私たちの『まつど岳人倶楽部』は、故 吉尾弘氏が最後に産み落とした(と、僕らが勝手に思い込んでる)山岳会だし、氏の最後の弟子(である、と勝手に思い込んでる)を自認するものとしては、まず初めに紹介しないわけにはいかないでしょう。
本題に入る前に少し…。左の写真は、1996年6月、一ノ倉沢南稜テラスにて、同人「星とワイン」のメンバーと。右の写真は1958年8月、所属する東京朝霧山岳会の涸沢での夏合宿の1コマ。当時20歳。ヘルメットにはR.C.C.Ⅱと書いてあるのが読める。氏のプロフィールは、今さらここで紹介する必要もないだろう。(知りたい人は、拙著『岳人になるための本』を読んでね。)
吉尾弘氏は不思議な魅力を持った人だ。空に浮かんだ雲のようにフワフワとしてあたたかく、どこか浮世離れしていて、風のように自由に生きているようにも見える。世間でいう“岩壁の闘将”とか“激情派クライマー”といった激しいイメージの姿を私たちは知らない。いつまでも夢を抱えたロマンチストで、「素敵ですねぇ。」が口ぐせで、ささやくような歌声も流れるようなムーブも、ロマンチックな詩人を思わせる。私たちの知っている晩年の氏は、サインとともに好んで書いた『クライマーは行動の詩人』という言葉がピッタリとくる。
短いおつきあいではあるが多くのことを学んだ。そして、たくさんの宿題を私たちに残して逝った。「アルピニズムの継承と発展」(あるいは、「登山文化の継承と発展」)、「野生の勘を失わず、山と一体になって美しく登ること」、「自分たちの理想の山岳会を作りなさい。」とも言われた。弱者への愛も、権力への反発も。後進を指導することも自らの背中で教えてくれた。登攀の楽しさ・素晴らしさ、そして厳しささえも……。生涯現役クライマーであることにこだわり、「僕は野生への回帰に憧れる。死ぬときは文明の衣を脱ぎたい。どんなに哀れに見えても野生の動物に近い死にざまでありたい。」と語っていた氏は、2000年3月、冬の一ノ倉沢滝沢リッジにて遭難、死亡した。享年62才。
著書には、『垂直に挑む男』(昭38/山と渓谷社)と『岩登りの魅力』(昭53/ユニ出版)があり、評伝として『クライマー』高野亮(1999/随想社)、遺稿集に『垂直の星』(2001/本の泉社)がある。
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