a 山書マニア 『吉尾弘』

「垂直に挑む男」 吉尾 弘

Pict0002 昭和38/山と渓谷社

先鋭クライマーの旗手だった若き日の吉尾弘の処女作。青春の初登攀行の記録である。そのほとんどが初登攀、そしてすべて積雪期というハードな内容。登攀記としては当時、大先輩の古川純一・松本龍雄・奥山章らに先駆けて出版された。このことからも、20年の空白を破った積雪期一ノ倉沢滝沢本谷をはじめ、究極のスーパーアルピニズムの実践といわれた穂高での継続登攀等などが、いかに重要な記録であったかがうかがえる。初版時、氏の年齢は25才。若さゆえの気恥ずかしいほど率直な心情と、リアルな登攀描写が読んでいてドキドキさせる。

今から12年前。氏と初めてお会いしたときに、この本を差し出してサインをもらったことを思い出す。そこにはサインペンで“登山愛好者は行動の詩人 26.2.1994 吉尾君君より”と書かれている。(君君…crying、吉尾弘君と書こうとしたのかな。酔っぱらっていない時に頼めばよかったcrying)今だったら“登山愛好者は行動の詩人”ではなくて、“クライマーは行動の詩人”と書いてくれただろうか…。


「岩登りの魅力」 吉尾 弘

22 昭和53/ユニ出版

副題は、「初歩から人工登攀まで、その実践的理論と応用」とある。雑誌『山と仲間』に連載されていたものに加筆した、吉尾弘流ヒューマニズムを基調とした岩登りの技術書。山岳会と新人訓練への疑問や、労山へ加入し、岩登りのテキストを作ることを決意するまでの思いとともに、岩登りに対する氏の考え方、技術のすべてが書かれている。

著名なクライマーの手による技術書は多い。『岩登り術』藤木九三(大正14/RCC事務所)、奥山章『ロック・クライミング』(昭和32/角川書店)、松本龍雄『岩登りのうまくなる本』(昭和40/朋文堂)、小西政継『ロック・クライミングの本』(1978/白水社)、遠藤甲太『自分だけの山歩き山登り』(昭和56/経済界)などなど…。こういう本は、テクニックだけでなく、その著者のクライミングに対する個性的な考え方・思想などが読み取れて意外とおもしろい。


雑誌「ケルン №344」

0001 1965/朋文堂

『ケルン』は、戦前から断続的に続いていた山の雑誌で、この344号は第3次ケルン(『山と高原 』、改題341号より)と呼ばれるものの最終号。特集「現代のクライマー」・人物特集「吉尾弘のすべて」と題して、奥山章らとの対談、インタビュー、体力テストや、吉尾弘のクライミングムーブの連続写真、アルバムからの写真、グラビアも含めて34ページにもわたって若きクライマー吉尾弘の魅力を存分にあますところなく特集している。1冊まるごと吉尾弘特集といった感じ。全日本合同隊の隊長としてヨーロッパアルプスに遠征に行く直前の企画であり、当時の熱気がビシビシと伝わってくる。

この雑誌は、吉尾弘を知るうえで欠かすことのできない重要な資料だと思う。氏のファンであればぜひとも手元に置いておきたいアイテムである。そういえば、多鶴先輩はこれにサインをもらっていたなぁ。うらやましいー。


吉尾弘の世界

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私たちの『まつど岳人倶楽部』は、故 吉尾弘氏が最後に産み落とした(と、僕らが勝手に思い込んでる)山岳会だし、氏の最後の弟子(である、と勝手に思い込んでる)を自認するものとしては、まず初めに紹介しないわけにはいかないでしょう。

本題に入る前に少し…。左の写真は、1996年6月、一ノ倉沢南稜テラスにて、同人「星とワイン」のメンバーと。右の写真は1958年8月、所属する東京朝霧山岳会の涸沢での夏合宿の1コマ。当時20歳。ヘルメットにはR.C.C.Ⅱと書いてあるのが読める。氏のプロフィールは、今さらここで紹介する必要もないだろう。(知りたい人は、拙著『岳人になるための本』を読んでね。)

吉尾弘氏は不思議な魅力を持った人だ。空に浮かんだ雲のようにフワフワとしてあたたかく、どこか浮世離れしていて、風のように自由に生きているようにも見える。世間でいう“岩壁の闘将”とか“激情派クライマー”といった激しいイメージの姿を私たちは知らない。いつまでも夢を抱えたロマンチストで、「素敵ですねぇ。」が口ぐせで、ささやくような歌声も流れるようなムーブも、ロマンチックな詩人を思わせる。私たちの知っている晩年の氏は、サインとともに好んで書いた『クライマーは行動の詩人』という言葉がピッタリとくる。

短いおつきあいではあるが多くのことを学んだ。そして、たくさんの宿題を私たちに残して逝った「アルピニズムの継承と発展」(あるいは、「登山文化の継承と発展」)、「野生の勘を失わず、山と一体になって美しく登ること」、「自分たちの理想の山岳会を作りなさい。」とも言われた。弱者への愛も、権力への反発も。後進を指導することも自らの背中で教えてくれた。登攀の楽しさ・素晴らしさ、そして厳しささえも……。生涯現役クライマーであることにこだわり、「僕は野生への回帰に憧れる。死ぬときは文明の衣を脱ぎたい。どんなに哀れに見えても野生の動物に近い死にざまでありたい。」と語っていた氏は、2000年3月、冬の一ノ倉沢滝沢リッジにて遭難、死亡した。享年62才。

著書には、『垂直に挑む男』(昭38/山と渓谷社)『岩登りの魅力』(昭53/ユニ出版)があり、評伝として『クライマー』高野亮(1999/随想社)、遺稿集に『垂直の星』(2001/本の泉社)がある。