昭和56/中央公論社
小森康行も、また“スーパーアルピニズム”の黄金期に活躍した名クライマーの一人。
古川純一らとともに、ベルニナ山岳会から日本クライマースクラブ(J.C.C.)を設立。多くの初登攀記録を持つ一方で、山岳カメラマンとしても有名。武藤昭・岡田昇・保科雅則・飯山健治などへと続く、“登れて、撮れる”クライミング専門カメラマンの草分けでもある。
本書は、古川純一『わが岩壁』や吉尾弘『垂直に挑む男』と、ぜひともセットで読んでほしい。この時代を描いた登攀記としては最も遅く出版されたものであるが、実際の登攀から約20年。長い年月を経て、落ち着いた語り口で丁寧に書かれた文章は、とてもスマートで読みやすく、ザイルを結び合った仲間たちとの熱い友情と思い出の回想録となっている。
「雪洞に生き埋めとなり」の章は、『わが岩壁』の積雪期前穂東壁Dフェイス。積雪期剣岳池ノ谷ドーム稜の「一本のハーケン」の章は、『垂直に挑む男』の「墜落」の章と、同じ初登攀行のエピソードが著者それぞれの視点で書かれているので、読み比べてみると一層面白い。
参考までに、同時代のクライマーによる登攀記が書かれた(出版された)時の年齢を調べてみました。(※出版順)
芳野満彦 『山靴の音』 昭和34年に出版。(昭和6年生れ。当時28歳)
吉尾弘 『垂直に挑む男』 昭和38年に出版。(昭和12年生れ。当時26歳)
古川純一 『わが岩壁』 昭和40年に出版。(大正10年生れ。当時41歳)
松本龍雄 『初登攀行』 昭和41年に出版。(昭和6年生れ。当時35歳)
小森康行 『垂直の上と下』 昭和56年に出版。(昭和10年生れ。当時46歳)
こうして年齢を比べ、また読み比べてみると、吉尾さんと芳野満彦氏の本が圧倒的に若い時期に出版されていることがわかる。それが良い意味で文章にも表れているし、それぞれのキャラクターも相まって、強烈な個性を放つ作品としていずれも現在もなお読み継がれている。
PS;画像右は、ベルニナ山岳会時代の先輩である澤村幸蔵氏に宛てた署名本です。感謝の気持ちを込めた手紙が添えられてあり、誠実な人柄が伝わってきます。
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