平成22/鳴沢岳遭難事故調査委員会・京都府立大学山岳会
昨年4月。トップクライマーでもあり、冬の黒部に精通した伊藤達夫氏と2人の学生が亡くなった遭難のニュースは衝撃的だった。報告書を読むと、なんともやり切れずとても暗い気持ちになる。何よりも若い学生が2人も亡くなっていること。それがとてもつらい。うちの倶楽部も学生で入会してきた若い衆が多いので他人事とは思えないから。
伊藤達夫氏がこれまでにどれだけ凄い登攀をしてきたかはこの際関係がない。ただ、気象判断を誤り、パーティーをまとめることなく1人先行し、パーティーが窮地に追い込まれた時に保護責任者としてのリーダーの仕事を放棄した。リーダーとして、あまりにも呆れた行動。要するに優れたクライマーではあっても、リーダーとしては失格だったということだ。しかも、遭難の1年前にも今回と同様の遭難騒ぎを起こしているという事実は致命的だ。その時に徹底的に追求・議論していれば或いは…。関係者の取り返しのつかない悔しさが伝わってくる。
事故の原因と経過は、我々の想像とは全く違ったものだった。これは単なる気象遭難ではない。身勝手なリーダーによる人災とも言える。圧倒的な経験値の差は、パートナーシップなど生れるべくもない(これは我々の持論)。4月とは思えないほどの悪天の下、引き返すこともせずリーダーは先行し、パーティーはいつしかバラバラに。ひたすら追従するしか選択肢がなかった状況のなかで、ザックを背負ったまま力尽きるように倒れ絶命した女生徒の様には胸が締め付けられる思いだ。共同装備のテントとスコップは彼女が持っている為に、休む間も惜しみ「なんとか追い着かなくては…」という強い責任感があったのだろう。男子学生も人知れず滑落死亡。先行したリーダーは遅れる2人の様子を見に戻った形跡もなく、1人雪洞を掘り食事をとった後に疲労凍死した。
登山の常識では考えられないような不可解な行動にはまず驚いたが、この事実、この報告書を発表する勇気にとても感心した。これまでに読んだものの中では最も良くできているとさえ思う。昨今の相次ぐツアー登山の事故やプロガイドによる事故、リーダーの責任とパートナーシップの欠如という点で通じるところがあり、考えさせられる内容になっている。
遭難死亡事故報告書は、ともすれば当事者の家族や保険のことなども考えてしまい、書きにくいことは避けて本当のこと(不都合なこと)を隠して当たり障りのないものに仕上げてしまいがちだが、本書ではすべてを洗い出し、一つ一つの証拠・事実を慎重に探るように調査してあり、とても誠実さを感じた。第三者を招いて議論を繰り返した結果を考察し、事故の背景にあるものを書き出している点もいい。リーダーのパーソナリティーにまで踏み込み、偏見があってイカン!と批判する人もいるようだが、府立大山岳部内では伊藤氏に対してあまり快く思っていない人も多かったのも事実のようだ。『危ない登山者』というのは、まわりが見えない一直線な人に多い。伊藤氏もこういうタイプの人だったのか。(ランディー君も気を付けるべし。)
近年の冬の黒部での京都府立大学山岳部の活躍ぶりはある意味異常で、衰退著しい他大学と比べ、かなりの違和感があった。記録は伊藤達夫氏の力によるものであることは学生もOBもよくわかっていたはずなのに、慢性的に持ちつ持たれつで危険な関係を続けていたところにも問題がある。本書は、『山は自分の力で登るものだ』ということを改めて教えてくれる。計画に始まり~無事に帰ってくるまで、すべて自分(たち)で判断し自分(たち)で獲得するものだ。先輩やコーチ、プロガイドに連れていってもらっても、それは本当に登ったことにはならないし、かえって危険な状況に陥る場合もあるということだ。
そんなに困難な山でなくてもいい。『マイ・アルピニズム』こそが大事なのだ。
報告書からは、本書をより多くの登山者に読んでもらい、このような過ちを2度と起こしてはいけないという願いと、ようやく本来の学生主体の山岳部を再建していくんだ、という強い決意がよく伝わってきます。
がんばれ若者たち! がんばれ、京都府立大学山岳部!
亡くなられた三人の岳人のご冥福をお祈りします。
付記: この報告書をめぐっては京都労山が謝罪・訂正を要求しているらしい。京都労山も府立大も、伊藤氏から見れば身内であるしオカシな話だ。しかも、1年かけてしっかり調査・検討した本書と比べて、反論の内容もおそまつ。
また、雑誌『岳人』№759の編集後記の(山)氏によって書かれた、切って捨てるような乱暴な言葉には嫌悪感を覚えた。しかも匿名というのが卑怯だ。編集者としてバランスを欠いたヒステリックな批判文はいかがなものかと思う。
いずれも身内として伊藤氏を擁護したい気持ちはわかるが、2人の生徒が亡くなっているという重い現実を忘れないでほしいと思う。だけど、こういったリアクションがあることは改めて多くの人の関心を集める結果にもなるし、この遭難を風化させないためにはかえっていいことなのかもしれない。
PS; 冬の黒部での登攀にこだわり続けたクライマー・伊藤達夫氏に関する本を、手持ちの中から発行された順に紹介します。
『彼ら「挑戦者」 新進クライマー列伝』大蔵喜福 (1997/東京新聞出版局)
雑誌『岳人』№559~586の24回に亘り連載された、気鋭のクライマーを紹介した企画を単行本化したもの。
雑誌『RUN OUT 3号』 (1999/非売品)
“Giri-Giri Boys”の馬目弘仁氏が中心になり発行していた幻のフリーペーパー。伊藤氏のロングインタビューは他にはないので貴重。この号での伊藤氏の発言は、次の4号でクライミングスタイルをめぐる「ボルトラダー・残置・デポ」の問題について論争になった。
『黒部別山- 積雪期』黒部の衆 (2005/私家本)
黒部の怪人・和田城志氏と並んで多い10編の登攀記録を収録。重厚な記録が詰まった大冊です。出版記念パーティーでお会いした氏は、無口な芸術家のようでした。
『登山・登攀半世紀の記録』京都府立大学山岳会 (2007/非売品)
アイアンマン・京都府立大ルートなど夏の開拓も含めて11編の登攀記録を収録。
『伊藤達夫 冬の黒部記録集』京都勤労者山岳連盟 (2010/私家本)
1987年~2000年にかけて京都左京勤労者山岳会の機関誌『ルンゼ』に寄せられた登攀記録から、積雪期の15編を再録した遺稿・追悼集。巻頭のカラー写真集が新鮮。絶頂期の記録がこれでもかと並ぶのは圧巻です。コピーを製本した一見簡素な作りだが、それが同じ仲間の目線で読むことができるようで温かく、また初出オリジナルの形で読むことができるのでとても貴重な資料にもなっている。
冬も夏も思想も含めたトータルな形で伊藤達夫氏の全体像が読んでみたい…、というのが自分も含めたファンの気持ちだ。黒部の研究もほぼ完成しているとも聞く。それが形になるのが墓標となる遺稿・追悼集というのは悲しいけど、京都府立大学と京都労山が協力し合って1冊、ものにできたならば、その時こそ伊藤氏も浮かばれるのではないだろうか、と思うのだが…。
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