1989/山と渓谷社
登攀クラブ蒼氷のメンバーとして80年代に日本のトップクライマーの一人だった中嶋正宏の遺稿集。父・正一氏による追悼文、雑誌『岩と雪』のインタビューと『クライミングジャーナル』に載った藤原雅一・菊地敏之氏による追悼文と、卒業論文。そして4年間に綴られた日記(思索ノート)で構成されている。「成長しなければならない、経験を積まねばならない、強くならなければならないという強迫観念のようなものがある。 ~ 僕は成長するために次々と不安定な状況を求める結果になる。とても不快であるにもかかわらず、しかし、停滞している時の焦燥感ほどの不快さではない。」これでもか、これでもかというほど自分をギリギリの極限まで追い込んでいく、内省と行動。過酷なまでに自己と向き合い苦悩する一人の若者の孤独な姿が痛々しくて胸が詰まり、息苦しくなる思いがする。「まったくアクシデントによる死。間違いなく僕はそれを待っている。それまで自分を追求し続ける。苦しみ続ける。僕はclimbingを通して自分を追求し不幸への道を歩んでいる。」享年25歳。フリークライミングで5.12をこなす一方でアイス、冬壁、ビッグウォールのソロも行うなど登攀の全ての分野にわたって一流の域を目指し、今後が期待されていたオールラウンドクライマー。妥協を許さぬストイックな登り方が氏の信条だった。「アルパインクライマー、フリークライマー、このような分類を無意味なものにするクライマーになりたい。」「平凡な生活をする人間の分析には興味はない。追求する人間、憑かれたような人間の研究に興味がある。そのような人間の研究をするには。自分がそうならなければならない。」「僕は登りつめてみたい。これが自分の限界であると納得できる所まで…。」と、思索メモには書かれている。時代を切り拓くのはいつも尖鋭の若者たちだ。彼らの純粋なまでに突き詰めてしまう生き方は、あまりにも眩しく、言葉を失う…。氏もまた短い青春を憑かれたように一気に駆け抜けていった。
PS;雑誌『岩と雪』№127、『クライミングジャーナル』№29(本書未収録)に、無口な氏の貴重なインタビューが載っているので併せて読むといい。インタビューと写真は保科雅則氏。
同じソロクライマーとして、少し前を走る氏の存在を意識していたという山野井泰史氏が語る、氏についてのエピソードも面白い。「登攀クラブ蒼氷の中嶋正宏は凄いやつで、冬でも雨具で雪の中にドサッと横になって寝ちゃう。水も飲まず、ボリボリとアルファ米を食べて夕食はそれだけ。北極犬のような男で、吹雪の中で朝、目が覚めると積もった雪を払って起きてくる(笑)。」『岳人』№584より
激しさと、冷静さとは言い切れない心情・・・、読むと胸が痛くなる。でも、鈴木謙造氏のとともに、若い人たちにも読んでもらいたいよね。
投稿情報: 管理人-鶴多郎 | 2007/04/02 20:45