけではないが、それが氏の発言ならば説得力を持って聞こえてくる。いい題名です。
この本は、超一級の登攀記録だし追悼集としても素晴らしい。私家本ではあるが、ぜひとも多くの人に読んでもらいたい一冊です。
PS1;厳しい登攀を続けてきたトップクライマーの追悼集・遺稿集には、優れたものが多い。短く駆け抜けた人生の凝縮された哲学書・思想書として読むこともでき、興味深い。以下、手持ちの中からその一部を紹介します。
『小暮勝義 わが青春の山々』 堺町山の会 (昭61/非売品)
『見果てぬ山へ 森下道夫 遺稿集』 わらじの仲間・西朋登高会 (1984/非売品)
『今野和義 垂直を駆ける』 山学同志会 (昭56/非売品)
『空の青さ 川辺孝道 遺稿集』 (1990/非売品)
『高みへの序曲 岩佐喜光 遺稿集』 (昭32/非売品)
『風狂を尽くして 竹中昇 遺稿追悼集』 (1985/私家本)
『駆け足の青春 達郎… 山田達郎 遺稿・追悼集』 登攀クラブ岩つばめ (2010/非売品)
『山日記 横川幸司 遺稿集』 (1986/非売品)
『踏跡』 山口清秀 (昭54/非売品)
『石楠花』 東京登歩渓流會 (昭16/非売品)
『軌跡 小川信之の記録』 小西政継 (1979/非売品)
『山に還る 和田昌平 追悼集』 和田嘉代子 (1990/非売品)
『山毛欅林より 高見和成 遺稿追悼集』 (1999/悠々社)
『ヒマラヤの風になって 名塚秀二 追悼集』 前橋山岳会 (2005/非売品)
『雲稜と共に 追悼 吉野幸作』 東京雲稜会 (1998/私家本)
『稜線 追悼 吉野寛』 吉野あつ子 (1985/私家本)※
『雪の住処に憧れて 野沢井歩 遺稿追悼集』 (2005/私家本)
『山四葩 津田泰男 追悼集』 日本クライマースクラブ(1991/非売品)※
『ソロクライマー鈴木謙造 遺稿集』 (2004/山と渓谷社)※
『完結された青春 中島正宏 遺稿集』 (1989/山と渓谷社)※
『駆ける山々5000日 立田實 追悼誌』 東京緑山岳会 (昭59/非売品)※
『消えゆく月に 三和祐佶追悼集』 (1999/中西出版)
『わが青春の山行日記 大濱健次遺作集』 (昭63/私家本)
『垂直の星 吉尾弘 遺稿集』 日本勤労者山岳連盟編 (2001/本の泉社)
※印は、当ブログで紹介済みのものです。
PS2;松岡清司氏の追悼誌『カラコルムに消えた若き星』も読んでみたいのですが、残念ながら未見です
横川幸司氏のご遺族に連絡をとりたいと思っております。偶然に貴ブログ(山日記 横川幸司)を拝見しました。遺稿集にご遺族の連絡先等があれば知りたいのですが…個人情報の問題等もあろうかと存じますがご対応いただければありがたいです。よろしくおねがいいたします。
大阪府 すぎもと (73才)
投稿情報: すぎもと | 2016/06/28 07:30