だいぶ傷だらけになってクタビレておりますが、まだまだ現役です。「ヘクトパスカル(hPa)」じゃなくて「ミリバール(mb)」というネーミングに時代を感じますねぇ。懐かしい…。僕らの世代では、気圧の単位と言えば、なんてったってミリバールでしょう。名前からもわかるように、山で天気図を描くための専用ラジオ。元祖“山ラジオ”です。正式名称は、『SONY mb NSB1/MW RECEIVER ICR-3000』。防滴構造・耐衝撃設計・簡易照明付き。MW(中波)全域と、高層天気図を描くための山岳高層気象通報が聴けるNSB1(ラジオたんぱ第一放送)の2バンドが受信できます。1987年発売というから、24年も前のもの。最近では、同じくSONYから“山ラジオ”という名称の携帯ラジオ(ICF-R100MT)が出ていて人気があるようですが、個人的には断然この「mb」のほうが“山ラジオ”らしいし、機能的にもデザイン的にも優れていると思っています。これは名機です。(ちなみにSONYの名機といえば、スカイセンサーICF-5900っていう憧れのBCLラジオがあったなぁ。これまた、とっても懐かしい!)
考えてみると、こいつは僕が持っている山道具たちの中では一番長い付き合いなのです。道具は所詮道具だから、使ってナンボ。使えば使うほど、古くなって汚れ、破れたり壊れたりしてしまう。壊れてしまったら捨ててしまうし、まだ使えるものでも、、新しいものを買ったら後輩に譲ってしまったりして意外と古い山道具は残っていないものだ。しかも、こいつは今までに夏も冬もほとんど全ての山行を共にしてきた。あれだけハードに扱ってきたのに、とにかく頑丈で、まだ壊れないで残っているというのが不思議なくらいです。やはりこいつは名機です。
天気図で思い出深いのはやはり冬の山行が多い。10年以上前の年末に北鎌尾根に行った時のこと。独標手前P9の狭いテン場に7パーティーほど集まっていたが、NHK第二の気象通報が始まった途端にいっせいに静かになった。少し吹雪いて 酷く寒い夕方、淡々と原稿を読み上げるアナウンサーの声だけが響いていた短い時間は、知らないパーティー同士なのに一体感を感じて、心強くなんだかとても嬉しかったっけ。また、違う年の年末に隣の硫黄尾根に行った時には、「アンガルスクで-54℃。強い寒気が…バリ・バリ!(雑音)」とかなんとか聞こえたようだったので、もう1パーティーいた人たちに確認したところ、間違いない、というのでビビって速攻下山した。その時の2人組は諏訪山岳会の高橋さんと内山さんで、翌年のGWに、硫黄尾根リベンジで再会したり、八ヶ岳・小川山などでよくお会いします。
山はラジオが似合う。夏山でラジオを鳴らしながら歩くオッサンには困ったもんだが、天気図を描く姿は山の一つの風景と言えるでしょう。飯田睦治郎先生の各種教本や山本三郎先生の『登山者のための気象学』にはお世話になりましたよ。でも今、若い衆は山で天気図を描いているのかな?「玉さん、今時はスマホで天気図が見れるし、山の予報もわかっちゃうんっスよ。」だなんて言われるかも。…そうかもしれない、でも本当にそれでいいんだろうか?「天気図が描けること」と「天気図が読めること」は、(特に冬山では)必須技術です。雪まみれで転がりこんだ狭いテントの中で、なんとか聞き取った気象通報。鉛筆を舐めながら凍える手で描き上げた天気図を見ながら皆で明日の行動予定を想ってみる…。山ヤさんとしてはとて大事な時間だと思うのですがねぇ、……。
1987年当時、雑誌「山と渓谷」に
掲載された広告より
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