キスリングの老舗『片桐』が最近、上野湯島から千石へと引っ越してしまったらしい。手縫い 登山靴の名門『山友社たかはし』 も廃業してしまったことだし、片桐がまだ営業していると聞いて驚いたが、残念ながらキスリングの注文はほとんどないらしく、サブザックやレトロでおしゃれなバッグを奥さんが作っているという。
ザックの『片桐』は、1914年(大正3年)に創業。昭和4年に日本で初めての和製のキスリング型ザックを世に出して以来、多くの山岳部員やワンゲル部員を苦しめ泣かせてきた(いや失敬!)。懐かしい…、ただ懐かしい。苦しくも熱く楽しい青春がよみがえってくる。
中央大学ワンダーフォーゲル部(以下、中大WV)が使用していたのは、確か「超々特大」とかいうサイズで、荷物は詰めようと思えばいくらでも無限に入ってしまいそうで怖かった。いや、実に頼もしく頑丈なザックだった。80年代前半、時代はバブルに入ったばかりの頃で、登山は、若者が嫌う『きつい・汚い・危険』という3Kのスポーツと言われていた。キスリングはその象徴みたいなもので、シゴキとか、軍隊を連想させる。揃いの濃緑のユニフォームとヤブズボンに“ビブラム”、そしてでっかいキスリング。とてもオシャレとはほど遠い、旧き良き時代のバンカラな感じが、実は自分的にはけっこう気に入っていたのですが…。
当時はまだ上野駅の団体待合所とか新宿駅のアルプス広場(いずれも、もう無くなってしまった)とかへ行くと、他大学の同じように汚くてでっかいキスリングが、たくさん整然と並べられていたものだ。でもそれは一部のわりと保守的な大学の体育会系クラブだけのものであって、折からの『若者の山離れ』もあり、実は当時からすでに“絶滅危惧種”に指定されていたのだ。
40㎏のキスリングをダブルにして山道を歩いた。新人養成合宿・夏合宿・4校合W・まっ黒な大鍋・飯盒めし・山スキー・ヤブ漕ぎ・キャンプファイヤー・ペミカン・千曲錦・スタンツ・火燃し・応援歌・ワンサラ…。
「山は気合だ!」と教えてくれた。「水は飲むな!」と教えてくれた。たくさんの山の歌や天気図やカマドの作り方や山スキーを教えてくれた。でも山の本当の素晴らしさがきっとわからなかったんだろう。卒業と同時に昔の仲間はみんな山をやめてしまった…。
あれからさらに時代は流れ、流れていった。キスリングは15年ほど前にはほぼ絶滅していたと思われる。登山者の風景もすっかり様変わりした。中高年の登山ブームに乗って、山はいつしか年配のオジさんオバさん達であふれていた。ようやく最近になって山に戻ってきた若者は、お手軽アウトドア系サークルのノリで『山ガール・山ボーイ』と呼ばれてる。母校、中大WVの“質実剛健”だった伝統のかたちも、大分変わってしまったんだろうか?あんなにたくさんいた仲間も、キスリングも、血気盛んな若者たちも、みんな山からはいなくなってしまった。
懐かしい…。ただ懐かしい。
自衛隊ではありません。念のため
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