1 八ヶ岳
『大同心-雲稜会ルート』 2001年3月
『権現岳-東稜』 2001年2月
『旭岳東稜』 2001年2月
『阿弥陀岳-北西稜』 1999年3月
『阿弥陀岳-北稜』 1999年2月
『大同心-南稜』 1998年3月
『小同心-小同心クラック』 1998年2月
『横岳西壁ー中山尾根』 1997年3月
『横岳西壁-石尊稜』 1997年3月
『横岳西壁-石尊稜(敗退)』 1997年2月
『赤岳西壁-主稜』 1997年2月
『赤岳西壁-主稜(敗退)』 1997年1月
2 一の倉沢
『 3ルンゼ』 2002年10月
『烏帽子沢奥壁-ダイレクトルート』 2002年9月
『烏帽子沢奥壁-南稜フランケルート』 2002年7月
『烏帽子沢奥壁-南稜フランケダイレクト』 2002年6月
『烏帽子沢奥壁-凹状岩壁』 2002年5月
『衝立岩-ダイレクトカンテ』 2001年7月
『烏帽子沢奥壁-中央カンテ』 1999年5月
『一の倉尾根』 1999年3月
『一の沢二の沢中間リッジ』 1998年3月
『衝立岩-中央稜(敗退)』 1997年8月
『烏帽子沢奥壁-南稜』 1996年6月
3 槍ヶ岳
『槍ヶ岳-硫黄尾根』 2001年5月
『槍ヶ岳-北鎌尾根』 1998年12月
『槍ヶ岳 北鎌尾根(敗退)』 1998年5月
『槍ヶ岳 中崎尾根』 1995年12月
4 穂高岳 ・錫杖
『穂高屏風岩 東壁ルンゼ下半部』 2004年8月
『穂高 滝谷ドーム西壁雲表ルート』 2001年7月
『錫杖岳 前衛フェース-左方カンテルート』 2000年8月
『穂高 屏風東壁-雲稜ルート』 2000年7月
『前穂北尾根』 1999年12月
『屏風岩東壁-東稜ルート』 1999年7月
『前穂東面-古川ルート』 1998年7月
『穂高 滝谷ドーム中央稜』 1997年7月
『穂高 涸沢西尾根』 1996年12月
5 後立山
『不帰岳-Ⅰ峰尾根主稜』 2002年4月
『鹿島槍-天狗尾根』 2001年4月
『鹿島槍-東尾根』 2001年4月
『白馬岳-主稜』 1998年4月
6 剱岳・丸山東壁
『丸山東壁-中央壁緑ルート』 2001年9月
『丸山東壁-中央壁緑ルート(撤退)』 2000年8月
『剱岳-八ツ峰主稜』 1999年5月
『剱岳 早月尾根撤退』 1997年12月
『剱岳-チンネ左稜線ほか』 1997年8月
『剱岳 源治郎尾根ほか』 1996年8月
『赤木沢と黒部源流の山々』 1995年8月
7 北岳バットレス
『北岳バットレス-中央稜』 2001年8月
『北岳バットレス-上部フランケ』 1998年10月
『北岳バットレス-下部フランケ~dガリー奥壁』 1998年9月
『北岳バットレス-ピラミッドフェース 』 1997年9月
『北岳 池山吊尾根』 1996年1月
8 甲斐駒
『甲斐駒 Aフランケ白稜会~赤蜘蛛』 2002年8月
『甲斐駒 Aフランケ 赤蜘蛛ルート』 1999年10月
『甲斐駒 黒戸尾根』 1995年3月
『明星山-P6南壁フリースピリッツ』 2003年10月
『明星山-P6南壁左フェースルート』 2003年10月
『明星山-P6南壁左岩稜』 2001年10月
a 戸隠
『戸隠本院岳-ダイレクト尾根』 2003年3月
b そのほか
『上越国境 上州武尊山』 1998年12月
『吉尾さんの原稿』 1996年
『南ア深南部 光岳~加々森山・池口岳』 1994年10月
『南アルプス-笊ヶ岳』 1994年5月
2004年8月6~8日 坂本、玉谷
8月6日:上高地7:00-横尾9:30~11:00-T4尾根末端の岩小屋14:00
上高地からテクテクと歩き、横尾でラーメンを食べて出発。水は4リットルずつの予定だったが、それ以上になってしまった。岩小屋から膝くらいの徒渉。いつもの事ながら冷たい。
対岸に渡ると1ルンゼ押出しの様子が前と違う。おかしいなぁ・・・と思いつつ登って偵察。結局、T4尾根が見えるところまで登り、再び登り返したので、時間がかかってしまった。
東壁ルンゼの取り付きを偵察した後、T4尾根末端の岩小屋に泊まる。夕方少し雨がパラつくがすぐに止む。その後は稜線で雷。
8月7日:出発4:30-取り付き5:00-T311:30~12:15-T4尾根末端13:30~14:30-横尾15:45-徳沢16:30
3:30起床。予想より水が減らないが捨てられずにそのまま背負って出発。岩小屋から岩の基部に進む薄い踏み跡に入る。取り付きまではヤブで踏み跡も石がゴロゴロで歩きにくい。前日の偵察時に半袖を着ていた玉ちゃんは腕がブツブツにやられてしまった。取り付きはボルト 2本。この日の屏風岩には誰もいない。
1P目:坂本(III、30m)凹角の左の簡単な所を選びながら登るのだが、終了点近くまで中間支点がないので、途中ハーケンを1箇所打った。終了点は凹角沿いにある。
2P目:玉谷(IV、30m)このピッチは凹角沿い、下部は支点があるものの上部は少ない。最後に右へ抜けたところで終了。
3P目:坂本(A1、35m)草の生えた所を右上してカンテを越えるとA1の開始。リングはなくてもボルトの頭は残っているので、リベットハンガーや極小ナッツで補強しながら登る。最後は一歩トラバースして終了。
4P目:玉谷(A1、20m)右のクラック沿いを直上し、スラブに抜ける。出だしのハーケンが折れていて打ち足す。さらにスラブに抜けたところでボルトが1本折れていてここで悩む。ザック置いていきなよ~と声をかける。ボルトを打ち足そうとしたが、穴があいていたので、そこにリムーバブルボルトを差し込んで登り、すぐ上の終了点まで。
5P目:玉谷(A1、20m)ここは普通のA1ルートであった。
6P目:坂本(IV・A1、20m)左にトラバースして縦フレーク沿いに登る。
7P目:玉谷(II~III、40m)バンドを左にトラバースして簡単な岩を登る。
8P目:坂本(IIとヤブ、40m)少々の岩を交えながら、岩とヤブの際を登る。
9P目:玉谷(ヤブ、40m)何だかトゲトゲの植物が多くて痛いヤブ、登り切ってT3に到着。ハーケンなどは全部回収。
東壁ルンゼの下半部を登ったものの、やたら疲れたので下降することにする。
T4尾根の下降は初めてだが、懸垂支点もしっかりしていて、5ピッチ?で尾根末端に戻る。
ここで登攀装備をしまい1ルンゼを下降し始めたところ、突然のドシャ降り。しばらく銀マットを頭からかぶっていたが止みそうにないので岩小屋に一旦戻り、雨が止んでから下降再開。
徒渉も終えてやっと一般登山道に合流するものの、横尾を過ぎると再びドシャ降りになった。銀マットをかぶって徳沢まで歩きながら、降りて良かったネェ。
徳沢園で貸テントに泊まるがこの中が昆虫ランドでハサミムシは枕元を歩くし、蚊には顔をさされるし、芋虫まで登ってくるしで、途中からツェルトを張ってシャットアウト、やっと安心して眠ることが出来たけど寒い夜であった。
8月8日:出発6:00-上高地8:00~30-新島々9:40~10:05-松本10:40~12:17
寒いので5:30起床。パッキングを終えるアマ蓋に芋虫がついていてガックリ。昆虫ランドとサヨナラして帰途につく。明神で朝食にカレーライスを食べ、松本で昼食を済ませホームでノンビリと飲みながら始発電車を待って帰りました。
今までの屏風では水に苦労したので、今回はたっぷりと持っていったが、重くなりすぎてしまった。下部はそう難しくはないのだが、ピンが抜けているところで、結構時間がかかってしまった。
あとはヤブが痛い。イチゴとかアザミ、もトゲトゲ系が多い。ブヨも1mmくらいの小さいやつに食われました。上半部はまた挑戦しようと思います。ドシャ降りを予想していなかったけど、運良く登攀中にあわずに済んでよかったです。
(坂本)
屏風岩は我々だけしかいない貸しきり状態で、広ぉ~いスラブの海は気持ちがよかった。しかし、残置ピンはボロく、根元から欠けていたものもいくつかあって、恐ろしい。
4ピッチ目は2ケ所もピン欠けがあったので、ハーケンを打ったり、キャメロットを使ったり、リベットハンガーや、リムーバブルボルト(トランゴ社製)を差し込んだりと、いろいろとネイリングを試みた。
そういえば本チャンでジャンピングボルトを打とうとしたのは、今回が初めてだなぁ。(折れたリングボルトのすぐ脇に打とうと思って5mmほどあけたが、すぐ上にボルトスカーがあったのでリムーバーを使ったのです。)
結果的には雨で撤退理由ができたけど、圧倒的にスピードが遅いので、スピードを意識したトレーニングをしなければいけないと思いました。とりあえず落石が集中するという下部は登ったので、次回は分割作戦で上部を狙いましょう。
(玉谷)
明星山P6南壁 フリースピリッツ
2003年10月18日(土)~19日(日) 1泊2日 L:坂本多鶴(記)、SL:玉谷和博
P6南壁の真ん中をフリーで登るこのルートは1979~80年、森徹也、宗行孝之助、中田幸三らによって開拓され、ピッチの中にⅥ級を含む、当時のいわゆる「Ⅵ級神話」を打ち崩したルートであった。「ぼくたちのルート図を見た人は、まずそのグレードに驚くと思うけれど、Ⅵは単にVの次にくる級数だ。このことを多くのクライマーは忘れてしまっているだけなんだ… 」(岩と雪78号、フリースピリッツ開拓の記録より)
17日(金) 上野駅23:33(急行能登)糸魚川駅4:45
先週の帰り道のこと、「来週はフリースピリッツ登ろう!」と玉ちゃんに言ってみたが、「無理だよ… 」全く乗り気じゃない。しかし、家に帰ってからも登りたい気持ちは強まるばかり。どうしようかなぁ… と悩んでいたが、さすが相棒、週明けの朝「登りに行こう!」とメールが届いていた。今回は体調も万全。急行能登に乗り込み、ワンカップ2本飲んで、ガラガラの車内で爆睡する。
18日(土) 糸魚川駅(タクシー約6500円)ヒスイ峡キャンプ場5:30/6:15 取付 7:15 終了点15:00キャンプ場17:30<幕営>
糸魚川駅でタクシーに乗ると、運転手さんに「先週も来ましたね?」と聞かれ、登れなかったのがバレたみたいで「いえいえそんな…」となんだか恥ずかしくなった。キャンプ場でテントを張り、明るくなるのを待って出発する。今回は荷物を軽くするために軽登山靴はやめて運動靴にした。
まずは渡渉、小滝川は石の上を飛びながら渡ればいいんだけど、私の脳裏には先週末かろうじてズブ濡れを防いだいやな記憶がよみがえる。運動靴は滑りそうだし先にザックを投げてしまえ!とザックを振っているうちに、自分が振られてジャポン。膝下と肘下をつっこんでしまった。なんだよ、せっかく軽くしたのに重たくなっちゃったじゃないか!と腹が立ったがきっと黒い靴下履いてきたら縁起悪かったのだ、と思うことにする。
取り付きを探して河原を下流方向に歩き、大きなガレ場が近づいてきた所で右上する踏み跡を登ってみる。壁を見上げるが最初の左上するバンドらしきものがない。「何か違うネェ、降りてみよう」と河原まで戻ると、クイーンズウェイを登るパーティがやってきて、「すぐにARIの4人が来ますよ」と言いながら取り付きを教えてくれた。
ARIの有持さんはご自身のホームページで速いパーティなら4時間で登れると書いている。我々は8時間考えていたので、待たせては悪いと先に登ってもらう。
いよいよ登攀開始。1ピッチ目(40m、Ⅲ)は玉ちゃん。10mほど直上してバンドにのり、左上する。中間支点はブッシュ、靴の裏についた泥で滑り、グレードのわりにいやらしく感じる。
2ピッチ目 (20m、Ⅳ-)は坂本。2mほどの垂壁を登り、バンドを左上する。垂壁はガバがあり難しくはない。靴の裏についた泥もだんだん乾いてきた。
3ピッチ目 (30m、V+)は玉ちゃん。ゴジラの背を横にしたようなクラック沿いに登るが、いまひとつ体重を預けるのが恐い。上部で1、2歩トラバースして確保支点へ。
4ピッチ目 (30m、Ⅳ-)は右にトラバースして数歩下り、ランペを右上。岩が乾いているので何てことはない。
5ピッチ目 (35m、Ⅵ-)は玉ちゃん。最初の核心部であるうめぼし岩だ。まずは黒い垂壁の基部を左上するが、浮石もあるのでホールドに注意が必要。続いて、ここもゴジラの背のようなギザギザで肌色のかぶった凹角を5mほど登る。
ここを越えても安定したスタンスはなく、足場の切れた壁をフレーク手掛りに右ヘトラバースして、やっと確保支点。ここは腕力ピッチでセカンドの私もA0してしまった。うめぼし岩の由来はしょっぱい?このピッチを登っている間にARIパーティは見えなくなってしまった。
6ピッチ目(25m、V)は坂本。カンテ左から右に抜けて直上し、ハングの切れ目の下まで。
7ピッチ目(35m、Ⅳ)は玉ちゃん。頭上のハングの切れ目を越えて、草付き混じりの壁を次のハングの下まで。
8ピッチ目(35m、V)は坂本。ハングの左のクラックを登り、中央バンドのガレ場の手前の岩かげでビレイ。この辺りで残るピッチのルート取りを考えながら上部壁を見ておいた方がいい。
9ピッチ目(20m、Ⅲ)は玉ちゃん。ガレ場を横断し、上部壁の基部まで。ここは上部からの落石をモロに受けるので注意。
10ピッチ目(40m、Ⅲ)は坂本。ここからルートファイディングが難しくなる。広いランペを右上し、頭上に見えるへの宇ハングを越えたあたりで階段状の凹角を登る(終了点にはfixロープが下がっている)。頭上には鷹の巣ハングの洞穴が見えている。
11ピッチ目 (30m、Ⅳ+)は玉ちゃん。Fixロ一プに沿ってフェースを一段登り、肌色の壁を目指して左の草付混じりの壁を登ると、バンドに出る(ここはルートを探すのに2ピッチで登った)。
12ピッチ日 (20m、Ⅳ)は玉ちゃん。バンドのトラバースだが、三つ峠の亀ルートの方が恐い。
13ピッチ目(40m、Ⅵ-)は2番目の核心を坂本。スラブ左のフェースを登り、右壁に移って、あとはザイルいっぱいまで登る。途中数歩がアルパインシューズでは立ち込めなくてA0してしまったが、うめぼし岩の方が断然難しい。
しかし、ここまで登ると良い眺めだ。玉ちゃんをビレイしながら初登者のことなど考えていると、何だか感動してきた。あとは緩傾斜帯を直上するのだが、下降の時間もあるので、ブッシュ沿いにトラバースして左岩稜に移り、登攀終了とする。
ここからは先週と同じ下降点に合流すべく、そこを目指さなくてはいけないのだが、下降ポイントを探すのに30分くらいかかってしまった。
結局、下に見える目立つ立ち木の真下が大岩なので、それよりも向こう側を目指して、踏み跡らしきものを斜めに下降すると、2ピッチで下降点手前のトラバースの踏み跡に合流することができた。
ここからは先週と同じ道を下り、途中で沢の水をガブ飲みして、暗くなる前の17時30頃にテントに戻ることができた。夜間は雷と大雨で、雨は明け方まで続く。
19日(日) キャンプ場8:00 小滝9:00/15(タクシー約4000円) 糸魚川駅9:45/11:19(特急はくたか)越後湯沢駅12:35/45(上越新幹線)上野駅13:58
雨があがり、雲が切れ始めた8時頃にテン場を出発する。展望台からしばらく岩場を眺め、あとは駅までの道のりをテクテクと歩く。昨日の緊張感とは違って、のんびりした風景に気持ちも緩んでくる。
糸魚川駅では電車までかなり時間があり、午前中だというのに4合瓶を買って今回の成果を祝った。フリースピリッツのFREEは「白由で気ままな、束縛されない」、SPIRITSは「魂、気迫、アルコール」だそうだ。電車に乗ってからは速い。あっという間に松戸に帰った。
初めてのⅥ級、デシマルグレードで言えばⅥ-は5.8なのだろうが、Ⅵ-の方が全然難しいと感じた。自分自身がデシマルグレードの目安に慣れていないせいもあるかもしれないが、何か危険度が違うような気がする。だから登る前も「5.8?でもⅥ-なんだよね?でも5.8? どっちなんだろう」と頭がおかしくなっていた。しかし、左フェースルートもそうだけど、フリーで登るルートはルートファインディングが面白い。岩と対話する時間が増えると思う。玉ちゃん!来年はクイーンズウェイに行こう、5.10a。
追記
終了後のブッシュで二人とも毛虫にやられたらしく、右腕がブツブツになってしまいました。毛虫注意。
明星山P6南壁 左フェースルート
2003年10月11日(土)~13日(月) 2泊3日 L:坂本多鶴(記)、SL:玉谷和博
今年の岩シーズンは4月初めに玉ちゃんが左足首を捻挫し(階段降りながらメール打つのはやめようぜ)、私も雪訓で密かに右膝をひねり、何故か2人とも整骨院通いを続けていた。という訳で、今年はフリーの練習だ!ということになる。
天気が今ひとつだった事もあり週末は室内壁通い。お盆は小川山。最初はお尻モゾモゾ状態で登っていた玉ちゃんもランナウトで山崎岳彦さんに習ってから、なかなかサマになってきた。クライミングジャーナルやロクスノで今までは読み飛ばしていたフリー関連の記事も面白く読み直せたしね。
でも、やっぱり本チャンに行って今年の成果を出さなくてはいかん!という事で、左岩稜以来である明星山に行くことにした。
10日(金) 上野駅23:33(急行能登)糸魚川駅4:45
出発の朝、キジ坊から車で明星行くから乗らない?とメールが来ていたが、もう急行の指定席も取ったし、電車の中で早々に眠りたかったので、悪かったけどことわる。そして、出発の夜、玉ちゃんは風邪気味のようだが、実は私も少々調子が悪い。酒も買わずに急行能登に乗り込み早く眠ろうとするものの、ウトウトする度に誰かの着信音がピピッとなり、この音が結構気になって、あまり眠れなかった。
11日(土) 糸魚川駅4:50(タクシー)ヒスイ峡キャンプ場5:30/9:00 取付 9:30/11:00
終了点16:00 キャンプ場17:30
糸魚川駅からタクシーに乗ってヒスイ峡のキャンプ場へと向かい、テントを張ってしばらく眠る。6時過ぎかな、キジ坊と松ちゃんの声が外から聞こえてきたので顔を出すと、左岩稜を登るとのこと。私たちはフリースピリッツの予定だったが、体調イマイチと睡眠不足で初日はP6南壁の初登ルートである左フェースを登ることにした。左フェースなら短時間で登れるので遅めでもいいだろうと、とにかく眠る。
9時頃起床、朝食を済ませて出発する。展望台手前の踏み跡を小滝川まで下降して見上げると、1ピッチ目にキジ坊と松ちゃんがいるではないか。さらに取り付きで1パーティ、対岸で1パーティの順番待ちだ。もちろん、キジ坊たちの前も数珠つなぎだ。左フェースは2ピッチ目までが左岩稜と同じなので、オールリードに突入した松ちゃんを眺めつつ、待つことにする。
11時頃になって、やっと順番がまわって来た。いよいよ登攀開始。
1ピッチ目(V、25m)は坂本。先行パーティが登った左側から登ろうとしたが、岩が落ち着いていない。右に移動するとハーケンがあった。そこを一段登り、右に回りこむと終了なのだが、先行と同じ左の壁をつい登ってしまった。これが結構いやらしかった。
2ピッチ目(V・A0、25m)は玉ちゃん。ここは右下に少し降りて、凹角を登るピッチなのだが、ここも先行と同じ正面を登ってしまう。これがまたいやらしかった。先行がいると、知らないうちにfollow youになっている。前にも同じピッチをそれぞれリードしているので、大いに反省。久々の本チャンでホント調子が狂っている。
3ピッチ目からは左岩稜と分かれて右上気味に登るが、暫くは上り下りが続くのでピッチ間隔は短い。このピッチからは空くだろうと思っていたのだが、左岩稜からパーティが流れてきているようだ。
3ピッチ目(Ⅲ、10m)は坂本。凹角をピナクルの上まで。大きなムカデや、浮いたホールドがあり、グレードよりいやらしく感じた。
4ピッチ目(Ⅳ、15m)は玉ちゃん。右の小カンテをたどるルートなのだが、記憶にないピッチ。5ピッチ目(Ⅲ、5m)は坂本。スラブから一段下がるが、ブッシュが掴めるし濡れていないので恐くない。
6ピッチ目(Ⅳ-、40m)は玉ちゃん。目の前の短いスラブを登って、草付き混じりの岩を右上。ここら辺から中間支点は少なくなってくるが、ブッシュが出てくる。
7ピッチ目(Ⅲ+、40m)は坂本。先行はいるものの先ほどの反省があるので、ルートを選びながら登る。ここも草付混じりを右上気味。
8ピッチ目(IV、40m)は玉ちゃん。スカイライン目指して右上し、垂壁先の凹角を登る。
9ピッチ目(Ⅲ-、40m)は坂本。ここからはブッシュ登りだが、ブッシュでなく岩を選んで登った方がいい。
10ピッチ目(Ⅲ-、40m)は玉ちゃん。立ち木も出てくる。
11ピッチ目 (Ⅲ-、30m)は坂本。先行は左のルンゼ状を登っているので、右側から登ると、中央バンドに出た。ここで16時、大岩に着。ここからブッシュの踏み跡をトラバースして、岩場をカンテ左に抜けるように登ると、踏み跡に出る。
ここからはザイルは必要ないが、そのままブッシュをトラバースして目印の大木に到着した。登攀装備をしまって、あとは下降。赤テープもついているが、傾斜の緩い小さな沢に出るまで、とにかくトラバースと下降を繰り返す。しかし、混雑で予想外に時間がかかったし、下降の暑さで汗だく、結構疲れた。
12日(日) キャンプ場8:30 温泉10:30/11:00 飯塚宅12:00/翌13日朝に帰松
翌日、キジ坊隊は今日が下山予定。昨夜雨降ったし、疲れたし、我々も一緒に帰ることにする。ひと風呂浴びての帰り道、千葉から長野の梓村にIターンした飯塚夫妻宅に電話すると運良く家にいるではないか。
焼肉セットと酒を買い込んで訪問し、昼から夜まで飲み続け、そのままお二階に泊めてもらいました。飯塚は相変わらず話す話す…(私たちも人の事は言えないけどさ)。久し振りに会った香代ちゃんも元気そうでした。
今回は久々の本チャンであったが、やっぱ外登らないと、あらゆる面で勘が鈍るな~と実感。室内壁で得たものもあるだろうけど、グレードだけ追ってたから、ちょっとやり方間違ったかなって。スポーツ的な部分はもちろん楽しいけど、目的や課題を持って登らないと今の自分にはメリット少ないなあと思った(メリット出るほどのグレード登れてないっていうのもあるけど)。
しかし、左フェースルート自体は面白いルートで、うまくバンドをつなげた、さすが初登と思わせるルートでした。先行がいない時に登ったら、もっと面白みが高まったと思う。そして、フリースピリッツは来年かな?
戸隠連峰 本院岳ダイレクト尾根
2003年3月21日(金)~24日(月) 3泊4日 L:坂本多鶴(記)、SL:玉谷和博
3月21日(金) 晴 -ダイレクト尾根D2とD3のコルまで-
上野駅6:30(長野新幹線)長野駅8:04/30(タクシー5800円)上楠川橋9:10/30 ダイレクト尾根取付き10:50D2とD3のコル15:30<幕営>
朝出なのに新幹線は速い!ウトウトする間もなく着いた長野駅は、駅ビルのすぐ裏手に山が見えるという不思議な光景だ。今回のように新宿駅からではなく上野駅から長野県に入るのは我々にとって初めてのことで、もちろん、戸隠連峰も初めてなのであった。
しかし、駅に降りても山の格好をしている人がいなくて、なんだか場違いな感じだし、タクシーに乗って、戸隠山域に向かっても、雪の気配が全くない。何かまずい雰囲気だなあ…と思っていると、ひと山越えたあたりで、やっと道路脇にバームクーヘンのような雪が現れはじめた。
上楠川橋でタクシーを降り、橋の脇にある公民館裏の登山ポストに計画書を入れる。今朝早くP1尾根に二人組が入っているようだ。さらに、軽荷の男女パーティがダイレクト尾根に登ると言って、先に入っていった。
公民館でトイレを借りて、我々も出発。少し歩くと除雪してない雪道となる。沢沿いに歩き、二三度対岸に渡り返すが、沢は水量も少ないし幅も狭いので、渡渉の苦手な我々でも問題はない。
途中、左に上がっていくP1尾根のトレースと別れると、あとは先行ふたりだけのトレースとなった。しかし、彼らは速い!二俣で左に入り、そのまま沢沿いに進むと、ダイレクト尾根の末端で、木に赤テープが巻いてある。
いきなりの急傾斜を登るとカラマツ林のなだらかな尾根になり、しばらくの間は自由に尾根上を歩くと、白樺台地。天気が良かったのもあるかもしれないが、この場所はとっても素敵な幕営ポイントであった。そして、この先、ダイレクト尾根はいくつものピークを連ねて、本院岳頂上に突き上げていく。
白樺台地からしばらく登ると、ピーク群の始まり、D1だ。まさしく粒あんボタモチのような岩を左から巻いてルンゼをコルまで登る。南面なので雪がグサっぽい。下部はなんて事なかったのに、コル手前が急で灌木をつかみながら登る。
続くD2は、八ヶ岳と同じような集塊岩を10mほど直登し、ブッシュ帯を左上へ抜ける。岩は見ためより傾斜があり中間支点も取れないので、玉ちゃんが空身でまず1ピッチ登り、玉ザックと私が続いて登ったが、岩を登ったあとの一歩のトラバースがバランス悪く、いやらしかった。
この日はD2とD3コルの手前の樹林帯に幕営する。一応は予定通りである。我々は1-2人テントだけど、4-5人用でも張れそう。夜はラーメン、実は今回は朝も夜も全てラーメンなのでした。しかし、いつもは二人で1個なので2個にしてみたが、鍋にいっぱいになったラーメンを見ただけで食退してしまい、結局1個でよかった。もちろん酒はなし。
3月22日(土) くもり -ダイレクト尾根プラトーまで-
D2とD3のコル6:00 プラトー14:00<幕営>
今日は予報通りに曇、陽の光があたらない方が雪がグサグサにならないし、ちょうどいいや、と思う。明るくなり始めたのでテントを撤収して出発する。
D3はそのまま登り(記憶にないピーク)、D4とD5は左から一度に巻いてコルに戻る。D6の登り、急斜になってきたところでザイルを出し(ちょうど太い木がある)、いいとこを選びながら主尾根に出る。
ここからツルベ。D7は、基部の草付バンドを岩をホールドにして左に2mほどトラバース。ブッシュ混じりのルンゼを登り、雪面を右上しながら主尾根に戻る。
雪はキノコほど張り出してはいないのだが、曇と言えど雪のしまりが今ひとつで、足やピッケルのシャフトが決まりにくい。ザックを背負っていると乗越しがしんどいので、尾根に出る手前ではザックを降ろして、それを踏み台にして乗越した(アイゼンの歯がちびているので、そのまま乗っても大丈夫)。
この先のコルへの下降は5mほどだが、短いけど立っているので、タブルアックスで降りる。
D8は離れた位置から見ても急だったのだが、D7よりも腕力を使うブッシュ登りであった。中間支点は灌木で取れるが上部に行くほど急で、最後はまた雪になり主尾根に出る。
この先、懸垂20m(木にシュリンゲの支点あり)でギャップに降り、大休止。右手にはキノコ雪のついた側壁が広がる。結構疲れた。そんな感じに気づいたのか、次のピッチを玉ちゃんがリードしていく。
雪壁を登り返すと広い尾根になり、絶好の幕営地。八方睨側には1段低いプラトーがあり、先行隊はその段差を利用した横穴雪洞に初日に泊まったらしい。スゴいねえ~と感心する。
そのふたりがP1尾根を下降していくのが見える。私たちはまだまだダイレクト尾根の真っ只中だ。しかし、D6からはひとつのピークを越えるのに時間がかかったし、 D 7とD8のブッシュ登りで腕が大変疲れてしまった。
時間はまだ14時だが、集中力が続きそうにないので、ここで幕営しようと玉ちゃんに言う。テントに入って、コピーしてきた岳人の報告などを読んでみる。ここまでが核心と書いてあるが、本当にそうなのだろうか。
3月23日(日) 快晴 - 本院岳へ抜けて… -
プラトー6:00 本院岳15:00/30本院岳からの尾根上17:30<幕営>
今日で三連休も終わり。たっぷり寝たし、天気も良い。もちろん今日中に下山するつもりで出発する。眼前には最終ピークであるはずのD9がど~んと聳える。核心が終わったっていうワリにはすごい威圧感で、いったいどこから越えるんだ… という感じだ。
雪稜を基部までつめていく。まずは右の雪壁を玉ちゃんが越えていくが、やはり雪がしまっていないので重荷ではバランスが悪そうだ。雪の段々を越えた先で交代。
ここから右にトラバースしていくとボルトやハーケンの連打された岩のトラバースになる。オーバー手袋をはずしてジワジワと進むが結構恐くて、中間支点をとりまくる。岩の終了点はブッシュ帯、右上の灌木に手が届けば乗越せるのに、全然遠いし、ザックを背負っているので身体が持ち上がらない。足元のグサ雪も崩れるのみ。
玉ちゃんゴメンとザックを残置し、フリークライミングのような感じでやっと身体を持ち上げて必死に灌木を掴む。ここからすぐ右の幅1mほどのルンゼに移って直上し、ビレイ解除、支点をとりすぎてシュリンゲがなくなり、ピッケルのリストループを使って確保支点を作る。
オーバー手袋はゴムが切れたのか、どこかに行ってしまって、手袋はビショビショ。玉ちゃんが何とかザックをルンゼの入り口まで持ち上げてくれたので、ザイルをフィックスして取りに戻る。この先もう1ピッチでD9ピークに出たが、快晴のため、雪は結構グサグサ。こっちの方が核心じゃないか… 、昨日の腕の状態で登らないで良かった…、残りのピナクル群は大丈夫なのか…、今日中に降りれるのかなあと不安になる。
そして、連なるピナクルの最後、ここを抜ければ本院岳の頂上、という基部にたどりつく。
左からか右からかと悩んだ結果、先行が登ったであろう右から取り付く。玉ちゃんが数m登ったが、一段乗越すところがバランスが悪く、ザイルー本とテントを背負ったままでは引かれるため、私が空身で登ることになる。
同じように数mほど登って、右側を見ると、D9と同じようにルンゼがあり、先行はそこを登ったようだ。ルンゼ側に入ると、足場の雪が崩れてズルリと滑った。一段乗ればルンゼ状なのだが、足元がどんどん崩れて乗越せない、ここはザックあげるの大変だなあ… と思う。なんとか腕力で乗越し、ルンゼを登って左に抜けると主尾根に戻った。
その先、雪壁を登ると傾斜が緩そうだったので、そこで確保しようと登ったが、これが失敗だった。ザイルが雪面にくいこんで荷揚げしようにもなかなか動かない。
さらに玉ちゃんがルンゼ側に荷物を移動する途中、足場が崩れて逆さまになってしまったそうで、引き上げてくれ~と叫んでいたのだが、まさかそんな状態になっているとは思わず、待ってくれ~と雪壁をいったん下降して、確保支点を作り直した。
幸い玉ちゃんももとの位置に戻れたようで、確保支点もロープマンを使ったせいかザイルがスムーズに動くようになった。玉ちゃんが登る前にその雪壁でビレイしてね、と言ったのを上まで登ってしまった私のミス、ごめんね。
この登りでも結構時間がかかってしまった。少し休んで、最後の1ピッチ。溶けた雪で身に着けているものは湿っているし、手袋は絞れるくらい濡れているし、登り返したり荷揚げしたりでクタクタだし、傾斜がなだらかになって頂上が見えてきたときには、やっと着いたよ…と涙が出そうになった。
玉ちゃんが登ってきて、本当にお疲れさまでした!の握手。今日は帰れそうにないけど、なるべく進んでおこう、とトレースのない八方睨方向に下降を始めた。
下降する途中で標識を見つける。これなら主稜線へのトラバース地点にも標識があるんだろうな… と思いながら、この日は見つからず、17時に行動終了。
暖かいといいながらも、濡れちゃったので身につけているものが凍りはじめている。ハンマーで氷を叩いて、アイゼンやスパッツをはずし、テントの中へ。家に電話して、難しいところは抜けたけど、まだ山の中で帰れない、と伝える。
玉ちゃんは最後のピナクルの荷揚げで相当疲れたみたい。ヤッケもズボンも靴下も濡れているけど、ボンベは2泊分で2個しか持って来てないから乾かすほどないし(さらに私のボンベ満タンじゃなくて…)、ラーメンはまだあったけど、そんなにお腹も空いてないから、雪をひとかけら口にほおりこんで、シュラフにもぐりこむ。とにかく早く横になりたかったし、長い時間寝れば、濡れたものも着干しで乾くでしょ… と思って。
3月24日(月) 快晴 - 八方睨から下降 -
幕営地6:30 八方睨14:00 百間長屋17:30 戸隠奥社18:00 車道19:00/10 長野駅19:50/20:25(長野新幹線)上野駅22:10
3時にセットしてあるはずの目覚ましの音が聞こえず、4時に起床。爆睡してしまったみたい。今日も天気は持ちそうだ。今日は絶対に降りよう!と準備するが、昨日濡れたギアは半分凍った状態。ハーネスを何とか履いて、ザイルは無理矢理ザックに押し込んで出発。
主稜線へのトラバース地点を探すためにいったん登り返したが、急な雪庇で下降出来ない。再び尾根を下降しながら、雪庇の小さいところを探す。
やっと下降出来そうな場所を見つけて、主稜線の鞍部目指してトラバース開始。ここまでですでに2時間近くかかってしまう。さらに、やっと主稜線に乗れたのに動物の足跡しかなく、朝からのラッセルが続く。
稜線の東側は雪庇が張り出し、西側はなだらかな斜面。雪庇の上はアイゼンが効きそうなのだが、ときたまバスンと鈍い音がするし、とても近寄れない。
なるべくブッシュの際を歩くのだが潜る。山の斜面が笹で覆われているので、中がグサグサになっているらしく、いったん潜り始めると股までだ。
アイゼンが効きそうかなあと乗り込むと雪板が割れて、ガックリ。地図で位置を確認しながらも、今日中に帰れるのかな… と玉ちゃんがつぶやく。
それでも八方睨の黒いピークがだんだん近づいてきた。ここも最後の方はブッシュ登りであった。
やっと下山路に入れる…と思いながらも、険しそうな尾根。鎖場にシュリンゲを残置したり、立ち木を使いながら懸垂下降し、蟻の刃渡り付近はツルベで進む。途中古い看板があったので、その支尾根を下降するのか?と少し下ってみたが、下部が急そうなので戻る。
とにかく細いリッジを進むしかないのだ。左側は雪庇だし、右はブッシュみたいだし、狭いところは幅が20cmくらいで両側が切れ落ちていて、落ちたら宙吊りだよ…と非常に緊張した。
次のピッチは左の雪斜面をトラバース、玉ちゃんがテン場のあとだ!と叫ぶ。久しぶりに人の気配を感じて、あとはトレース沿いに下れるかな… と思いきや、彼らは西窟尾根のピストン組らしい。
しかし、懸垂の支点が残置されていたので、それを借りて尾根末端に向けて下降し、そのまますぐ南側のルンゼに入って立ち木を使いながら下降するが、雪がグサグサ。
ザイルが濡れて重いので、シングルにして順番にセットしながら降りる。やっと百間長屋の砦の基部まで下降し、グサ雪をトラバースして最後の尾根上にたどり着いた(あとで、ここもロープ出せば良かったね、と話した)。
家に電話して下界が近くなってきたと伝える。もうザイルはいらないよねってザックにしまう。ところが尾根に乗って向こうを見ると、キノコ雪でコブコブ。こりゃザイル出さないとダメだ、沢沿いに下降して反対側に見える尾根を下降しよう、と広くてなだらかな沢からの下降を開始した。
途中ヘッデンを出しながら地図を見ると、沢の終点がちょうど奥社だ。このまま下降すれば大丈夫だよ!と玉ちゃんに伝える。快適な下降、ああやっと下界に戻れると思った。
雪に埋もれた戸隠奥社のまわりには、たくさんの足跡。急に人が感じられるようになってきた。ここから雪の参道を通り、除雪された車道に出たときには、もう暗くなっていた。
途中、キジ坊から大丈夫か?と電話が入った。もうすぐタクシー呼んだとこに着くよ、と伝える。もう雪稜はいいよ~と玉ちゃんがわめく。残りの人生分のラッセルした気分だよね…、まだ早いか・・・。呼んだタクシーに乗り込むと、まわりの景色がどんどん変わっていく。やっと下界に戻ってきた、街の灯りを見ながらすごい人恋しい気分になった。
今回は初めての山域なのに、調査不足でした。雑誌やインターネットでダイレクト尾根やP1尾根の情報は取得したものの、下山ルートに選んだ八方睨に関する情報は一般登山道だしなぁ…と何となく記憶に入れた程度であった。
P1尾根から降りれば、トレースはあるものの、登ったことがないルートで懸垂下降を交えるので大丈夫かな…と思ったが、P1から下降した方が格段に早かったと思う。
ただ、本院岳に抜けたのが、日曜日の夕方近くだったので、下山自体は月曜日には変わりはなかっただろうが、八方睨を下降に選んだことで、ラッセルとルートファインディングでかなりの時間と労力を使ってしまった。
天候に恵まれたからいいものの、早く下降するための情報収集を怠ってしまったことを反省。連絡は入れていたものの初めての山域だったので家族にも心配をかけてしまった。ダイレクト尾根自体も自分たちだけで登ったら、もっと時間がかかったと思う。
でも、その反面、自分たちだけでラッセルやルートファインディングした部分ができたし、行動中に他のパーティと会話することもなく、どっぷりと山に浸れた。そして、戸隠連峰… 、雪とブッシュ、これが日本の雪山なんだ…と思った。
しかし、人里は近いはずなのに、登っても降りても、山また山、雪また雪、という感じで、全く下界に近づいていかなくて、自分としてもパーティとしても最終的な核心は八方睨からの下降だったかもしれない。
とにかく、精神的にも体力的にも疲れたけど、今まで一緒に登ってきたパーティシップが試される山行だったな…と思ってます。しかし、GWも登らなくてもいいよね、なんて言ってたけど、一週間も持たなかったよね。これからも、地道に経験を積んでいこうね。