2014/08/04

「マッターホルン北壁」 小西政継

マッターホルン北壁 小西政継


昭和43/山と渓谷社

 1970年代に日本の登山界をリードし続けたのは、“国際レベルで高度な登攀を目指す先鋭クライマー集団”小西政継率いる山学同志会。小西政継は、戦後の・・・というよりも、日本登山史上のビッグネームとしてまずは筆頭に挙がると言ってもいいだろう。そして本書は、そのデビュー作にして最高傑作だ。

 1967年2月のマッターホルン北壁冬期第3登の記録で、副題にあるように「日本人冬期初登攀」。1962年の劇的な初登攀争い(スイス隊、オーストリア・ドイツ隊によって第2登まで同日になされた)から5年。1965年の芳野満彦らによる日本人初登(夏期)からわずかに2年後に行われた快挙で、これにより日本の登山界を一気に世界的なレベルへと引き上げることになった。

 当時のトップクライマーたちが、まだ夏のヨーロッパアルプス三大北壁を目標にしていた時代。氏は世界レベルをしっかりと見据えて大胆にも冬期に狙い、さらにはヒマラヤのバリエーションをも視野に入れて次々に実行に移していく。70年グランドジョラス冬期第3登。76年ヒマラヤのジャヌー北壁初登攀(無酸素)。80年にカンチェンジュンガ北壁初登攀。82年にはチョゴリ(K2)北稜初登攀ほか。カンチとK2は氏自身は登頂を断念しているが、隊長として初登攀、しかも無酸素での成功に導いている。

 「われわれとしてはもう××ルートを何時間で登ったとか、小さな壁にボルトとハーケンを並べて初登攀などと喜んではいられないし、積雪期の大登攀でも、一つの登攀記録としてより、大きな目標への厳しいトレーニングであるという考え方で、この問題を打開すべきであろう。~このくらいのスケールの大きい考えで今後の登攀活動をやっていかない限り、とても冬期アルプス、アンデス、ヒマラヤの鉄の時代への突入はできない。」

 本書は、迫力ある登攀シーンが見どころであるのはもちろんだが、それ以外にも多くのページを割いている点が興味深い。先ずはそれまでの冬期三大北壁の登攀史から始まり、巻末には実用的なアドバイスとして、「(北壁攻略のための)装備と食糧について」「マッターホルン北壁テクニカルノート」が詳細に記してある。さらに「鉄の時代への進展」と題して、新しい時代を切り拓いた先駆者としての強いメッセージがしっかりと書き込まれていて非常に読み応えがある。当時の若い先鋭クライマーにとっては、翻訳本でしか知らなかった遠い世界を真近に感じることができる刺激的なバイブルだったに違いない。

 そして、これに続く2作目の『グランドジョラス北壁』もいい。

 「手が欲しいなら、指を差し出そう。足が欲しいのなら、くれてやろう。しかし、呪わしいお前を必ずたたきつぶしてやる!~勇気と力、肉体と精神のすべてをふり しぼり、北壁と力ある限り敢然と戦うのだ。」

 凍傷で両手足11本、4人で合計27本の指が失われたグランドジョラス北壁での記述からは、氏の凄まじい気迫と、 その後のヒマラヤの大岩壁攻撃への強固な意志が伝わってくる。

 トップクライマーとして、またはオルガナイザーとして、そしてアジテーターとして。小西政継は、先見性・計画性・実行力のある圧倒的に強烈なリーダーシップをもって1970年代の登山界をリードし続けた巨人である。

 『グランドジョラス北壁』(昭46/山と渓谷社)
 『凍てる岩肌に魅せられて』(昭46/毎日新聞社)
 『ジャヌー北壁(1976/白水社)』
 『ロック・クライミングの本(1978/白水社)』

 など9冊の著作と、評伝として
 『栄光の反逆者小西政継の軌跡』本田靖春(昭55/山と渓谷社)
 『激しすぎる夢「鉄の男」と呼ばれた登山家小西政継の生涯』長尾三郎(2001/山と渓谷社)
 
などがある。

PS:画像右上は登攀メンバー三人による署名。小西氏のサイン本は割とよく見かけるが、これはとても珍しいのでは?
メンバーの遠藤二郎は、その後アイガー北壁直登ルート(冬期)へ。星野隆男は、日本人初の冬期北壁三冠王となった。

「山とある日」 上田哲農

山とある日 001


昭和42/三笠書房

 すごい“お宝本”を手に入れてしまった!  20年間も山岳書を蒐集していると、こういうラッキーチャンスに巡り合うこともあるもんだ。

 『山とある日』は、『日翳の山  ひなたの山』 (昭33/朋文堂)に続く上田哲農2冊目の画文集で、100部限定の特装本がある。手に入れた1冊は、故・安川茂雄氏(RCCⅡ・三笠書房)旧蔵の本で、著者により本文のカットすべてに手彩色された究極の逸品なのです。

 この本の存在は、『上田哲農の山』(1974/山と渓谷社)の編者・安川氏によるあとがきを読んで知ってはいたが、まさか“それ”が自分のものになろうとは、いや、目にすることさえできるとも思ってもみなかった。『上田哲農の山』は現在絶版になってしまっているので、少し長いが本書に関するエピソードについて語った、そのあとがきの一部を抜粋してみる。

 ~『山とある日』には百部の限定本が刊行頒布されているが、その一冊を上田さんから拝領している。百部の第参番で、署名の外に、「限りなき感謝をこめて、安川茂雄様」とあり、さらに「山の涯てに『山』ありて/きょうもまた…」という四行の短文が記されている。実に懇切な署名文だと思うのだが、それ以上にこの著者の誠実なというよりも表現しがたい異常な(?)…という外のない私への厚志は生涯でいくどと味わうことのない体験であったろう。特製本も本文ページの紙質がいくらか上質であり、表紙が茶色の裏皮であること以外にさして普及版とちがいがないのだが、私の一冊には一巻全ページの挿絵に画伯が水彩で(むろん手書きで…)色を入れてくださったのである。殊更にお願いしたわけではないのだが、十日間もかけたということで、私にこの一冊をくださった折に、「この一冊に十日間かかったんだぞ」といくらか怒ったように言われた。一体どういうことなのか私は一瞬分からず怪訝な思いでいたのだが拝領した『山とある日』のページをみて瞠目せざるをえなかった。まさに十日間の画伯の私への底知れぬおもいを胸底深く感じたのである。この一冊は山にまつわる私の山のお宝の屈指といえるだろう。だが、いけないことは山好きの来客がみえると、ついこの画伯の一冊をみせたくなるのである。
 その私の心情は単なる一人の山好きの自己満足だけではないと思う。又、同時に虚栄のためでもなく、上田さんが十日間をかけて丹精こめて一ページ、一ページ水彩を私のためにつけていただいた一冊の山の本は、すでに山の本の次元を離れて、私の山における一人の“師表”の辿った一筋の嶮しくも甘美な道なのだと思うのである。

 外装のダンボール箱には、安川氏により赤ペンで『本文総頁著者彩色三冊之内三番』書かれている。本書を何度も何度も手に取り、嬉しそうにページを捲りながら無邪気に喜んでいる安川茂雄氏の顔が目に浮かんでくるようです。

 登山文化の貴重な資料(というか、ひとつの芸術作品といってもいいかも)を、次代へ繋げるためにも大切に保存しなければ…、と心して思う。

安川茂雄 001

挑戦 001 挿絵 001


PS:
山の画文集と呼ばれる本のうち、特に読んでもらいたい名著を挙げておきます。

 『霧の山稜』 加藤泰三(昭16/朋文堂)
 『日翳の山  ひなたの山』 上田哲農(昭33/朋文堂)
 『山靴の音』 芳野満彦(昭34/朋文堂)500部限定本の他にも50部の特装限定本あり
 『山からの絵本』 辻まこと(昭41/創文社)※特装限定本100部あり
 『山で一泊』 辻まこと(昭50/創文社)※特装限定本100部あり

2013/09/10

「垂直の上と下」 小森康行

垂直の上と下 小森康行

昭和56/中央公論社

 小森康行も、また“スーパーアルピニズム”の黄金期に活躍した名クライマーの一人。
古川純一らとともに、ベルニナ山岳会から日本クライマースクラブ(J.C.C.)を設立。多くの初登攀記録を持つ一方で、山岳カメラマンとしても有名。武藤昭・岡田昇・保科雅則・飯山健治などへと続く、“登れて、撮れる”クライミング専門カメラマンの草分けでもある。

 本書は、古川純一『わが岩壁』吉尾弘『垂直に挑む男』と、ぜひともセットで読んでほしい。この時代を描いた登攀記としては最も遅く出版されたものであるが、実際の登攀から約20年。長い年月を経て、落ち着いた語り口で丁寧に書かれた文章は、とてもスマートで読みやすく、ザイルを結び合った仲間たちとの熱い友情と思い出の回想録となっている。

 「雪洞に生き埋めとなり」の章は、『わが岩壁』の積雪期前穂東壁Dフェイス。積雪期剣岳池ノ谷ドーム稜の「一本のハーケン」の章は、『垂直に挑む男』の「墜落」の章と、同じ初登攀行のエピソードが著者それぞれの視点で書かれているので、読み比べてみると一層面白い。

 参考までに、同時代のクライマーによる登攀記が書かれた(出版された)時の年齢を調べてみました。(※出版順

 芳野満彦 『山靴の音』 昭和34年に出版。(昭和6年生れ。当時28歳)
 吉尾弘 『垂直に挑む男』 昭和38年に出版。(昭和12年生れ。当時26歳)
 古川純一 『わが岩壁』 昭和40年に出版。(大正10年生れ。当時41歳)
 松本龍雄 『初登攀行』 昭和41年に出版。(昭和6年生れ。当時35歳)
 小森康行 『垂直の上と下』 昭和56年に出版。(昭和10年生れ。当時46歳)

 こうして年齢を比べ、また読み比べてみると、吉尾さんと芳野満彦氏の本が圧倒的に若い時期に出版されていることがわかる。それが良い意味で文章にも表れているし、それぞれのキャラクターも相まって、強烈な個性を放つ作品としていずれも現在もなお読み継がれている。 

PS;画像右は、ベルニナ山岳会時代の先輩である澤村幸蔵氏に宛てた署名本です。感謝の気持ちを込めた手紙が添えられてあり、誠実な人柄が伝わってきます。

2013/08/29

「わが岩壁」 古川純一

わが岩壁古川純一サイン

 昭和40/山と渓谷社

 昭和30年代の前半、岩壁初登攀の黄金期に活躍した名クライマー・古川純一の処女作。既に当ブログで紹介した、吉尾弘・松本龍雄・芳野満彦らRCCⅡの個性的な登攀記とともに、当時の若いクライマーに強い影響を与えた一冊。

 本書も「中公文庫」で読むことができるが、できれば初出の「山と渓谷社版」で読んで欲しい。9編の重要な初登攀記と、『わがアルピニズム』と題した古川流アルピニズム論で構成されている。(中公文庫版では、この章46ページ分が全てカットされている。)

 僕の持っている本は、珍本というか、お宝というのか…。
RCCⅡの二宮洋太郎(学習院大山岳部OB)に宛てた署名本なのですが、『「わが岩壁」ではなくて原題は、「わがアルピニズム」でした。巻末のアルピニズム思考から読んで下さい。そのように書きましたから。F 』という古川氏のメッセージがはさんである。またこれに対して、本文には二宮氏による反論・直しが万年筆で書き込まれているのです。当時は、初期の雑誌「岩と雪」にも見られるように、盛んに“アルピニズム”が論議されていた時代だったようで、この本でも、二人のトップクライマーがアルピニズム論を熱く闘わしている様子が伝わり、生々しくてとても興味深い。今どきの軽々しい「自称アルピニスト」と呼ばれる人たちとは、クライミングに対する純度が圧倒的に違う。

著作は、他に『いのちの山』(昭42/二見書房)がある。

 人から人へと渡ってきた古書には物語がある。署名本の場合はなおさらで、その本を通じた著者と元オーナーとの間にある物語を想像するのは楽しいものです。

2013/08/28

「山靴の音」 芳野満彦

山靴の音  芳野満彦氏サイン1

昭和34/朋文堂

  マロリーやシプトン、そしてヒラリーのごとく「山がそこにあるから」といって、僕は登りたくない……。モルゲンターレルのように、また彼の語る水晶採りのお爺さんのように「そこに何かがあり」それを僕は求めていきたいと思う。

 冬の岩壁初登攀の黄金期、「スーパーアルピニズム」が高らかに謳われた時代。吉尾弘『垂直に挑む男』(昭38/山と渓谷社)古川純一『わが岩壁』(昭40/山と渓谷社)松本龍雄『初登攀行』(昭41/あかね書房)とともに、当時の若いクライマーに強い影響を与えた1冊。いずれも長年読み継がれている個性的な名著だが、なかでも本書はユニーク。初登攀記・遭難記のほかに、散文詩やエッセイ・画文・版画なども多く収録。ここには“芳野満彦”という多才で魅力的な山男の青春が詰まっている。

 上田哲農や辻まこと等、プロの画家のものと比べるとけっして上手いとは言えない絵(失礼!coldsweats01)と、けっしてスマートとは言えない語り口…。だけど、一見粗野のようでいてナイーブな感性と、不思議と味のある絵が妙に印象的だ。いかにも不器用な山男が、誰もいない冬の山小屋でトツトツと綴った山日記といった感じで、山の匂いがプンプンする本だ。  

  『山靴の音』はこれまでに出版社を替え(出版社倒産のため)るたびに、改装・改版・加筆されていて何種類かのバージョンが存在する。

  初版(昭34/朋文堂)
  ケルン新書(昭38/朋文堂)
  山岳名著選集3(昭40/朋文堂)
  the mountainsシリーズ 4(昭41/二見書房)
  山岳名著シリーズ4(昭47/二見書房)
  500部限定本(昭50/四季書館)
  50部特装限定本(昭50/四季書館)
  『新編 山靴の音』(1981/中公文庫.2002/中公文庫BIBLIO

…他にもまだあるかもしれないが、山の本でこれだけたくさんのバージョンがあるのも珍しく、それだけ愛読者が多いことがうかがえる。

 僕の本棚には今、3冊の『山靴の音』がある。朋文堂オリジナル初版と、つい最近購入(なんと定価で!smile)した四季書館の50部特装限定本と、中公文庫BIBLIO版。この3冊はまったく別モノと言ってもいいほど異なった内容になっている。「山の本はオリジナル初版こそがベスト。まして文庫本などは論外!」だと、ずっと勝手に思い込んでいたが、『新編・風雪のビヴァーク』や『屏風岩登攀記』のようにバージョンアップされていたりする本もあるので、後版も要チェックのようです。

 昭和34年出版の朋文堂初版は安川茂雄がプロデュース。装丁は著者。本文の使用原紙の配慮(第一部と第二部とでは紙を変えている)など細部にまでセンスの良さを感じます。表紙も含めて、もっとも雰囲気のあるの版。

 四季書館の50部特装限定本(23番/50部の内)は、「ゴンベーと雪崩」「長塀山」など新たに10編を加えた二見書房版山岳名著シリーズを底本とした500部の特装限定本のうちの、さらに50部の特製限定版。こちらも安川茂雄プロデュースによる。著者がすべての絵に肉筆水彩で着色し(ルート図にまで!)、多くのイラストを加え、一葉の水彩画を貼り、皮のカバーを掛け、二重箱に入れられたサービス精神満載の凝りに凝った豪華本。これはスゴい。画家として著者の強いこだわりを感じる。芳野ファンはもちろん、山の本好きにはたまらない1冊。

 中公文庫版『新編 山靴の音』は、詩や画文を大幅に削り、「ヨーロッパアルプスへ」という章を追加。こちらは文庫本ならではの読み物を中心とした編集になっている。せっかくの自筆のルート図が味気の無い図版に差し替えられてしまったのは残念だが、これも文庫版ならではのこだわりだろう。

PS1;以降、2作目の『アルプスに賭ける 穂高からアイガーへ』(昭39/実業之日本社)や『新・山靴の音』(1992/東京新聞出版局)などは、アクの強い独特の“芳野ブシ”が増して、読み手として個人的にはとても苦手なのですが、『山靴の音』だけは別。10代から20代の頃に綴られたためか、処女出版のせいか丁寧に書かれていて、文章は瑞々しく、読後感はすがすがしい 。

山靴の音限定50 

PS2; 雑誌『山と高原№336』(1964.12/朋文堂)には、人物特集として芳野満彦が紹介されている。(ようやく入手できましたよ。)
6ページのグラビアを含めた26ページにわたる大特集。山川淳による評伝、吉尾弘や新田次郎らによる人物評、「芳野満彦を語る」。「アイガーに賭ける」と題した座談会、30の質問などで構成されていて、芳野満彦の魅力を存分に知ることができる好企画です。
ちなみに、340号の寺田甲子男344号の吉尾弘とともに、非常に内容が濃く、貴重な1冊。

山と高原

PS350部限定本の謎」
 その後、神田の悠久堂で件の50部特装本をもう1冊発見(48番/50部の内)した。そして、何気なく本を開いて驚いてしまった。巻頭の水彩画(これが素晴らしい!)もまったく違うものである上に、本文にはないイラストが数点、水彩・サインペンで書き加えられていたのです。
限定本とはいえ、これほど1冊づつが異なり、手の込んだ本は他には見たことがない。『山靴の音』は、著者にとってよほど思い入れの強いものだったことがわかります。
おそらく、他にも様々なバリエーションの『山靴の音』が存在するのかと思うと、氏のサービス精神や遊び心がうかがえてなんだかとても楽しくなってくるじゃないですか。

山靴2-1 山靴2-2 山靴2-3

PS4ついでに見つけたサイン本です。ここにも、サービス精神と遊び心がたっぷりな氏の魅力的な人柄が表れています。

芳野満彦氏サイン2

『われ北壁に成功せり』(1966/実業之日本社)の見返しに書かれた署名。
筆ペンで書かれていることも珍しいが、クライマーのとぼけた顔のイラストが面白い。

芳野満彦氏サイン3

『山靴の音』(昭34/朋文堂)の見返しに書かれた署名で、雑誌『岩と雪』編集長の岩間正夫氏に宛てたもの。

 この他にも、先日覗いた阿佐ヶ谷の穂高書房では、アルムクラブ時代(おそらく20歳前後の頃)の芳野満彦による直筆の書き込みがある本(『星と嵐』ガストン・レビファ)を勧められた。後年に日本人としては初めてマッターホルン北壁登攀に成功することになる氏が、若かりし日に夢見るように何度も読んだものだろう。本のダメージがかなり残念な状態だったのでその時は買わなかったけど、あれはお宝だったのでしょうか。
穂高書房穂高書房、店主の和久井さん
「どもども、はい~ハィ。わざわざ来てもらってもネ、目新しいのは何も無いよ。もう欲しい本はみんな持ってるでしょ?」と言いつつも、店の奥にはとんでもないお宝を隠し持っているかも…。

2013/03/29

「銀嶺に向かって歌え クライマー小川登喜男伝」 深野稔生

小川登喜男2013/みすず書房

「行為なくしては山はない。情熱なくしては、いかなる偉大なことも起こりえない。山への情熱は、山に行くことのうちに純化されるだろう。」

 このブログでは珍しく、新刊を紹介します。
昭和初期を代表する伝説的な天才クライマー・小川登喜男の評伝。労作、力作です。実にイイ仕事しています。新刊を手に取ってドキドキするのはずいぶん久しぶりのことだ。まさか、いまごろになってこういうものが出るとは夢にも思わなかったので驚きです。氏については、登攀史における初期の最重要人物にもかかわらず、著作もなく、現存する資料も少ないことから実像がよくわからなかった。一般的にわりと詳しく研究・紹介されたのは、雑誌『クライミングジャーナル』創刊号での、遠藤甲太氏による“クライマーの系譜 第1回 「クライマーの先駆・小川登喜男」”くらいじゃなかったかと思う。
実はまだ本書を読んでいないのですが、パラパラとページをめくり、目次に目を通したかぎり、未公開の写真も多く、初めて発見された貴重な資料や報告も多数掲載されているようでとっても楽しみです。なんだか、すぐに読んでしまうのがもったいない。じっくりと時間をかけて読んでみたい一冊。

 これは、クライマーはもちろん、全山岳関係者必読の書だ。読むべし!


2013/01/30

「限りなき山行」 細貝 栄

Photo_3 1979/近畿日本ツーリスト

垂直軸と水平軸の間を彷徨う、情念にとり憑かれた単独行者。
氏の記録・手記は『あるくみるきく147号』という小冊子に「限りなき山行」と題してまとめられている。定価150円。全48ページ中.42ページを占める大特集で、薄っぺらな小冊子ながら内容は濃い。
「初登攀。この言葉ほど突きつめ、思いつめて登ってきた者にとって魅力的なものはない。多くのクライマーが狙っていながら登られていないルートは、より魅力的だ。誰もそこを登っていないから登るのではなく、誰もが登りたがっているのに登れないからいっそう登りたくなる。それは、人から注目を浴びるとか、優越したいといった他人指向型の発想でなく、未知の冒険と人間の限界に挑みたいという、もっと内面的なものである。~(中略)~僕はひとつの情念にとりつかれると、我が身も省みずに飛躍した行動に出てしまう。冬の滝沢第二スラブを登りたいと思ったのもそのひとつである。」だが、恐怖と憧れで胸がヒリヒリするほど思い詰めていた滝沢第二スラブも、1974年3月.長谷川恒男と岳志会のパーティーによって同時に初登攀されてしまい、さらに翌年にはマイナースラブまでもわずか10日の差で初登をさらわれてしまう。
1970年代後半というのは、主だったルートは開拓し尽くされ、ダブルアックスと前爪アイゼンでスピーディーに登るピオレトラクション技術の登場により、「冬の滝沢スラブやルンゼ登攀は自殺行為である。」という冬期ルンゼ登攀の神話も崩れてしまった。そんな時代だ。初登攀争いにほんの少し遅れてやってきた激情派クライマーは、やり場のないエネルギーをぶつけるようにして、危険な一ノ倉沢のスラブやルンゼ群をソロで片っ端から徹底的に登りまくった。五ルンゼ(冬期初登)、三ルンゼ、二ノ沢本谷、二ノ沢右壁~Aルンゼ、幽ノ沢三ルンゼ(すべて冬期ソロ初登)、滝沢第一スラブ~Aルンゼなどなど…。この時のクロニクルが載った『岩と雪55号 山岳年鑑1977』には、「今季も細貝氏の積雪期ルンゼ単独登攀は精力的に展開された。このペースだと、一ノ倉沢と幽ノ沢の主要ルートを登り切るのも近いのではないだろうか?」と、編集者によりコメントされている。coldsweats02

また一方で氏はワンダラーの顔も見せる。「僕の荷物というのは、背負子に食糧を入れた一斗缶をつけ、さらに大きな袋とキスリングを縛りつけているので、まるで洋服ダンスを担いでいるようなものだ。その格好でⅤ級の藪に飛び込むと身動きできなくなり、時には発狂するほど苦しくなる。」地図上の平面距離で290キロもある那須から浅間を、単独・ノンサポート・ノンデポで大縦走したときの激しい藪コギの様子を綴った一節だ。このほかにも、南アルプス全山縦走(冬期26日間)、日高山脈全山縦走(積雪期33日間)や断食山行など、ある意味自虐的とも思えるような山行をくり返し展開した。

「僕の内にたえず山に求める二つの心が同居している。ひとつは谷川岳で感じるような自分との闘い、自然と闘ってそれを克服する熱い喜びであり、もう一つは尾瀬やその周辺の上越の山々での自然の神秘、生命の営み、美しさ、安らぎを求めてさまよう漂泊の山旅である。この二つはとくに対立もせず仲良く僕の心に居座っている。僕の山はずっとそれを求め続けてきた。」
細貝栄は今や知る人ぞ知る伝説の岳人になった。にわかに信じられないような驚くべき山行をくり返し重ねているにもかかわらず、氏の全体像・まとまった記録が読める手記としては、入手困難な本書しかないのは残念です。その後の記録もつづった伝説のつづきをぜひ読んでみたいものです。

PS1;谷川岳での冬のルンゼ・スラブ単独行の手記は、『谷川岳 クライミング記録集①』遠藤甲太・編(昭57/白山書房)に、「限りなき山行」より抄録されている。もっとも、この本も絶版中で入手困難ではあるけど。

PS2; あるくみるきく164『あるくみるきく』からもう1冊、細貝栄氏に関する特集号がありました「特集・ひとりぼっちの知床」№164(1980年)
都立大学時代の後輩である工藤英一と、1980年3月に行われた「知床半島の全山単独交差縦走」の記録。ノンデポ・ノンサポート・ソロ。工藤氏は山スキーを使用して、海別岳から北へ。細貝氏は、輪カンで北から海別岳へと向かう。其々の手記が、上下2段組みで編集されていて、読み応えがある。こちらも必見です。

2012/01/13

「岩登り術」 藤木九三

岩登り術 Photo_12


大正14/RCC事務所榎谷徹蔵

藤木九三・榎谷徹蔵・水野祥太郎ら関西のクライマーが集まり、日本でははじめての岩登りを専門とするグループ RCC(ロック・クライミング・クラブ)が大正13年(1924年)に神戸で誕生した。この本は、研究資料として主にその会員向けに頒布されたもので、日本初の岩登りの技術解説書だ。発行部数は300部弱といわれている。

日本最古(81年前!)の技術本ということで、とっても興味深く読める。クライミング用語を和訳するのにかなり苦労したらしい。アップザイレンを「懸垂」、ザイルリング→スリングを「捨て縄」など。藤木九三は、ネーミングのセンスがあったようだ。ちなみに甲子園球場のアルプススタンドも藤木のネーミングらしい。

PS;写真右は裸本、左はカバーです。カバー付きはおそらく貴重かと思いアップしました。

2011/11/22

「日翳の山 ひなたの山」 上田哲農


日かげ_0002上田哲農サイン2


昭和33/朋文堂

「行為」は「ひなたの山」、「思索」は「日翳の山」と考えて、これは車の両輪の如く、離そうとして離れないし----登山がスポーツの王とされるゆえんもここにあり、書名にしたわけです。
どうやら一生を通じて「山」を離れてものを考えられないぼくの生涯にあって、山にある日は「ひなたの山」、街にある日は「日翳の山」、そうしてこの写実と抽象の二つをらせん形によじ登ることによって、さらにその頂に、毅然と光っている形而上の真の「山」に到達するルートを発見したいとこいねがっているともいえます。

 戦前は日本登高会のリーダー、戦後はRCCⅡの代表として活躍した名クライマーで、画家でもある上田哲農(本名・徹雄)の古典的名著。登攀記あり、紀行文あり、詩や散文・エッセイあり…、円熟した筆致の絵と文とが絶妙で素晴らしい。上質な短編小説集を読んでいるようで、飽きさせることなく読む者を惹きつける。また、本業である水彩画についての話や、家族の話なども山と絡めながら織り込まれていたり、死をモチーフにした話も少なくないせいか、重厚な“大人の山の画文集”に仕上がっている。
 中でもやはり、代表作「ある登攀」は珠玉の一編ですshine読むべし!他にも、母の愛情を綴った「守護符」、亡き娘との他愛のない思い出のひとこま「鉄の蜘蛛」、ミステリアスな「習慣」幻想的な「蝶とBivak」なども絶品だ。

 同じく名クライマーでもあり、画文集『山靴の音』の著者、芳野満彦は、「『日翳の山 ひなたの山』を手にしたときから、もう自分の山登りも絵も続けて行く自信を失うほどの大ショックを受けた。とにかく、一人の人間の生きざまを狂わした書物はない。」と、強い影響を受けたことを本書文庫版のあとがきで告白しています。

 ちなみに、著者の没後に出版された中公文庫版(昭54/中央公論社)は、カラーページの美しい水彩画「深秋の不帰岳」・「ある登攀」・「越後湯沢にて」・「鵺」・「信濃大町展望」・「長次郎谷残照」・「北の街」が、残念なことに全てカットされてしまっている。これは痛いcrying。画集でもあるのに肝心の絵をカットするなんて…。また、「雨の丹沢奥山」・「岩小舎で」・「蝶とBivak」などのモノクロの絵もない。さらに、「北岳にて」や「ある登攀」などの迫力ある大きな絵も、ページの都合で小さくレイアウトされてしまっている…。こういった画文集は、やはり文庫本ではダメだ。
 山の本好きは、ぜひとも初版オリジナルで読んでほしい。本書の初版は、製版・印刷・造本には特にこだわった「朋文堂山岳文庫シリーズ」の第十一巻として刊行された。堅牢な貼箱入り。装丁も筆者。しかし、定価1200円は高すぎた(現在のお金に換算すると22000円位?)のか、当時はどうやらあまり売れなかったようです。

※画像右上は、表紙見返しに描かれた絵入りの識語とサイン岩と雪との涯にあった ぼくの青春の日を 哲農 1958年10月とある。こういったお宝署名本との出会いもあるから古書蒐集は楽しい。

 著作は他に『山とある日』(昭42/三笠書房)※100部限定本あり『たのしい造形 水彩画』(昭43/美術出版社)『水彩画教室』(昭44/鶴書房)。氏の没後に新たに編集されたものとして、『きのうの山 きょうの山』(昭55/中央公論社)と『上田哲農の山』(1974/山と渓谷社)がある。 

山とある日水彩画教室

PS1;朋文堂初版には3つのバージョンがあるので、古書購入の際には注意が必要だdanger。ハードカバーの本体は同じでいずれも初版には違いないが、①堅牢な貼箱に入ったオリジナルの他に、②簡素な印刷がなされたペラペラのキカイ箱入りのものと、③単にカバーを掛けただけのものとが存在する。これは書店で売れ残り、版元に返品された汚れた本を再販する際に新装を繰り返したためで、もちろん①の堅牢な貼箱に入ったものがベストです。
 
PS2;お宝自慢ついでに2点紹介。画像左は、第二次RCC編『挑戦者-‘65アルプス登攀の記録』(昭40/あかね書房)に描かれたサイン。画像右は『日本の岩場-グレードとルート図集』(昭40/山と渓谷社)の表紙見返しに使用された原画『太陽を掴む者』ラフに描かれたようなイラストでも、非常に繊細に描かれていることがわかる、貴重な資料です。

アイゼン太陽を掴む男

2011/06/23

「稜線 - 追悼 吉野寛-」 吉野あつ子

Photo_2 141_2 1985/私家版

1983年10月8日。生と死を分けた運命のその日、エベレスト山頂でいったい何が起こったのか…。日本人として初めて世界最高峰の無酸素登頂に挑んだトップクライマー吉野寛とその壮絶な最後については、『精鋭たちの挽歌』長尾三郎(1989/山と渓谷社)『ボクのザイル仲間たち』小西政継(1987/山と渓谷社)に詳しい。東京雲稜会を経て登攀クラブ蒼氷の創立代表へ。会の若手を率いて国内では冬壁の継続登攀を精力的に行ない 力を蓄えたあと、ヨーロッパアルプス、さらにはヒマラヤへと舞台を広げていった。78年にダウラギリⅠ峰南ピラー(新ルート)初登攀。81年にはプライベートな登山隊の隊長としてアンナプルナⅠ峰南壁を新ルートから初登攀する。翌年にはK2(チョゴリ)北稜を無酸素で登頂。しかし、83年にイエティ同人隊4人のリーダーとしてエベレスト無酸素登頂に挑んだが、同時にアタックした山学同志会の2名と前後して頂上に立ったあと、下降中にビバーク。翌日、氏と禿博信は滑落死してしまう…。
 「8000mの高峰を酸素を吸うことによってその高さを1/3の3000mにしてしまうならば、暇と金をかけてわざわざ8000m峰に登ることはない。無酸素だからシェルパを使わないのだから、当然苦しいけれど自分たちの力だけで登るということに意味がある。」仲間だけの なるたけ小さなパーティーで、しかも無酸素で。そう、まるで日本の冬壁やヨーロッパアルプスの岩壁でも登るようにシンプルなスタイルでヒマラヤの大岩壁を駆けめぐること。それが氏の夢だった。未知への冒険・不可能といわれる記録への限りない挑戦は、トップアスリートの特権であり目標だ。しかしそれにしても、あつ子夫人への手紙に添えた「人生とは自分のめざす生き方を実践していくための命がけの闘いである。」というオルティガ・イ・ガセットの言葉はとても印象的で、氏のような人が語ると(僕のような怠惰な凡クライマーには)心にグサリとくる。
「一度は登っておけばあとは好きな山へ行けますからね。」氏の本命のターゲットは、次のローツェ南壁であったらしい。しかしやはり世界最高峰の無酸素登頂というのは、(ただの通過点だったとしても)どうしても片付けておかなければならない大きな壁だったのだろうか。

 本書は、亡き夫への追慕の気持ちを込めて、また、父を見ることなく生れてきた娘のために、あつ子夫人が編んだ吉野寛の追悼集である。内容は、「エベレスト日記/雲稜から/蒼氷へ/ダウラからアンナへ/ローツェに向かって/友へ/遥へ」の7章からなり、多くの山仲間の追悼文・山行報告文・遺稿・そして、遠征先から夫人に宛てたたくさんの手紙などで構成されていている。トップクライマー吉野寛のすべて、なにより人間・吉野寛の魅力が存分に伝わってくる素晴らしい追悼集になっている。

 吉野寛のほかにも加藤保男(JECC)、竹中昇(早大/黒部の衆)、小林利明(鵬翔山岳会)ら日本のトップクライマーがこの数年間で次々とエベレストに消えていった。アルプス三大北壁からヒマラヤの岩壁、8000m無酸素登攀へという先鋭化の流れは、ここにひとまずの結末を迎える。その後はフリークライミング(当時はハードフリーと言っていた)が爆発的な広がりを見せる一方で、海外の山へも気軽に行ける時代になり、先鋭クライマーの関心はヨセミテでビッグウォールを経験してから辺境の大岩壁へ、という流れにシフトしていくことになる。

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PS1;写真右はイエティ同人が1984年に発行した報告書で、2人の追悼も兼ねたものになっている。8800mを越える、いわゆる“死の地帯”に無酸素で(ロープも、ビバーク装備も、サポートもなしで)挑むとはどういうことなのか。遠藤晴行氏によるリアルな描写の報告文は、それが直に伝わってきて非常に迫力がある。(この貴重な報告書は、無理を言って雨宮さんよりいただいたものです。ありがとうございました。)

PS2;写真下は、原真氏が発行する小冊子『アナヴァン』№5の禿博信追悼号(昭59/原病院)。「生還者に聞く エベレスト無酸素登山」と題して遠藤晴行氏が質問に答えていくという形の報告は、迫真のドキュメントとして読み応えがあります。
アナヴァン5