昭和43/山と渓谷社
1970年代に日本の登山界をリードし続けたのは、“国際レベルで高度な登攀を目指す先鋭クライマー集団”小西政継率いる山学同志会。小西政継は、戦後の・・・というよりも、日本登山史上のビッグネームとしてまずは筆頭に挙がると言ってもいいだろう。そして本書は、そのデビュー作にして最高傑作だ。
1967年2月のマッターホルン北壁冬期第3登の記録で、副題にあるように「日本人冬期初登攀」。1962年の劇的な初登攀争い(スイス隊、オーストリア・ドイツ隊によって第2登まで同日になされた)から5年。1965年の芳野満彦らによる日本人初登(夏期)からわずかに2年後に行われた快挙で、これにより日本の登山界を一気に世界的なレベルへと引き上げることになった。
当時のトップクライマーたちが、まだ夏のヨーロッパアルプス三大北壁を目標にしていた時代。氏は世界レベルをしっかりと見据えて大胆にも冬期に狙い、さらにはヒマラヤのバリエーションをも視野に入れて次々に実行に移していく。70年グランドジョラス冬期第3登。76年ヒマラヤのジャヌー北壁初登攀(無酸素)。80年にカンチェンジュンガ北壁初登攀。82年にはチョゴリ(K2)北稜初登攀ほか。カンチとK2は氏自身は登頂を断念しているが、隊長として初登攀、しかも無酸素での成功に導いている。
「われわれとしてはもう××ルートを何時間で登ったとか、小さな壁にボルトとハーケンを並べて初登攀などと喜んではいられないし、積雪期の大登攀でも、一つの登攀記録としてより、大きな目標への厳しいトレーニングであるという考え方で、この問題を打開すべきであろう。~このくらいのスケールの大きい考えで今後の登攀活動をやっていかない限り、とても冬期アルプス、アンデス、ヒマラヤの鉄の時代への突入はできない。」
本書は、迫力ある登攀シーンが見どころであるのはもちろんだが、それ以外にも多くのページを割いている点が興味深い。先ずはそれまでの冬期三大北壁の登攀史から始まり、巻末には実用的なアドバイスとして、「(北壁攻略のための)装備と食糧について」と「マッターホルン北壁テクニカルノート」が詳細に記してある。さらに「鉄の時代への進展」と題して、新しい時代を切り拓いた先駆者としての強いメッセージがしっかりと書き込まれていて非常に読み応えがある。当時の若い先鋭クライマーにとっては、翻訳本でしか知らなかった遠い世界を真近に感じることができる刺激的なバイブルだったに違いない。
そして、これに続く2作目の『グランドジョラス北壁』もいい。
「手が欲しいなら、指を差し出そう。足が欲しいのなら、くれてやろう。しかし、呪わしいお前を必ずたたきつぶしてやる!~勇気と力、肉体と精神のすべてをふり しぼり、北壁と力ある限り敢然と戦うのだ。」
凍傷で両手足11本、4人で合計27本の指が失われたグランドジョラス北壁での記述からは、氏の凄まじい気迫と、 その後のヒマラヤの大岩壁攻撃への強固な意志が伝わってくる。
トップクライマーとして、またはオルガナイザーとして、そしてアジテーターとして。小西政継は、先見性・計画性・実行力のある圧倒的に強烈なリーダーシップをもって1970年代の登山界をリードし続けた巨人である。
『グランドジョラス北壁』(昭46/山と渓谷社)
『凍てる岩肌に魅せられて』(昭46/毎日新聞社)
『ジャヌー北壁(1976/白水社)』
『ロック・クライミングの本(1978/白水社)』
など9冊の著作と、評伝として
『栄光の反逆者小西政継の軌跡』本田靖春(昭55/山と渓谷社)
『激しすぎる夢「鉄の男」と呼ばれた登山家小西政継の生涯』長尾三郎(2001/山と渓谷社)
などがある。
PS:画像右上は登攀メンバー三人による署名。小西氏のサイン本は割とよく見かけるが、これはとても珍しいのでは?
メンバーの遠藤二郎は、その後アイガー北壁直登ルート(冬期)へ。星野隆男は、日本人初の冬期北壁三冠王となった。
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